岐阜県恵那市 城下町ホットいわむらの日々

横須賀から参りましたふるさと活性化協力隊員のブログです

その後のこと・・・

2015-05-31 | 日記
ふるさと活性化協力隊の活動を終えて早2ヶ月。

岩村から同じ恵那市内の笠置に移っての新生活も少しずつリズムができてきた気がします。

この笠置でどんな生活を送っているのか、といいますと・・・


実は最近NPO法人えなここさんが立ち上げた「恵那山麓エリアで活動する様々な人がローカルな視点で情報を提供しリアルな田舎を体験してもらうことを目的とした田舎体験ウェブマガジン」その名も『おヘマガ』というホームページが、ちょっとした人気を集めています。

おへまがurl http://ohesoantenna.com/

その中で、私の嫁がライターとして描く4コママンガで、この笠置のワイルドで逞しくなれそうな暮らしのことを発信しております。

この先私自身も新しい暮らしのいろんな発信をしていきたいと考えていますが、まずはこのページでフォローしていただければと。

他にも『おへまが』では、様々なライターさんたちが恵那の日々の暮らしのことなど、ちょっとゆるりとしたテイストで恵那を身近に感じてもらうことのできる情報をアップしていますので、是非ご一読を!

またこちらのブログでは『協力隊OB』としての顔を出すことがあると思いますので、引き続きよろしくお願いいたします!

任期満了!ありがとうございました!

2015-03-31 | 日記
本日3月31日をもちまして、私のふるさと活性化協力隊員としての活動が終了しました。

一緒に活動したり、応援してくださった皆々様、本当にありがとうございました!!

私の3年間の活動の総括は、また別途報告させてもらいたいと思いますが、

この3年間で積み重ねてきた経験や学び、何よりたくさんの方との出会いがあったからこそ、次なる一歩へ踏み出せたのだと思ってます。

私はこれにて岩村を離れ、同じ恵那市内の笠置という地区に移ることになります。

ここでまずは就農準備に専念していきますが、これからも岩村とのかかわりは切っても切れるものではありません。

また新しい住処でも早速地区の方々から声をかけていただいており、今後もちょくちょくとこれからの地域を考えていくような場には顔を出していくつもりです。

新しい生活の発信ももちろんしていきたい。

協力隊というちょっとふわっとした立場を降りて、生活者としての、いち恵那市民としてよりリアルな日常が始まる気分です。

この素晴らしく濃密な3年間だっただけに、一息入れたい気分もあるけど、次にやるべきことも待ったなし。引越しのための荷造りをしている暇もなかったので、それもこれから準備しなくては。忙しい日々は続きます!

簡単ではありますが、まずはご報告と御礼を皆様にお伝えしたく、急いで投稿させていただいた次第です。

今後とも岩村町・城下町ホットいわむら、恵那市、そして佐藤暁彦家族一同をよろしくお願いいたします!

(また総括の報告を投稿しますので、引き続きお付き合い願います)

現在位置

2015-02-13 | 日記
協力隊員として岩村に住み、活動を始めてから3年、もう間もなく任期を終えようとしています。

ご存知の方も多いかと思いますが、この地域おこし協力隊(恵那市の場合はふるさと活性化協力隊)は3年の期限で活動を終了し、その後の更新もありません。

なので、協力隊の人たちは任期中のミッションに取り組むと同時に、“その後”を見据えた準備をしていかなくてはなりません。

ここの部分が協力隊という制度の中でもっとも取り沙汰されることの多いところかと思います。

つまり、協力隊のミッションは究極的には、「その場所にその後も定住すること」なのですが、それが実現できない事例も少なくない、というか最近では定着率3割、というような数字も目にしており、いかに協力隊が保証されたものでないかを物語っております。

それはさておき。

何せ事態はわが身のこと。

現実として目の前に迫る4月からの生活(収入)をどうするか。この点について長い時間かけて悩み迷いながらここまで来ました。


先に結論をお伝えします。私は岩村を離れ、同じ恵那市内に居を移し、農業を自分の生業にしていこうと決めました。


もちろんすぐに農業で食べていけないので、年度明けから研修に励み、この時代に農業で暮していくための確実な力を養います。

これまでは岩村城下町をベースとした交流人口拡大のための活動が主でしたので、農村部と都市部の交流は自分のやりたい農業で重要な位置にありますが、今の活動と直接つながっているものではありません。

その賛否はいろいろあるかと思いますが、これまで関わってくださった多くの方々に受け入れていただき、後押しさえしていただきました。これからも岩村に、と期待をしてくださっていたところにも関わらずです。その懐の広さに心から感謝をしています。


近頃協力隊になる人の多くは、総じて意識が高く、自分なりのミッションを携えて地域に入っていく傾向があるように思えますが、私自身は協力隊として活動を始めて、はじめて地方やまちづくりという現場に出くわした口です。(ドラマ『遅咲きのひまわり』の主人公を思い出しますね。あの頃はまだ協力隊というと牧歌的なイメージが漂ってた気がします)

それでもいろんな事業に携わるうちにまちづくりの手法に興味をひかれ勉強し、この活動を通して得た岩村の資源をベースにこんなことやってみたい、と思うことがいくつも構想ができて、それはそれはワクワクしたものです。

と、同時にこの先も岩村で生計を立てようとすると、恵那に来るそもそものきっかけ~農的な暮らしを生活の中に取り入れたい~を果たすことないままになるのではないか、という懸念が頭に浮かび上がってきて、躊躇無く飛び込んでいくのをためらい続けてきたのでした。

そんなことは最初の時からわかっていたことではないか、と言われればその通り。でも新しい環境が新鮮で、まちづくりの可能性をひしひし感じてのめり込んでいく自分が余計に悩ましかったわけです。

それに加えて、岩村でなら自分はこうしたことがやりたい、と思ったことと、町として求めているものと、微妙なズレがあったことも、隠せるものではありません。

なら、同意を揃える前に行動しちゃえば良かったのに、と言われれば、それもその通り。成功している事例とは得てしてそういうもの。

今思えばあの時行動を始めていれば状況は変わっていたかもしれない、という分岐点がいくつもあったと思いますが、それをしなかったということは、結局は自分自身で一番欲していた結論に自分を導いてきたのかと思ってます。


まだ任期はあと1ヶ月半残っています。引継ぎはもちろんまだいくつか残ってる年度内の事業を終わらせないといけないので、総括するにはまだ早いのですが、これまでの活動を見守ってきていただいた方々に今後のことについてお知らせしたく、このような形でご報告をさせていただきました。

また任期いっぱいまでは岩村の情報発信に努めていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

大分県竹田市視察

2015-01-29 | 日記
ホットいわむらのメンバーで視察研修に行ってきました。

行き先は、大分県竹田市。

個人的には初九州上陸。



なぜに海をわたり空路で九州かと言いますと、

昨年の秋ごろに、竹田市市長さんが恵那市で講演をされたことに端を発します。

その中で、竹田市がかつて岡藩の城下町として栄えていたこと、石垣だけが現存する山城の城址があることなど、岩村と共通する町であり、さらに竹田市長さんも昔岩村を訪れ歩かれていたことがあるなど、このご縁を大切にしたいと、ほぼそのテンションで視察を決めました。

ちなみに、天空の城の竹田城は兵庫県朝来市、竹田市は岡城です。

テンションで決めたなんて言うとちょっと誤解を招きそうですが、竹田市に行くそれ以上の理由がもちろんあります。

この竹田市首藤市長さんは、竹田市の観光のあり方を変え、訪問客数を増やし、観光カリスマとして観光庁より任命された方で、日本で最初に「農村回帰宣言市」を掲げ、斬新なまちづくり計画を策定するなど、全国でも注目を集める先進的な取り組みを行われています。

私たちは行政の支援を受けてはいるものの、市民による任意団体に過ぎませんが、まちづくりの基本計画策定に市民の立場から積極的に関わってきています。そのように関わるからには、私たち自身が責任もって市や町の将来を戦略的に考えていけるよう、さまざまなアプローチ方法を学んでおくべきかと思います。

私は各地方自治体の政策に詳しいと言えるほどではありませんが、私の印象を図にするとこんな感じ。



左が一般的な地域計画で、右が竹田市のそれ。

言葉を悪く言えば一般的なところは、それぞれの政策に連関が薄く、対症療法的な政策の寄せ集めの足し算型。

竹田市は、竹田市総合計画「新生ビジョン」でも謳われていますが、「企画の掛け算」による相乗効果で大きな力を発揮していくことが狙いとなってます。

そうしたビジョンがあるため、竹田市の取り組みそれぞれに、竹田ならではのオリジナリティが通低しているように感じます。

こうした取り組みが功を奏してか、現在では人口の社会増が社会減を上回り、住みたい田舎全国第3位という人気ぶり。

人口2万人の小さな市が、現代に対応した経営的戦略を採り入れ自立的なまちづくりで生き抜くために立ち上がった姿は、とても学ぶことが多いかと思います。


今回は1泊2日の滞在で、さまざまな史跡や景観を見せていただきまして、岡城跡から見渡せる九州の個性的な山々の景色に感動しました。

視察としては特に移住定住の相談窓口であり、17名いる地域おこし協力隊の拠点となる「農村回帰城下町交流館~集~」での協力隊の方との交流や、竹田市の推進するアーティスト支援施設「竹田総合学院」の斬新さが印象に残りました。

凝縮した2日間でたくさんのことを勉強してきましたが、また一つ心のつながった人々がいる特別な場所ができたことも嬉しいです。

明日に続くまちづくりをしていくには、日本の色んな場所同士がつながり根っこから意識的な部分でのベースアップをしていく必要があります。そういう意味でも今回の海を超えたダイナミックなつながりは、とても意義深いものになったかと思います。

<参考URL>
竹田市HP http://www.city.taketa.oita.jp/
地域再生Leader's Voice:大分・竹田市長 www.tkfd.or.jp/research/news.php?id=653
日経産業地域研究所・首藤市長インタビュー http://www.nikkei-rim.net/glocal/glocal_pdf/142PDF/142ishin.pdf

指差し会話でおもてなし

2015-01-22 | 日記
近年、岐阜県内では飛びぬけた存在である飛騨高山・白川郷はもちろん、木曽路ウォーキングが人気の馬籠・妻籠、水の街郡上八幡など、外国人旅行客が増えている、という雰囲気を感じます。



岩村にはその外国人観光客たちが足を運んでくる、ということがほとんどありません。おそらく、岩村の存在自体が外国人の手に届いていない、情報の不足が一因かと思われます。

単純に外国人観光客を増やそうと思えば、情報発信面に力を入れること以外にできることはありませんが、逆にこれだけ日本的なものが残っているのに今まだ観光地化されず手垢にまみれてない面をPRできれば、京都・浅草に飽きた外国人たちにとっては魅力的な旅先となりうるでしょう。

しかし、外国人観光客にとって、日本旅行で不安になるのは、コミュニケーション面。

言葉が通じない場合、いざとなればある程度身振り手振りでなんとか凌げるものですが(体験談)、道を聞いたもののよくわからず、到底歩ける距離でないところを2時間くらい歩いてしまったりすることもあります(体験談・それはそれで良い思い出)。

なので全くわからないよりも少しは言葉によるコミュニケーションが取れた方が、より旅の満足があがるというものです。

でも、今から町のみんなが外国語会話に力を入れて・・・となると、なかなか現実的には難しい。

そこで、外国人誘客に力を入れている自治体の多くで採り入れているのが、「指差し会話シート」。

旅先でよく使うフレーズや基本的な単語など、日本語と英語が併記されていて、お互いに言葉を指しあいながら、意思疎通が図れる、という優れもの。

道案内はもちろん、お店でお目あてのものが買えたり、オススメのところや食べ物を教えてあげられたり、使い方によっては、意外なほどに会話が成立します。

海外からお客さんを呼んだはいいものの、誰も対応できないのでは、来てがっかりですよね。プロモーションに力を入れるのであれば、内側の受け入れ態勢の整備もある程度必要でしょう(やりすぎるとかえって旅先としての価値が下がりかねないのも難しいところですが)。

というわけで、現在、岩村版指差しシートをせっせと作っております。



まだそれほど必要とされる場面はありませんが、準備が早いに越したことはありません。

岩村内で想定される外国人とのやり取りを思い浮かべながら、色々なシチュエーションに対応できるようなものにしたいと考えてます。

まずはお店屋さんに使ってもらって、コミュニケーションできた外国人観光客に「岩村は外国人フレンドリーだぜ」と口コミを流してもらい、さらにお客さんを呼び込む、って感じになるといいなと(笑)