サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

社内の仕事や規則等を軽減し、外に打って出ていく姿勢を作りましょう。

2017年01月16日 07時32分36秒 | 日記
スポーツで、相手のミスで勝つというケースはよくございます。ビジネスでもそういうことはございます。競合の戦略・戦術の失敗で、市場からの撤退を余儀なくされるケースです。この場合、「漁夫の利」で、自社に利益が転がり込んでくることがありますね。

上記のケース。「漁夫の利」を得たビジネスのその後を見ていると、どうもパッとしない。バットしないというのは、落ちていくというのではなく、進取の気性がもうひとつになる。「儲かったのはうれしいが、忙しくなって新しいことができなくなった」という気持ち。棚ボタの勝利のはかなさかもしれませんね。

もうひとつのケースで、相手の弱点をついて勝つというケースもあります。
スポーツを例に挙げるならば、相手の弱点をついてミスを誘い、それによって勝つというケースです。

戦略・戦術としては、後者のほうが望ましいです。
しかし、これは競合のことを相当研究していないとできない。

どこの会社も人手不足で、社内のオペレーションをまわすのに精一杯で、新しい事、競合の弱点を突くような勝負ができるのは、超大手のような人材の質・量が豊富なところではないと難しい時代になってきたと思います。

超大手以外の会社としては、社内で有効とは言えない仕事や規則等をできる限り軽減し、外に打って出ていく姿勢を強引に作らないと、社員も内向きになり、外で戦えなくなるのではないかと思います。

その会社の将来は、やはり厳しいものになるのかと思います。


ルーティンワークの人に、問題意識をもって仕事をしてもらうには。

2017年01月15日 09時53分23秒 | キャリア開発

「仕事は単調でおもしろくない」という気持ち。この気持を持続したままでは、慢性的なマンネリ状態に陥り、成長が止まることが推測されます。

ルーティン的な仕事をしている人に対して、「この仕事から何がわかりますか」という質問をしても、「ウーン」と唸って黙ってしまう人はおりませんか。

「何も思わないのか」と思っても、本人を責められない部分はあります。自己完結しているならば。

このとき、問題意識をもって仕事をしてもらうために、「問題意識をもって仕事をしろ」という上司からの指導は、あまり有効ではないです。というか、工夫が欲しいです。

これが有効かと思う指導は、その人の前後にある仕事。周辺にある仕事との関係性を示し、その関係性から派生している問題点を上司が示唆することです。というのは、本人は自分の業務そのものについて、問題点を指摘されるのは面白くない。特に、本人がノープロブレムと思っていればなおさら。
さらに、他人との協働を嫌う人もいますから。

ですから、最初は「私には関係ない」という態度を示すかもしれません。しかし、ここが指導のポイント。スタンドアローンの視点からの脱却。ここにもっていくことです。

細分化・専業化している今日の業務ではあるのですが、一方でシステムとして考えて働く習慣が必要ではないかと思います。

但し、これを行うには上司の根気は要りますよ。テコでも動かない人がいますので。
そうならないために、若い時からこの訓練は必要かと思います。


「温故知新」から「温己知新」へ

2017年01月14日 23時23分41秒 | 日記
「温故知新」という言葉。知らない人がいないくらい著名な語句で、その解説を聞くと、ほとんどの人が「なるほど確かに」となります。

 歴史の好きな人は、特にこの言葉に対する想いはつよいと思います。「過去の教訓を現代に活かす」というたぐいのもの。

 一方で、最近、テレビ各局で、歴史の再発見や見直し、或は他の研究分野からみたときの視点を取り入れて、歴史を再評価する動きが活発になっています。具体的にどこがどう変わるという議論は、ここではするつもりはありませんが、「随分、違うになあ」と思うようになりました。

 簡単に、「温故」をしてはならない。というか、できない。従来の通説から教訓を持ってくることは危険。特に歴史好きな人は。

 一つの提案。「温故知新」を「温己知新」にする。きちっと冷静に自分をふり返る。そこから、教訓を得て、新たな自分を作る。

言葉としては簡単ですが、「きちっと冷静に自分をふり返る」のは難しいです。しかし、これは訓練。日々、是、訓練。その積み重ねでなっていくものと思います。

経営者はいるか。その前に自分に自戒の気持ちはあるか。

2017年01月13日 21時58分23秒 | 経営者
「誰のために働くか」と言う質問をしたいと思います。皆さんだったら、なんと答えますか。多分、「自分のため」「家族のため」が多いと思います。

一方で、経営者に対して「誰のために働いていますか」と同じ質問をしたら、「顧客・社会・株主」という教科書的な回答に加えて、「従業員」という回答が帰ってくるはず。

よく、経営者が「全社一丸となって」といいますが、それは多分無理です。従業員と目ざしているもの違うのだから。しかし、経営者は「いや、うちは違う」と。こちらも見てもいないのから否定はしないが、幻想ではないかと思いたくなります。

著名な会社の経営者が、ビジネス誌や経済ニュースを賑わす。あたかも、功なり名を挙げた英雄のような扱いをする。しかし、その多くは、言っては悪いがサラリーマン出世競争の勝者であり、創業経営者の苦闘とは異なる。

しかし、それでもその勝者が語れば「なるほど」というコメントは頂ける。しかし、「それで会社と人が動くのか」という不安は拭えない。日本の上場企業の業績と、景気変動は相関性が高いことを証明した神戸大の三品教授の名著「戦略不全の論理」を読むと、日本に「専門」経営者はいたのかと思う。

厳しい時代が来る。そういう時代だからこそ、経営者の腕が試される。

しかし、一般の人は経営者に依存してはならない。経営者とて普通の人。神でもなければ偉人でもない。名経営者はごく一握り。期待することが筋違い。そんなことを期待するなら自分を鍛えること。

「それはわかってる」と人はいう。「本当か。そのためにこの10年何を残してきたか」と問いたら、答えられる人は、どれくらいいるのだろうか。

偉そうな発言だが、他人に依存しない、自分への自戒と思って反省している。




組織力という定量的に計れないものでも、仮説レベルで比較検討できるかもしれません。

2017年01月12日 19時25分18秒 | 組織
「1+1=2+α」という数式をよくみます。個人の力を合せることでシナジーとしての力であるαが生まれ、それが組織の力となる。この議論、実はここまでで終わっていますね。

この数式、競合する組織にもいえることです。例えば、「1+1=2+β」とでもしておきましょう。 
もし、個人の力がまったく自社と競合が同じとするならば、(実際は計れませんが)、組織力を決めるものはαとβです。つまり、α>β、α=β、α<βの三種類があり、組織力で勝つには、α>βとなるように対応せねばならないと思います。

個人の力を、自社と競合で比較して計ることはできないので、この議論は不毛だと思います。しかし、ある前提がそろえば可能かもしれません。自社と競合が同一の製品を作っているとします。自社が10人で作り、競合が20人で作る。売上は自社が1億。競合が1.6億。よって、1人当たりの売上は、自社1千万円/人。競合8百万円/人となります。

「これで自社が勝った」は早計です。付加価値、別の表現では利益を稼ぐ力のある会社が勝ち。自社のコストが8千万円なら、売上1億-コスト8千万=利益2千万となり、1人当たりの利益は200万円です。一方で、競合のコストが1.2億なら、売上2億-コスト1.2億=利益8千万となり、1人当たりの利益は400万円です。

利益では、自社200万円/人、競合400万円/人で負けています。ここで前提として、自社と競合の人材に差がないとするならば、利益は競合も200万円/人になるはず。そうすると、競合の一人当たりの利益400万円-個人の力で生み出す利益200万円=残りの200万円=βが「組織力」と考えてよいかもしれません。(設備や仕事の進め方も同じという前提も必要ですが)

所詮、数字の遊びでしかありません。「意味なし」とのご指摘がれば、「そのとおりです」ですが、組織力を考える際、「1+1=2+α」という定量的に計れないものでも、仮説レベルで比較検討できるのではないかと思います。



「組織の壁」よりも「組織の関係性」で考えると、、、。

2017年01月11日 21時16分26秒 | 組織

会社等、組織に在籍している人が、一度や二度、或は常時感じているものに「組織の壁」というものがありますよね。私は、この言葉が好きではありません。むろん、皆さんもそう思っておられるでしょう。

 こんなふうに考えてみてはいかがでしょうか。
「もともと組織には壁はなかった。壁を作ったのは人の心。着目すべきは組織の関係性の濃淡」

プロジェクトマネジメントでは、組織(各種のステークホルダー)について「関係性の構築・維持・発展」という考え方がございます。「壁の有無に関係なく、手を結ばねばならぬ時は手を結ぶ」という視点。

但し、手を結ぶ強さ、言い換えると関係性に濃淡はあります。しかも、濃淡には変化も伴います。

関係性における濃淡の変化は、時間の経過によるものや、事象の違いなどによっても起ります。

ビジネスをはじめとする組織の力が求められる戦いにおいて、利益相反や、好き・嫌い、合う・合わないを超えて、組織の関係性という視点から考えてみるとどうでしょう。  

組織の連鎖が悪ければ、勝てる組織にはならないのですから。

※関係性とは、ひとつの会社が有する内部の組織のことだけをいうのではありません。社外組織も該当します。むろん、社外の組織が社内の組織と一緒になるということではないのですが、関係性というものを社内だけで閉じ込めて考えないということで注記させて頂きました。



ラグビーの選手はラグビーが上手である前によい人間であること。企業人も学ぶものがある。

2017年01月10日 14時57分35秒 | スポーツ

帝京大学ラグビー部が8連覇を果たしました。前半20分まで14-0と劣勢でどうかと思いましたが、戦法の注力を東海大が挑むスクラム・フォワードからバックスに展開して前半を同点で折り返し、後半20分には立て続けにトライを奪い、33-26で逆転しました。

もう少し詳細に語ると、昨日の試合、帝京大はフォーワードが不利とわかると、バックスに展開。しかし、一昨日来の雨でグラウンドが柔らかく、バックスでパスをして走り回るラグビーも最初はもうひとつだった。濡れたボールは滑りやすく扱いにくかったが、勝負を賭けた。そして、攻撃のバリエーションを色々変えて走り回っているうちに、だんだん東海大の選手のスタミナが切れていくのが分かった。東海大は、帝京大が休みなく攻撃し続けることに防戦しているうちに、「考える時間」の余裕が乏しくなったのではないか。アナウンサーが、何度もインプレー中に「東海大のバックスラインがそろっていません」と言っていた。確かに、東海大の防御システムは崩れた。優れているチームは防御のポジショニングもしっかりして、攻撃に転換する際の態勢も考慮しているが、それができていなかったため、ボールを奪っても効果的な攻撃に展開できることが難しくなった。もちろん。普段の東海大ならできていただろう。

ラグビーは、野球のように1球毎にベンチやコーチのサインを確認して、打つか見送るかという「指示を待つ」ということはしません。基本は選手が考えて対応します。

昔の帝京大のラグビーはもうひとつでした。それを現在の岩出監督の指導で強くしました。その際に、ラグビーの強化もさることながら、人間としての成長を第一に掲げ、地域の清掃や子供たちへの指導も行いました。合宿所の掃除も4年生~1年生関係なく行う。素晴らしい人間教育です。

ラグビーの選手はラグビーが上手である前によい人間であること。企業人も学ぶものがあります。







グローバル?

2017年01月09日 09時59分02秒 | 日記

最近、グローバルと聞くと、違和感を持つ事が多いです。グローバルというのは簡単にいうと、ボーダー(境界)の無い世界。普遍的な価値で世界を見て対応していくもの。

違和感の3例を挙げたいと思います。
 その1 グローバルと叫んでいるのは、一部のところだけで、ほとんどは世界情勢とは関係なく、ローカルな状態が続いています。それは、海外に転戦してきた人の中にも、「世界のこととはあまり関係なく現地で過ごしていた」と言う例があること。

 その2 米国の選挙や英国のEU離脱など、境界を作って逆の現象に世の中が動き出している気配があること。

 その3  人材開発部門のグローバル施策。語学研修や海外派遣を中心したものが多いのはわかりますが、これは一昔前のグローバルと言う言葉が出てくる前の時代と何が違うのかということ。

ネガティブなことをいってますが、昔は「国際化」、今は「グローバル」。しかし、やっている仕事のほとんどは「地域」対応が多い。

但し、「地域」対応をする際に、視点として、世界共通となる規範や考え方を踏まえておくということが、グローバル人材の肝ではないかと思います。

しかし、現実は、「世界共通となる規範や考え方」を知った上で(?)、それを無視するかのように対応していく「地域」の戦いが展開されいる状況ですね。

よく、短期の海外派遣研修よりも現地赴任した方がよいといいますが、それはわかります。しかし、素手で行くのは危ない。現地に詳しい人がいない場合は尚更です。そういうことを避けたい気持ちもあると思いますが、現地で「日本人だけで集まる」ようになる。

それに反対しているのではありません。危険なので仕方がないです。今なら、ITを駆使してバーチャルな体験を、国内で学習できるツールがあるのではないかと思います。

    


本は自分で選びましょう。新しい自分の発見につながります。

2017年01月07日 20時43分46秒 | 日記


本を人に推薦することについてどう思われますか。
私はあまり賛成できません。

価値観、知識、問題意識、関心、経験、めざすもの、役割、感情等、これだけの要素があると、誰ひとりとして、同じ人はいないのです。

本を強制的に読まされ、「本は面白くない。やはりゲーム、アニメだ」と言う人は少なからずいらっしゃると思います。

人に勧められる本を否定しませんが、「自分に必要な本は自分で探そう」が結論です。

では、どうするか。

大きな書店や図書館に行って、手当たり次第に本を見ていくことです。
その際、分野を限定せず、様々な分野の本を見ていくことがお勧めです。
一字一句読む必要はありません。
書名、目次、著者の経歴、最初の数頁、真ん中あたり。そして最後のほう。
その中で、「あっ、これだ」というものが見つかると思います。

「意外。今の自分は、この分野に魅かれるんだ」という本との出会いがあるはず。

この感覚を大事にしていただきたいと思います。

これ、新しい自分の発見です。


「正しいOJTか否か」に向き合える人材開発部門でありたいですね

2017年01月06日 21時42分17秒 | 日記


人財開発の領域を「研修」「OJT」「自己啓発」という三分野でみたとき、人材開発部門の人が語るのは、研修のことばかりということはないでしょうか。
 
人材開発部門の人が、研修の内容のことばかり考えている姿、そして研修後にアンケートを取って、「よかった」という評価を頂いて満足した気持ちになっていることに違和感を覚えます。
(それが「研修部」という部門のネーミングならば、特に異存はございません)

要は、人が育っているかどうか。そこを統括するのが人材開発部門の役割ではないでしょうか。

この議論をすると長くなりますので、簡潔に結論だけ申し上げますと、
「正しいOJTが展開できるようにする」 これにつきます。(自己啓発については別の機会で)

OJTとは、上司が仕事を通じて部下を指導して育成することですが、それが正しいか否かを見抜けないといけないと思うのです。難しいことですが、ここから目を背けないほうがよいですね。
なぜなら、人が育つのは職場だからです。

ここに正面から向き合えるか否か。正に人材開発施策の成否が問われます。
「それは、職場の仕事だ」と思うのでしたら、部門名は研修部にしたほうがよいかもしれません。

箱根駅伝における敗戦を予言した言葉から考える

2017年01月06日 00時47分56秒 | スポーツ

勝った青山学院大学の一方で、負けた大学は19校。
その中で、去年のある大学4年生が、昨年の箱根駅伝の直後に語った言葉が印象的でした。

「今の〇〇〇では、、、、」 ⇒ さて、どんな言葉が入るでしょうか。

答えは「下級生」です。「今の下級生では、(勝てない)」と言いたいのだと思います。

素人判断では、「戦力的に弱い」ということでしょうが、この主将が言いたいことは、それ以上のことだということが、今回の駅伝を見て分かりました。

長距離走というものは、努力に比例して成績が伸びる種目と言われています。つまり、下級生の努力不足で結果が出ないことを予想した言葉だと最初は思ったのですが、実は、それは下級生の意識を不安視した言葉だったということがわかりました。

昨年のいつの時点が不明ですが、その下級生たちはこんな感想を持ったそうです。
「歴代の先輩たちの偉大さがわかった」と。

つまり、去年の駅伝が終わった段階では、この下級生たちは、自分たちの甘さに気づいてはいなかったのですね。

日本人の美徳?とされる協調性が悪い方向に働くと、こういうことが起きることがございます。精神的な支柱となるリーダーがその学年にいれば打開できたかも。ここでは、伝統と言う言葉も古語になってしまったのかもしれません。

3年前、日本体育大学が箱根駅伝に優勝した時の主将は3年生でした。素晴らしい主将でした。
また、今年の箱根には出ませんでしたが、1年生が主将と言う大学もございました。

もう、年功ではないのです。もう少しいうと、若いから良い、高齢だからダメではないのです。
そして単に実力だけでもなさそうです。

勝った青山学院大学から学ぶことは多いのですが、しかし、負けた大学からも学ぶことは多かった今年の箱根駅伝でした。










青山学院大・原監督は「H型人材」 これからの人の育成のあり方のひとつ。

2017年01月03日 19時12分18秒 | スポーツ
お正月恒例の箱根駅伝。青山学院大学が三連覇。見事ですね。

私は、原監督の著作を読んだり、講演を聞いたことがあります。その中でご紹介頂いた目標管理、コミュニケーションの取り方は、原監督が会社員時代に習得したそうですが、今の日本企業のお手本といえます。原監督の指導は、体育会系によくある「根性論」「厳格な上下関係」とは異なります。

 原監督は箱根を走った経験はないです。選手としてもうひとつ。しかし、引退後、営業職としての成果がすごかった。その経験が今日の育成、戦い方に生きているようです。 

 よく、スポーツで「名選手、名監督ならず」といわれますが、従来の意味では「自分ならできるのに」という比較論が失敗の素になったり、「過去の教訓」ではなく「過去の栄光」から語ると選手の士気が上がらない等、そういうことが原因で生まれた言葉と思います。

 原監督の場合、「陸上競技一筋ではない」ところ。というより、陸上競技以外に得意とする専門分野があり、そこで得た教訓を陸上競技に活かしました。それが斬新です。

 人財開発の本を読むと、たまに「T字型人材の育成が大事」と書いてあります。一つの専門分野とその周辺の知識を兼ね備えていることが重要と言う意味です。この背景には、ひとつの狭い専門分野しか持たない「I字型人材」の危うさから来ています。

 私は、原監督は「T字型人材」でとらえてよいのか考えました。敢えてアルファベットで語るなら、「H型人材」ではないかと。つまり、敏腕営業担当者の経験を、大学の駅伝に活かしたこと。ある一本の「I」の経験値を他の分野につなげて、もう一つの「I」を作ったこと。

これぞ、まさに、「H型人材」ではないかと思いました。
  

「一年の計は元旦にあり」?

2017年01月02日 21時43分15秒 | 日記
新年なので、新年らしい話題を。多少気楽な内容で。

 「一年の計は元旦にあり」と言われています。一方で、「初夢は元旦の夜に寝て見る夢」だったと思います。要するに、日本の場合、どのくらいの古来かわかりませんが、昔から「計画」の次に「夢」が来る。

 通常、「夢」があって「計画」が作られるのですが、日本の年始の言葉を見ると、どうも順番が逆のようですね。むろん、それが間違っているとか、そういうことではないのですが。

 P(計画)D(実行)C(検証)A(是正)をぐるぐると展開することは大事で、このとき、Pに重きを置くのが重要と言われてきましたが、本当なんだろうか。計画の完璧性を狙うと、タイムレースの今日負けてしまうことも。。。。

 あるソフトウェアは、UPDATE版を次々と繰り出してくる。これは、色々な意味があると思いますが、当初の計画だけでは不充分だから。計
画は重要です。しかし、タイミングを逸するような計画は、どうなんでしょう。

 これ、言うは易いが、なかなかできるものではないですね。マジメ、堅実な人が計画を練ると、「石橋を叩いてわたる」になります。しかし、本人が「石橋を叩いた」つもりでも、思わぬところにヌケ・モレが出てくるのが今日のビジネス。つくづく、難しい時代。。。

やはり、ビジネスには、最初に「夢」があるといいですね。


AI(人工知能)が人材開発担当者を乗り越える日が来るでしょうか。

2017年01月01日 23時22分41秒 | 人材開発部門
 AI(人工知能)が人材開発担当者を乗り越える日が来るでしょうか。
「そんなことはない。せいぜいe-ラ-ニングに毛の生えた程度に留まる」と思っておられませんか。

しかし、AIがのつ特性である「ディープラーニング」は、もしかしたら人材開発施策を大きく変え、人材開発担当者の役割をも変えてしまうかもしれません。
今年中にそういうことができるとは思いませんが、何れできるのでは。

ご存じのように、AIは碁や将棋の世界で、すでに互角以上の戦いを見せています。
医療の世界では、ある難病を突き止め、治療法の決定に対して、お医者様よりも的確、且つ迅速に指摘できるようになってきたそうです。

人財開発の分野ではどうでしょう。先ほどのe-ラ-ニングは、まだAIを駆使してはいませんね。
ならば、コーチングは。。。 
「そんなことはあるまい。人間の感情を読み取る仕事が、機械に取って代わることはない。」

しかし、「人」対「人」のコーチング」では、コーチとクライアントの「相性」というものがあると聞いています。どんなにすばらしいコーチでも、ウマが合わないクライアントを前にして、よいコーチングはできません。
「AI」対「人」のコーチング」では、人より上手にコーチングができるかもしれません。
『コーチング・ロボット』の誕生、、、か。

人財開発担当部門の人は、文系出身者が多いですよね。それ事態は問題ではないのですが、AIは関係ないと思わず、技術の進歩が人材開発の業務にどう革新もたらすか。
それが、これからの人財開発の未来を作るための課題のひとつと思っています。

昨日まで述べたステークホルダーを思い出してみましょう。どうでしょう。
新たなステークホルダーとして、AIが台頭してくるような気がいたしませんか。