昨日は急な東京日帰り。
若い頃から姉のように慕っていた従姉が亡くなった。
平日に火葬を済ませての骨葬という形式だった。
斎場に入ると、懐かしい笑顔の遺影の前に白い小さな箱。
ご遺体に会えないと実感が湧かなくてうまく悲しめないんじゃないかとちょっと不安だったのだけど、全然そんなことなく、むしろ、ああ、こんなに小さくなっちゃって・・・と胸が詰まった。
5、6年前に親戚の集まりがあった時、和服好きな彼女はその時も綺麗に髪をセットして着物で来たのだったが、
「(海老蔵さんの奥様だった)麻央ちゃんと同じ病気で手術して、一度は髪が全部抜けてしまったけどやっとここまで戻ったのよ~」と、明るく話していた。
結局、それが直接会えた最後になった。
明るくて多趣味で、お喋りするのが楽しい人だった。
またいろんな話がしたかったな・・・と思う。
まさかと思っていた娘が結婚するかもしれないのよ~、なんて言ったら、どんなにお喋りが盛り上がったことだろう。
転移の場所が悪くて、治療ができなかったそうだ。
そして、身体が弱ってきたときに家の中で転倒して大腿骨を骨折してから更に悪くなったとのことだった。
夫である従兄が喪主挨拶で、
亡くなる一週間ほど前に二人でいろんな話が出来た時間があって、「あなたと夫婦になれてよかった」と言われたことが本当にありがたかったと。
ノートにたくさんの人に宛てた感謝の言葉が残されていて、これは自分の一生の宝になると。
私は二人が恋人だった時代から知っていて、なんならそうなったいきさつまで知ってるくらいで、結婚後のいろんな苦労も知っていて、夫婦二人三脚ってこういうことなんだなと思ったものだった。
だから、そんな同志のような連れ合いに先立たれた従兄がどんな思いかを考えるのも辛くて、どう言葉を掛けたらよいかもわからず、曖昧なお悔やみの言葉だけで帰ってきた。
自宅から私鉄特急と新幹線を乗り継いで品川まで3時間、そこから弟の車で2時間の斎場を、1時間ほどの式でまた帰路に。
朝、6時半に家を出て帰宅は23時半、身体の疲労もあっていろいろ考えてしまった夜だった。
ノートの一部を見せてもらった。
強いなぁ。自分の命の終わりが見えてきたときに、自分はこんな風にみんなに感謝できるだろうか。
出来る人でありたい。次の世界を生きる気概で死に臨みたい、と思った。
朝ドラで、万太郎のお母さんが死ぬ前に「また会おうねぇ」って言ったシーンがすごく心に残って、ああ、いいな、って思ったのだったけど、今まさにその言葉がいちばんしっくりくる。
また会いましょう。
そして、思い出話に花を咲かせてたくさんお喋りしましょうね。