思いつくまま、気の向くまま、

ボンクラのつぶやき

台風一過

2011年09月22日 18時31分59秒 | Weblog
台風15号は北上してオホーツクで温帯低気圧になった。

進路が北東方向だったので札幌はさしたる風雨もなく過ぎていったが
道東方面に居住する皆様にはお見舞い申し上げます。

さて「台風一過で秋晴れの空」こいつは北海道とは無縁のようだ。
ボンクラの容量不足の記憶回路を辿ると、
本道を縦断する台風が過ぎ去った後で晴天と言うケースはほとんどない。

今回も同様で鉛色の空と低温状態だ。

今回のように冷たい雨に打たれた後は、
青空の下、背筋を伸ばして気持ちよく深呼吸の一つもしてみたいものだ。

今日も時雨模様で肌寒く、とうとう足元ヒーターをオンにしてしまった。
まだ9月だから気持ちのモードは切り替えないが、短い秋は加速している。

また今日はすでに22日だ。
これで洋紙値上げの目論見は基本的に10月1日は無理だろう。

これから年計の見積もり依頼が出てくる時期だが、
現行の価格のままでご提出はリスクが大きいだけに困ったものだ。

上がることを前提にした話は癪に障るが・・・どうなることやら。



らじる

2011年09月21日 17時30分31秒 | Weblog
会社にいるとネットで情報を取得するが、どうしても即時性に欠ける。

今日のように台風15号の情報が気がかりな日はNHKラジオがネットに配信している「らじる」が便利だ。

先ほどから、このらじるにアクセスし音声を聞きながら仕事をしている。

まさに学生時代に深夜放送を聞きながら一夜漬に没頭していた状況だ。

視覚は仕事モードだから極端に気が散るわけじゃない。

今しがた相撲中継に切り替わり接続をオフにしたが、こいつは便利だ。

文字情報で仕事をしていてもと聴覚情報とは喧嘩をしないことが判った。

なにやらこの「ながら」が日常になりそうだ。

オン・オフの切り替えは瞬時にできるから、電話があっても即応できる。

これがメディアミックスというかクロスメディアと言うのかわからないが

情報取得のスピードがまさしく上がった訳だ。

ご存知の方々ばかりだからブログに書くには詮無いことだが

NHKのHPにアクセスして「らじる」をお気に入りに入れるだけで

即 第一・第二・FMが聴取できる。 お試しあれ。

ただしNHKローカル放送は入らない。

恩師・友 遠方より来る

2011年09月14日 09時20分20秒 | Weblog
先週末に熊本から後輩が来た。
年齢は彼のほうが上だが入学が先だと先輩風を吹かしても問題はないのである。

また、恩師が神奈川から、更には15期後輩が東京から来てくれた。

この春に上京した折に意気投合して「清清しい北海道でゴルフ三昧」が実現したわけだ。

本当は梅雨入りした時期にやろうと衆議一決したのだが、
それぞれに諸事情があり、この時期にずれ込んでしまった。

ゴルフは「自らの足で歩く」が基本だが遠来の彼らは、
歩き・スルーと聞き尻込みをしてしまった。

歩かせて筋肉痛にでもなると文句の雨あられとなりそうなので、
二人乗りのカートをレンタルした。

こいつに恩師と熊本の後輩が乗ってのラウンドだった。

疲れなど感じずにプレー終了だと思ったが、
なんと折り返して数ホールで恩師は「疲れた」の連発じゃないか。

見た目はボンクラと大差ない容姿だが、
幾つかの手術を経てきた体だから無理はきかないのだろう。

しかし15歳も若い後輩も言葉少なになり、
あきらかにバテ気味だったから彼の普段のゴルフも乗用カートなのだろう。

ミドルが400ヤード以上のホールが多いのとショートが平均で180ヤードと
長かったのも疲労感を感じる原因だったようだ。

まぁ食事や飲み会も影響したのかもしれない。

でも勝手気ままに罵詈雑言を言い合ってのラウンドは楽しかったな。
次回は来年3月に熊本でのゴルフと約したが、どうなることやら。

封筒屋の3月は繁忙期・・・(になるだろうか)だけにスケジュール調整に頭を悩ましそうだ。

夜の部で恩師の演歌一直線には驚いた。
なにしろ収録数が多いカラオケなのに入っていない曲が何曲もあるのだから、
「この歌知っているだろう?」と問いかけられ首をひねる回数の多いこと多いこと。

北海道ナイトもそこそこ楽しんで頂けた様だった。

初秋を呼ぶ長雨

2011年09月07日 10時05分19秒 | Weblog
太平洋高気圧が衰え前線の通過が増えるこの時期らしく
雨の多いうっとうしい天気が続いていた。

台風12号がもたらした被害報道に北海道の長雨も取り上げられていたようで
昨夜は長崎の旧友からお見舞いの電話をもらった。
彼とは学校は違ったが同じアパートだったので、とにかくよく遊んだ友人だ。

年に一度くらいは互いの近況報告しているように思っていたがなんと二年ぶりの会話だった。

彼は一人息子という事もあり、長崎から母親が頻繁に上京し、
なにくれとなく面倒を見てくれていた。

当然ボンクラもご相伴に与る訳で随分お世話になったものだ。

そのご母堂が二年前に亡くなったと聞いて驚いてしまった。

かなり前の話になるが家族で長崎にお邪魔した折にも歓待してくださり
お元気な「おかあさん」だった。
ご冥福を心からお祈りします。

ひとしきり思い出話をして、近況報告になったが彼は完全リタイアをして月に10日のゴルフ三昧。

年金の手続きもしていないそうで、どうやって生計を立てているのか聞くと退職金と賃貸収入とのこと。

RC4階建てで単身者用のアパートを建てたそうだ。

江戸のお職人のような宵越しの金は持たない無頼な生き方をしていたボンクラとは対照的で、
彼はいつも金を持っていた。

そんな訳で彼から急場を凌ぐ金を借りることが随分とあったものだ。

だから賃貸収入を得て生計を立てていることに「あいつならやりそうだ」と思った。

其処へ行くとボンクラのキリギリス振りは学生時代と大差なく、
着実とか堅実や設計などと言う単語が欠落する生き方だ。

まぁ現役だからと強がってみても、生来の無思慮な行き当たりばったりは今後も続くだろう。
困ったおじさんだな。

またボンクラの周りには夢を語りそれを実行する友人も多い。
そんな奴らの真似はなかなか難しいが、
モデル例をいくつも知ることは今後とても大事だろう。

長崎の友人と話して、自分の行く方を考えてしまった夜だった。