思いつくまま、気の向くまま、

ボンクラのつぶやき

年の瀬に思う

2010年12月29日 08時57分12秒 | Weblog
昨日で仕事納めとさせて頂いた。
今日も営業をされている得意先もあるので少々フライング気味だったかも
しれないが、とにもかくにも多くのお客様のお陰で無事に仕事納めまで営業できた
ことに心から感謝したい。

昨日は臭い物に蓋式で扉の付いた書庫にぶち込んであった書類などの廃棄に
数時間を要した。個人情報に関するものはシュレッダーし、それ以外は思い切って
処分をした。このところ扉を開けると乱雑極まりない状態にうんざりしていたので
かなりすっきりした・・だけど捨てて大丈夫だったのだろうか一抹の不安を覚えるな。



さて、この一年を振り返ってみると、かなり密度の高い年だったように感じる。
そう思える要因の一つが、数年越しで実現を目指した案件を断念したことだろう。
この選択で良かったと考えている。しかしことの成否は判らない。

復活もあり得るのでその内容は書けないが、ともかくエネルギーのいる
決断をしたことが、いの一番に思い出される。

こんな奥歯にはさまった話しは詮無いばかりだな。

さて、IT化に起因する封筒需要の減少は未だ下げ止まらない。電子納税は勿論、
ネットでの請求確認など封筒に情報を入れて送る手間を省いた伝達方法がかなり
進捗の歩を早めている。大口ユーザーの紙離れ・封筒離れは今後も続くだろう。

携帯やPCのメールなど封筒を介在させずに情報が飛び交うなどネガ要因には
事欠かない。だから定期物が減少し繁忙期間の縮小がより明確になる。

これは封筒に限らず事務用印刷物全てに当てはまるだろうし、商業印刷・フォーム印刷にも
当てはまることだ。

ある方がおっしゃっていた「此処からの二年が正念場だ」生き残れるか否かが問われる
ことになるそうだ。
幕はすでに開きある意味筋書き通りに事は進行している。この現実の中で何が出来るか
何を為すべきが最善かを考え実行すること。問われるのは熟慮と決断。

短慮で刹那的でサイコロをふりふり生きてきたボンクラには厳しい前途だが、先を切り開く
バイタリテーはある。来る年は努力と決断の年としたいものだ。

結ぶになるが
無益で進化のない拙ブログをどこまで更新できるのか判らないけれど、来年も
出来るだけ書いていきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
良いお年をお迎え下さい。





年末のご挨拶

2010年12月24日 19時38分34秒 | Weblog
休みを挟んで今日でご挨拶周りを終えた。

終日息子の運転する車に乗り、長年頭に入っているルートをたどった。
以前と比べると運転も上手くなり冬道走行でも安心して乗っていられる。

せっかちだから「飛ばせ」「止まるな」などと道徳心のない命令口調の言葉を
吐いてしまうが、慣れたもので息子は馬耳東風、「何分も違わないよ」と
何度もたしなめられた。

昼飯代は当然ボンクラの財布から出るが、無尽蔵に金が入っていると考えているようで
ランチとしては法外に高いものを選ばれてしまい、散財を強いられた。
次は鰻を所望すると言われたが、お陰様で今日で終わりなのでほっとしている。

情けないアラ還親父だこと。

忙しい中で話しのお相手をして頂いた方々からは、「繁忙期である月なのに」とか
暇だからひょっとすると一年は13ヶ月あって来月が師走じゃないのと軽口を言われる
方もいらっしゃった。

外交辞令もあるだろうが総じてこの時期に見合う受注量ではないと話されていた。

ボンクラは忘年会などで早めに会社を出ることが多かったが、その割には翌日の事務処理量が
溜まっていないものな。

来年の名目成長率は1.5%と予測し2010年を下回るようだが、たとえ予測数字はどうあれ
自分たちの出来ることを確実に行い、新しいご提案が出来るよう知恵をしぼり行動し
努力をする。全くの新機軸を打ち出すことは難しいが、隙間はまだまだあるだろう。

さて今日はイブだ。メタボ改善のためケーキは持ち帰らない予定。


有意義な一日を過す。

2010年12月20日 17時47分12秒 | Weblog
先週土曜日の旭川での新鋭機見学会は勉強になった。

フォームの機械は他社で何度か見せて頂いて多少知ってはいたが、所詮は封筒屋で門外漢だから
上辺だけの理解でしかなかった。

今回は全ての工程を見せていただき随分と勉強になった。どこまで書いてよいのかお断りをして
書いているわけじゃないからおっかなびっくりだが・・


ともかく地域性もありあらゆる仕事を内製化されているので、各種のマシンが並びエーこれ何??とかoh!!
と驚くような機械があった。

社長は謙遜されて、何に使えるかよく判らないまま勢いで契約をしたと話されていたが
最終工程にヘッドを付けてバリアブル印刷が可能な仕様は、多くの可能性を持たせる設備だと
感じた。

個人情報の処理と入力するデーターの問題はあるだろうが(ここが大きな障壁になるが)仕事の幅を
飛躍的に広げることが出来ると門外漢は唸ってしまった。

それともう一つはその敷地の広さだ。旭川駅から車で少々時間がかかるが、広い敷地に倉庫棟が
二つと工場棟が二つあるのだ。狭い面積でやれ物流線だなんだで悩まなくとも、設備導入できる
余裕があることはすごいパワーになる。

確かに真の効率を考えたなら違う取り組み方もあるだろうが、広さはパワーだと実感した。

「よく判らないが買ってしまった」は大いなる謙遜であり、無言で何とか物にしてやると言う
自信の表れだろう。気持ちが縮み上がって臆病にならざるを得ない状況で「いや待てよ」を
打ち消す心意気に触れることができて本当に嬉しかった。

行き帰りの車中での会話も楽しかった。ボンクラはともかくご一緒した3人は会社の経営者であり
見識の高い方々だったから、諸事薀蓄のある話が聞けた往復2時間半余りの時間だったな。

昔から駅弁大好きだから、一人だけ行きの車中でかに三昧弁当を食べたが、車窓の景色と
相まって旨かった。

また、見学をさせて頂いた後で舌鼓を打ったのが キンキ・アンコウ・タチ入り味噌仕立て鍋
こいつがの旨い!天麩羅にするには勿体無い、でかいタラバの天麩羅や刺身も旨かったな。

帰札後に忘年会二次会に駆けつけたが旭川での酔いもあり、最初から参加できなかったことを
詫びて少しは小さくなっているべきが本来なのに、無駄口が多いボンクラだった。





年末年始に用意した本

2010年12月18日 10時09分13秒 | Weblog
この時期になるといつも本を買ってしまう。

年末年始のお休みを読書三昧で過そうと考え購入するのだが・・・

アマゾンは歓楽街の客引きの如く過剰なサービス精神旺盛で、ボンクラはいつも引っかかってしまう。
今回も5冊の本がすでに届いたが、速読術でも身に付けぬ限りとても読み切る分量じゃない。

トイレや風呂場で読める肩のこらない本が2つ、あとは以前から読みたいと思っていた全3巻の本だ。

「波照間の怪しい夜」と「ビールうぐうぐ対談」共に椎名誠本、この2冊を読み切る程度だろう。

信長本を複数読み返し 今は津本陽の「外天は夢か」の1巻半ば、いくつか忘年会に出席していると
ページが進まないから年内に全3巻読破は難しい。

今回購入したのも全3巻だが、こいつの読み始めは何時になることやら。

さて、実稼働日はあと1週間となった。現在ご依頼を頂戴する見積依頼はほとんどが年明け以降の
案件となる。中には雪融け頃のものまであり、この直近を埋めるようなご依頼はほぼない。

ここから仕事納めまで多少のご予定を入れて頂いてはいるが、受注残で食いつなぐ耐乏状態になる。
ヤードは完成品ばかりで、落語家が地方に行くと口にする「私のかばんにはまだ多少の余裕があります」状態
だ。

今日はこれから旭川へJRで向う、厳しいなかで新規設備をされる先へご挨拶に伺う。
ポジティブな心意気を分けて戴こうと思う。

夜は札幌に戻り忘年会謙古希の祝いの二次会に途中参加する予定だ。
これじゃ本など読めやしない。

シュナ

2010年12月16日 18時26分02秒 | Weblog
何度か拙ブログでも取り上げた我が家の愛犬が逝ってしまった。

3週間ほど前から歩行困難となり、介護が必要な状況で体の力が日々落ちていることは
抱く度に手に伝わっていた。

呼吸も乱れお腹で浅い息をしていたので、その寿命にも思いを馳せなければいけないのかと
考えてはいた。

出張で戻れない時に万万が一何かあったら即帰宅すると決めていたが、幸い札幌を離れて
いる時には小康状態を保っていてくれた。

しかしこんなに早くとは夢想だにしていなかった。年末に帰省する娘夫婦に撫でてもらい
寝てはいるが愛くるしい姿を見てもらえると思っていたのに。

昨朝はボンクラの日課になっているシュナの朝食の世話で、ロールパン1個とバナナを食べてくれた
食事も取れなくてひもじい思いで生を終えたのじゃなくて良かった。

月並みな言葉しか持ち合わせがないが、亡くして思うことは、本当に心底愛くるしい家族の一員
だったと言うことだ。

夫婦して「ねぇシュナ○○はそうだよね」と話し掛けていた。無論回答などあろう筈もないが
小首をかしげてくれる様に互いに満足をしていた。

世の愛犬家もボンクラ同様にその存在に癒されて日々を過ごしているのだろう。
夫婦にとってかけがえのないものを失った悲しみは一緒だが、日々暮らしを共にしてきた
山の神はボンクラの比じゃない空虚感を覚えているだろう。

生あるものは滅すの理は理解できても、失うことで虚ろになった心はしばらくこのままだろう。
でもそれが当然のことだから。

火葬された時に煙突から立ち上る僅かな陽炎のような煙を見て、シュナの魂が天国へ召されて
いるのだと思った。

寂しく悲しい現実を受け止めてしっかりしなければ、シュナが心配する。
12月15日は生涯忘れることがないだろうな。