思いつくまま、気の向くまま、

ボンクラのつぶやき

今日は何の日

2011年06月29日 19時18分14秒 | Weblog
出勤時に聞くラジオ番組はNHKだ。

若い頃は、どうして年長者はNHKを視聴するのだろうかと思ったものだ。

しかし低めの声のトーンや話のスピードが耳に優しく、
今やボンクラはNHKのファンになってしまった。

まさに年長者世代なのだな。

そんな訳で今朝もNHKラジオを聴いていた。
短いコーナーだが「今日は何の日」がある。

過去の同日に起きたシンボリックな出来事を紹介するのだ。

1969年6月29日に新宿西口駅舎でフォークソング集会があり、
7200名が集ったと実に短くコメントされた。

ボンクラは上京して三ヶ月で、多少一人暮らしにも慣れ始めた頃で、
西口で集会があることもしっていた。

もう少し「何でも見てやろう」の野次馬根性があれば参加していただろう。
せん無いことだが行かなかった事は失敗だった。

このコーナーでは西口フォークゲリラ集会が機動隊に弾圧され、
都が条例を改訂して、公共の場で自然発生的な集会を開けなくなったことには触れていなかった。

その時代の空気を吸っていた一人としては、
実体験出来たことをむざむざ逃した無念さを今更ながら感じる。

1968年から1970年までは騒然とした時代だった。
もっとも多感な時期だったから尚のこと鮮烈な印象を持っている。

その後はアルバイトに明け暮れ学業放棄でドロップアウト、
留年を繰り返したが、その事実は母のところで止まっていた。
何も知らない親父の一言が忘れられない。

「ヒトシ(ボンクラの名前です)就職はどうするんだ」

そう言われた時は3回目の2年生で、放校寸前だった。
何も知らない親父は驚いた事だろう。
真面目に学業に励んでいると思った息子がアルバイトに現をぬかし遊び呆けていあたのだから。

でも一言「そうか、卒業は先なのか」

馬鹿息子でもこの一言は堪えた。

親父を驚愕させたことはこの他にも幾つかあるが、
その度にさぞや気落ちしたのだろうと思う。

6月26日に二十三回忌を行ったが、心配をかけた事を改めて詫びた。

また横道にそれてしまった。

待てば海路の日和あり

2011年06月22日 20時47分30秒 | Weblog
昨年の4月に数度の打ち合わせをさせて頂きお見積書を提出した案件があった。

手応えはそれなりにあったが、翌月に担当されていた方が変わり、一年以上やり取りが途絶えていた。

ボンクラに俊敏さがあれば展開も変わったのだろうが、時の経過と共に諦めてしまった。

それが何と一年以上経過した先週にご連絡を頂戴し、「見積書は有効か」と問いかけられた。

慌てて履歴を検索して内容を確認し、同じ条件でお受けできますとお答えした。

確認事項や詳細な打ち合わせが近々あるかもしれないと思っていたら、
なんとなんと注文書がファックスされてきたではないか。

よく言えば待てば海路の日和ありだが、無為無策であったことを大いに反省している。

機が熟するには時間が必要だったのかもしれないが、
どちらにしてもこちらからのアクションがなさ過ぎた。

アクティブでありたいと常々標榜しているが、どうも体型の崩れとともに鈍重になっている。

一念発起してメタボから脱却できると、自ら定めた就労年限までやれるだろうか。

1回目に公言した就労年限は59歳だった。
実現させるには借金が多すぎるしこれはいかにも早すぎた。

今はアナウンスを控えているが、早すぎると濡れ落ち葉タイプだから持て余される。
もう少し社会のお役に立てるよう努力しよう。

行きがかりで決意宣言みたいな展開になったが想定外だな。


豪雨になす術なし

2011年06月21日 18時03分16秒 | Weblog
自由人Oさんは予定通りであれば来週29日に札幌に戻る。

しかし連日の報道にあるように、九州は大雨雷注意報が発令され鹿児島・熊本で苦戦している。

鹿児島では旧友宅にお世話になり畳の上で過ごせたが、
それ以降は道の駅の軒下、バス停、公園の東屋を根城に過ごしている。

雷が鳴るとビリビリとテントが振動したり、
暴走族風のお兄ちゃんたちが騒いだりして、
ゆっくりとした睡眠もおぼつかない状態らしい。

また、場所が場所だけに蚊や蟻にも難儀している。
考えたくもないが蚤にもやられているようだ。
「川越さん蟻に噛まれるのが一番痛いよ」と言う。

豪雨で衣類もシュラーフも湿っぽく、環境は劣悪のようだ。

キンカンやその他かゆみ止めがなければ過ごせない。
考えただけでかゆくなる。

そこへもってきて、足止めで暇なものだから芋焼酎にはまって連日の飲酒。
虫がまとわり付いても何の不思議もない。

しかし、電話で話を聞いているとなんとも意気軒昂なのだ。
むしろその環境を楽しんでいる。

このところ食事はお弁当と少量の九州の旨い魚の刺身、それに缶ビール一本、焼酎。

沸騰したお湯に焼酎を流し込む、土地の人の飲み方を実践し、すっかり焼酎党だ。

昨夜は肴がないので、残っていた魚肉ソーセージで一杯だったが、
心優しいOさんは、寄ってくる蚤だらけの野良猫に分け与えながら飲んでいたようだ。

自然体で「矢でも鉄砲でも持って来い」になっている。
同じことをしたいとは露ほども思わないが、今を在るがままに受け入れ、
時計の針がどんなに遅く進んでも泰然と過ごせる生き方は敬服に値すると思う。

せっかちで落ち着きがなく、周りまで自分の性急さに巻き込む迷惑千万なボンクラだけに、
Oさんの「緩さ」や「鷹揚さ」その一欠けらがあれば良いのにと思う今日この頃だ。

今日は阿蘇のユースにたどり着いていれば、
室内で寝ることが出来るがその前に衣類に潜んでいる虫をチェックだろう。
あぁかゆそうだな。

山車

2011年06月17日 08時44分52秒 | Weblog
昨日も街中で神宮に向かう山車の行列と遭遇。

うまいことに信号で止まった先頭だった。

約10分ほど華やいだ雰囲気を味わう事が出来た。

もう少し観ていたかったが、無粋な警備員が次の山車を止めて、こちらの車線の車に進むよう促し、やむなく動かざるを得なかった。
残念!

約束の時間もあるが、年に一度のお祭りだから、駐車場に入れて見物していたかったな。

この時期はリラ冷え、寒さが戻るのだが、快晴で気持ちが良かった。

例年お祭り前後までは、そこそこ忙しいのだが、今年は雰囲気が違う。

なんとか受注残を持てるよう、それこそ神頼みだ。

さて神宮の主神はどなただったやら、罰罰当たりなボンクラなのだ。

祭り

2011年06月15日 19時03分16秒 | Weblog
初夏の札幌ではヨサコイが終了したら神宮祭。

古い札幌っ子は神輿や山車、露店にワクワクしてしまう。

今日、街中で豊水地区の山車と遭遇した。
車の窓を全開にして横笛と和太鼓の音色を楽しんだ。

山車に乗っている綺麗どころのお姉さんは随分と若い芸者さんだったが本職だろうか。
携帯で写そうと思ったが間に合わなかった残念だな。

ボンクラが子どもの頃は商売をやっている所に山車が止まり、
笛や太鼓に合わせて舞いを披露してくれた。

あの時の「おひねり」はどの位だったのだろうか。
また山車を曳く男たちのなかに、親父やもう退職した工場長や相談役が必ず混じっていた。

祭り装束というか裃に脚絆で草鞋履きのいでたちで、
声をかけるとうんざりしたような声で「疲れた」なんて言っていたな。

そうして山車の上は本物の芸者さんだった。それも大年増のお姉さん。

祭りと言うとボンクラはむやみに興奮して、
神輿や山車にくっいてどこまでも行ったものだった。

露店のある公園に早朝から夕方までへばりついて、
口上売りの物まねやサーカスお化け屋敷の呼び込みを覚えたものだった。

長じて一時期いっぱしイナセに神輿を担いだりもしていた。

こんなだから祭りは大好きだ。

ヨサコイに押されて影が薄くなっている今はとても寂しい。

札幌っ子たちで大いに盛り上げてもらいたいものだ。