思いつくまま、気の向くまま、

ボンクラのつぶやき

昨夜のイングランド戦

2010年05月31日 18時06分40秒 | Weblog

4年に一度のワールドカップが今ひとつ盛り上がりに欠けてはいるが
昨夜の格上イングランドとの一戦は楽しみだった。隣国韓国との試合は
ナショナリズムがいやが上にも高まり、負けない日本を前提に試合を見るので
なんともやるせない結果にモチベーションが下がってしまった

しかし格上イングランドとの戦いはどこまで善戦するかがポイントで冷静な
視線で試合を見ることが出来た。

試合開始後から気になったのは中盤の基点の一つ 遠藤の出来だった。
これは及第点には達しないプレー振りで、寄せられる前に横パスか
バックパスで、組み立てるサッカー とは程遠く、かなりがっかりした。

背を丸めて蹴りだすパスに意図が感じられない。中盤は相手のプレッシャーも
強く簡単なポジションじゃないことは理解できる。しかし大きく切り返す意図が
ないから、パスを送られたMFが追い詰められボールを奪われ、反転攻撃を受ける
シーンが多かった。遠藤に渡ると歯がゆいシーンが多かったな。

イングランドは後半5人のメンバーを入れ替え中盤を支配しにきた。
1点のビハインドを取り返すべく手を打ってきたが、日本はなんと前半と
同じメンバーで挑むじゃないか。

本番もこのメンバーで戦うぞと言う岡田さんの意思表示なのだろうか。
前半受けたプレッシャーでくたびれ、クリアーボールも小さくなっていた中澤や
余り機能していない遠藤などを交代させるフレキシブルな采配が欲しかったな。

人を動かすのは勇気がいる。ましてや望外に1点リードしていたから
尚のことだろう。しかし今回の試合はあくまでもワールドカップへの調整と
個々の選手が強豪相手に機能するかどうかの見極めが中心だ。

遠藤のポジションをこなせヨーロッパで体を張ってプレーしていた稲本の順応力を
試して欲しかったな。 それに中澤の控えには岩政もいる。

監督を付託された岡田さんには、テレビ桟敷のボンクラには判らない深謀遠慮が
あるのだろうが、疲れて運動量が落ちてからの交代では、投入して局面を
変える意図が機能しない。

ともかくテレビ観戦をしていた日本中のにわか監督は、今後に多少の光明を
見出したことだろう。戦え日本だな。


構想とアプローチ

2010年05月29日 11時42分11秒 | Weblog
昨日の鳩山総理の記者会見を見た方も多いことだろう。

政治のことには触れないことを自分なりのルールにしているが
違う観点から考えてみたくなった。

日本における米軍基地の75%が沖縄に集中し、佐藤首相の手による沖縄返還が
実現されてこの方この現実は変わっていない。

米国は沖縄を安全保障上の要石と位置づけ、沖縄の人たちは自らを捨石と
捉えている。

ベトナム戦争当時はB52が嘉手納の基地から数多く飛び立っていた。

だから沖縄の人たちの負担軽減を目指す構想は当然の如く為政者が
行なわなければならぬことだと思う。

しかし戦後60年以上続いている 安全保障上の沖縄 を考えるならば
トラストミーと請け負い短期間で解決を図ろうと考えるには余りに軽い。

マニュフェストの履行と米国との同盟関係を天秤にかけるならば、拙速こそ
もっとも避けなければならないことだったと思う。
否応無に基地に依存する人が存在すると共に、基地の存在に生活を
脅かされる多くの人たちがいる。

このような状況をどのように解決するのか、多くの国事を抱えた
総理が簡単に問題解決出来よう筈もない。構想や良ししかし
そのアプローチと問題解決に費やす時間の見積が大いに甘かった。

比較しちゃ笑われるが、社長としての将来構想とあい通じるだろう
アプローチと決断に問題があると結果は芳しくない方向に行ってしまうものな。





小豆島八十八箇所結願す。

2010年05月28日 18時14分12秒 | Weblog
自由人Oさん本日昼に小豆島の八十八箇所を打ち終わった。

雨に降り込まれ三日間身動きが出来なかった日を入れ十日間で
廻り終えたわけだ。

全てテント泊、ゆったりとしたペースで歩いていたから時間もあり、連日ブログ
にアップする写真が20枚ほど、お陰で小豆島について多少理解が深まった。

一周130k程度の島には沢山のお寺があり、多くの山岳地帯がある。
この島の岩石を切り出して、大阪城遠くは江戸城の城壁に用いたくらい
ごつごつとした岩山が多い島なのだ。その岩石をくりぬき修行の場を作り
へばりつくにお寺が建立されている。

四国と同じように多くの弘法太子の足跡がある信仰の島のようだ。

温かな人情に触れ感謝の念を強く持った十日余りの遍路旅も終わり
神戸と舞鶴の旧知の友と杯を傾け還俗?し来週末に札幌へ戻るが
果たして社会復帰できるのだろうか。

東京の友人と二人で「山陰出雲大社流浪旅」「熊野古道山中テント旅」
と勝手に題名を決め漂白の歩き旅を勧めたが、家族を持つ身だけに
多少後ろ髪を引かれたようだが寒い札幌への道を選んでしまった。

先ほど姫路に向かうフェリーから電話があった。
「もう帰ってくるの、私も色々と忙しいからもう少し続けたら」
と奥様に言われたそうだ。どうも家族の長としての立場が消滅
しているようだ。

思わず噴出してしまった。得がたい貴重な経験をした自由人節を
薄野でタップリと聞かせてもらおう。楽しみだな。


本日の郵便物

2010年05月27日 16時57分41秒 | Weblog
20日〆の弊社に請求書等の郵便物が集中するのはこの数日だ。
以前にも封筒区分けを試みたが暇なので久し振りに分類してみた。

1.既製品封筒

窓なし定型封筒 クラフト系     7通

窓なし定型外  色クラフト系     3通

セロ窓定型封筒  クラフト系     4通
 
セロ窓定型封筒 色クラフト系     10通 グラ窓内2通

2.別注封筒

窓なし定型封筒 特殊紙系     4通

セロ窓定型封筒  色クラフト・特殊紙  7通 グラ窓内1通

洋0セロ窓かます  〃       12通 内2個窓1通・グラ窓2通 

       郵便物計 47通 既製24(51.1%) 別注23(48.9%)

圧着葉書             5通
 
印刷系の仕事のため、別注封筒の比率が一般会社より高いかもしれない。
しかしインサーター用洋0かますはほぼメーカー製と見なすべきで、そうすると
別注比率は28%弱となる。これでも流通量から言えば別注封筒比率は
高すぎるな。

また、47通の内2通が弊社製であった。4.3%に当たるがこれは本来は
望外な数字だろう。たまたま弊社のお客様の封筒が混じっていただけだ。

印刷内訳    並4c封筒が4通 2c 6通  1c 37通

何と単色ものが圧倒的に多い。世の中の封筒需要は単色で充分と
言うことなのだろうか。

封筒は企業の顔であるから差別化をとお勧めしても、DM封筒を
除くと請求書系は相変わらず1c中心が当たり前なのだろう。

もう少しデーター取りが必要だろう。今度は一ヶ月単位でやってみよう。
フィルム封筒の比率は今回0だが、違う結果になるだろうな。


懐かしい顔

2010年05月24日 16時56分12秒 | Weblog
午後帽子を被った二人が事務所に入ってきた。

何と相談役と前工場長が来てくれたのだ。小雨と強風が吹く生憎の日に琴似で
待ち合わせをしてバスでの来社だった。

相談役74歳、前工場長68歳、帽子を取ると二人の頭髪は寂しい状態でアラアラだが
二人とも元気なものだ。

彼らが担ってくれた前工程の様子が気になるようで、来た早々そのセクションの
状況を確認したりストックヤードに入っている仕事量のチェックなど彼らが現役の頃に
やっていたことと同じ所作をしている。

特に前工場長は二年振りの来訪だけに、人の入れ替わりやその間に入った設備の話
などボンクラの話に耳を傾けてくれた。

愚痴に近い話もすると「まぁまぁ人間からだが動くうちが華だよ、健康ならば
仕事を続けることだ」何て言われてしまった。

相談役は「近頃の若い者は・・・」とひとくさり持論を述べていた。
二人とも話し言葉がゆっくりになってはいるが、仕事とは何ぞや この主義主張は
微塵も変わっちゃいない。

わが社の礎を担った自負心は昔のままだ。

口の悪いボンクラは「いつポックリ逝くか判らないのだから体が動く間に頻繁に来ると良いよ」
と棘ある言葉で送り出した。

そうして階段の手摺に摑まりゆっくり降りていく二人の姿を見て
まだまだ悪態をついても大丈夫そう、だからたまには説教に来てくれよ。なんて思った。

父を知り、母の安否を尋ねてくれる数少ない大事な人たちだ。
小学生だったボンクラをチャン付で呼んでいた彼らにはまだまだ元気でいてもらいたい。