時代物小説は元来大好きで書棚に並んでいる。
この数ヶ月は、中でも織田信長本にずっぽりと嵌ってしまった。
きっかけは南條範夫の「織田信長」文庫本で、本棚にあるその①が目に留まり
読み始めたことだ。
面白くてあっという間に読みきった。さてその②を捜したがどうしても見当たらない。
随分以前に購入したが1巻のみを買い、読まずに放置していたのだろう。
中途半端でいるのも悔しいので、アマゾンにアクセスした。すると単行本で
全1巻にまとまった中古本があり、早速購入し読みきった。
ボンクラはどうも信長に傾注する傾向にあるようで、本棚に目をやると加藤廣や
司馬遼太郎・山岡荘八の信長本がある。
その中の山岡荘八の「織田信長」はどうやら山の神の蔵書らしく、全5巻の
文庫本を読んでいないことに気が付き、現在その2巻で桶狭間のくだり辺り
まで読み進んでいる。
南條範夫の著作は単行本1冊のボリュームだったから、残りページ数が少なく
なった時寂しい思いをしたが、5巻のその②だとまだまだ楽しめそうだ。
何故信長に傾注するのだろうか、年齢的に言って新しい取り組みに消極的だったり
守りに(守るほど確立されたものは全くないが)入ってしまう自分を叱咤激励する
には最適な人物が信長だからだろう。ともかく就寝前のひと時や休日に読んでいる。
桶狭間で今川義元と戦う件は多くの本で読んではいるが、昨日の己の言動すら
忘れてしまう健忘症気味のボンクラだから何度読んでも楽しめるのだ。
山の神からは「数冊の本があれば一生楽しめ、安上がりで羨ましい」と真顔で
言われている。だとすると新たに購入しなくとも、今ある書棚の本で生涯楽しむには
充分な蔵書量かもしれない。
さてさて、既成概念に囚われず、創造的な生き方を模索する序盤の若き信長に惚れ
ワクワク読書のボンクラだが、古い文庫本の文字が小さく目の衰えを感じる今日この頃だ。
この数ヶ月は、中でも織田信長本にずっぽりと嵌ってしまった。
きっかけは南條範夫の「織田信長」文庫本で、本棚にあるその①が目に留まり
読み始めたことだ。
面白くてあっという間に読みきった。さてその②を捜したがどうしても見当たらない。
随分以前に購入したが1巻のみを買い、読まずに放置していたのだろう。
中途半端でいるのも悔しいので、アマゾンにアクセスした。すると単行本で
全1巻にまとまった中古本があり、早速購入し読みきった。
ボンクラはどうも信長に傾注する傾向にあるようで、本棚に目をやると加藤廣や
司馬遼太郎・山岡荘八の信長本がある。
その中の山岡荘八の「織田信長」はどうやら山の神の蔵書らしく、全5巻の
文庫本を読んでいないことに気が付き、現在その2巻で桶狭間のくだり辺り
まで読み進んでいる。
南條範夫の著作は単行本1冊のボリュームだったから、残りページ数が少なく
なった時寂しい思いをしたが、5巻のその②だとまだまだ楽しめそうだ。
何故信長に傾注するのだろうか、年齢的に言って新しい取り組みに消極的だったり
守りに(守るほど確立されたものは全くないが)入ってしまう自分を叱咤激励する
には最適な人物が信長だからだろう。ともかく就寝前のひと時や休日に読んでいる。
桶狭間で今川義元と戦う件は多くの本で読んではいるが、昨日の己の言動すら
忘れてしまう健忘症気味のボンクラだから何度読んでも楽しめるのだ。
山の神からは「数冊の本があれば一生楽しめ、安上がりで羨ましい」と真顔で
言われている。だとすると新たに購入しなくとも、今ある書棚の本で生涯楽しむには
充分な蔵書量かもしれない。
さてさて、既成概念に囚われず、創造的な生き方を模索する序盤の若き信長に惚れ
ワクワク読書のボンクラだが、古い文庫本の文字が小さく目の衰えを感じる今日この頃だ。