ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

カシミアのジャケット&ローデンコート

2010-01-29 10:27:17 | 白井さん




 この日の横浜は朝から真冬らしからぬ生暖かい風が吹き、鉛色の空からは時折小雨がぱらつくというお天気で、服選びに頭を悩ませる方も多かったのではないでしょうか。かくいう私は、現在セール真っ最中の信濃屋さんをこの撮影の前々日に訪れて“奇貨おくべし”とばかりに購入した、ペイズリー柄の大判シルクマフラー、真っ赤なロイヤルスチュアート・タータンチェックのウールタイ、カルロ・バルベラのカシミア生地を使った八枚剥ぎハンチング、以上3点を早速身に着けたいという欲求とこの空模様が重なり、かなり無理をした強引なコーディネートで、でも嬉々として馬車道を駆け抜けていました(汗)。

 今日の白井さんの装いはそんな空模様を反映してか“色を使わない”と仰る装い。鈍い色合いのカシミアジャケットと、晴れの日雨の日どちらでも使える“オールマイティーコート”ローデンコートという着こなしです。

 

 今日は趣向を変えて靴からご紹介。これは私の勝手な想像ですが、恐らくこの日はこの靴からコーディネートをお決めになられたのではないでしょうか。80年代後半の伊シルヴァーノ・ラッタンツィ初期の頃のセミブローグで“ノルベジェーゼ・フレックス”製法の逸品。白井さんが以前雑誌のインタビューで『ラッタンツィなんてのは雨靴ですよ。そういえば以前、大雪の日に元町から本牧まで歩きましたけど水が一切滲みなかったなぁ。』と仰っていたことがありましたが、恐らくこの靴のことではないでしょうか。色はインカス・ジャロ(ジャロはイタリア語で黄色の意味)が元の色でしたが、白井さんがご自身で黒の靴墨を塗って、しばし置いてからニュートラル(恐らくどちらもキウィでしょう)を重ねてこのような微妙な色にしたとのこと。一度ラッタンツィ氏ご本人にオールソールさせたと仰っていたので、この靴は長年に渡って悪天候の中、白井さんの足元を支え続けてきたのですね。『あいつは字が書けないんだよ』と白井さんが軽いジョークを飛ばしていらっしゃいましたが、中敷にはラッタンツィ氏の手で“Schiray”と書いてありました(笑)。

 ソックスはこのブログ初登場のアーガイル柄。アーガイル柄については信濃屋の牧島さんが、やはり舶来ものの方が配色のセンスにおいて一日の長があると仰っていましたが、この日の色を使わないコーディネート中唯一この配色鮮やかな靴下で遊びを加えていらっしゃいました。因みに白井さんはこれまで全て無地のソックスをお履きになられていたので、私はてっきり柄物のソックスはお嫌いなのかと勝手に思い込んで“よし!俺も柄物は履かないぞ!”と一人心密かに決めていましたが、今回であっさり撤回となりました。たかだか10回程度のブログ更新で白井さんの好みをわかったつもりでいた自分にしばし反省。でもよせばいいのに『白井さんもアーガイルソックスをお履きになるのですね!』とうっかり口を滑らせてしまい、すわ大目玉か!と背筋が凍りつきましたが、この日の白井さんはなんだか穏やかな(はたまた呆れ返りすぎて達観されたのか?)ご様子。『いっぱいもってるよ。今度コックスムーアのとか持ってきてあげるよ。』と新たなご提案までしていただけました!かつてイタリア随一の洒落者ルチアーノ・バルベラ氏が『俺も持ってる』と白井さんと張り合ったという曰くつきの靴下・コックスムーアですので今からとても楽しみです(笑)。



 さて、足元からパンナップして次は・・・『今日はパンツのことは聞かないの?』と仰って白井さん自ら教えてくださった(これは稀なことです!なんだかこの日の白井さんはとっても優しいです!あまりに幸運すぎて帰り道事故に遇わないか心配になりました汗)伊ジャンニ・カンパーニャ製フランネルのパンツです。ツープリーツは当然のディティールとして、この日はなんとボタン留めのフロント部分までご披露くださいましたが、やはり撮影だけはご遠慮いたしました(汗)。ボタン留めフロントはクラシックな装いに拘る諸兄にとって必須のディティールですが、私はまだ一本も持っていないのでいつの日か足を通してみたいと思っています。やはり最初の一本目は、牧島さんが一二を争う履き心地と仰っていた信濃屋さんのルチアーノ・バルベラか、銀座・天神山さんでと決めています。

   

 『なんだか口を開けている写真ばかりだよ?』と、この日は白井さんから前回までの写真選びについて苦言をいただきました。古の武士に言う『男子は人前でむやみに歯を見せるものではない』との教えを白井さんも気にされてのことでしょうか、ですから今日は謹んで、きりりと口元が締まった写真ばかり取り揃えました! 

 くすんだ色の茶と緑が混じった微妙な色合いのジャケットは“ダリオ・ザファーニ”ネームの伊セントアンドリュース製。ポケットチーフはジャケットの色を拾ってオリーブグリーンのペイズリー柄、ボタンダウンシャツはこれも初登場のエクルー(生成り色)の無地、カシミアのタイはこちらも初登場の無地の淡いベージュ、という色柄使いをぐっと控えつつも着る人の個性がきらりと光る極めて高度な着こなし。

 さて本日の着こなしの主役カシミアのジャケットについてもう少し。イタリーのハンドメイドメーカー“セントアンドリュース”とそのオーナー“ダリオ・ザファーニ氏”(こちらの詳細については次のリンクをご覧下さい)については銀座天神山Iさんのブログにも紹介されていたので私も以前から存じ上げてはいたのですが、この日は白井さんにもお話を伺うことができました。この、イタリアに在るメーカーながら古き良き英国へのオマージュを忍ばせた名を持つ小さな工場セントアンドリュースは、オーナーのダリオ・ザファーニ氏の大変真面目で几帳面な性格を反映してか、いつ伺っても作業場が整理整頓され隅々まで掃除が行き届き、トイレにも塵一つ落ちていないという素晴らしい環境で物作りをしていて大変好感が持てたそうです。和服のめくら縞ならぬ“めくらグレンチェック(白井さんの造語です)”の控えめなウーステッドスーツを好む物静かな紳士だったザファーニ氏は、物作りに関してはまさにぴか一の、ルチアーノ・バルベラ氏が持つような感性の部分は別としても、見えないところまで手を抜かずしっかりした本物を作り出す本当の職人だったそうです。でもそんなザファーニ氏が、氏の右腕として辣腕を振るっていたチェッカーロ氏が亡くなられてから後を追うようにして逝かれたことを、白井さんはとても残念そうに思い出していました。お話を聞いていた私も少ししんみりしてしまいました。そのように伺って今日のジャケットの写真を見返してみると、これまでに登場したカラチェニの上着が肩や襟元に大人の男の色気を強く感じさせるのに対して、今日のこのジャケットには大人の男の知性が控えめに表現されているようで、今日の着こなしのテーマに合わせて白井さんがこのジャケットを選んだことも、私などが言うのも生意気ながら、何故か頷けるような気がします。



 
 
 お帰りのコートは、以前から白井さんのお話の中にしばしば登場していた“ローデンコート”がようやくこのブログ初登場!白井さんのローデンコート(伊ヴァルスター製)はローデングリーンが現行品より少し明るめで、生地(モエスマー製)も厚いような気がしました。上の写真は冒頭の大きな画像よりカメラの色彩感度を上げての撮影です。実際の色は両者の中間といったところでしょか。撮影技術が拙く正確にお伝えできないのが残念ですが、私はようやくこの両目でばっちりと本物を見れることができて大変満足です(笑)。実は私もこのローデンコートは所有しているので、このトラディショナルなコートについてもしご存じない方がいらっしゃいましたら、私の過去のブログに掲載した記事をリンクさせましたのでそちらをご覧いただければ幸いです。

   

 いつも気になりつつ、白井さんはお帰り際にぐずぐずされる方ではないので、詳細についてはなかなか伺う暇が無い小物については駆け足でのご紹介になってしまいます。帽子はローデンコートの時はこの帽子がセットですね、チロリアンハットです。こちらも現行品とは若干差異があるそうですが詳しくは伺えませんでした、残念。

 今日お使いだった手袋は長年愛用されているイエローのペッカリー(英デンツ)。更に今回は3つ愛用の手袋を見せていただきました。左から英デンツのペッカリー、真ん中がディンゴ(山犬の革)、右が仏ガンペランのペッカリー、とどれもが長年使い込まれ見事な経年変化を遂げた逸品ぞろい。因みに右上の白い小箱の中身はガンペランのグローブ専用石鹸です。因みに、今日お使いになられていたデンツのペッカリーは、革の黄色も現行品よりもう少し上品な印象の色合いでしたし、人差し指の継ぎ目も無く(これは革の歩留まりが多く出る贅沢な作りなので現行品では継ぎ目が有る仕様になっています。)、手の差込口の革の切れ目が入っている位置もサイド(現行品は手のひら側の中央)でした。またペッカリー革も非常に肉厚で現行品とは似て非なるものです。

 

 今日もとても多くのことを教えていただいた一日でした。





 

 “白井さんならどうする”~1~ That's another story 

2010-01-27 22:22:51 | “白井さんならどうする─前編─”
 

 “How would Lubitsch have done it?”

 
 映画『昼下がりの情事』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』などを手掛けたハリウッド・コメディーの巨匠ビリー・ワイルダー(監督・脚本家)の仕事場には、自身が尊敬する映画監督エルンスト・ルビッチへのオマージュを込めたこの一文が額に飾ってあったそうです。曰く、“ルビッチならどうする?”

 そして私もまた、毎朝ワードローブの前で一人こう呟きます・・・“白井さんならどうする?”と・・・




         

 おかげさまで昨年末から始めたこのカテゴリー“白井さん”も前回の更新で10回目を数えることとなりました。日本紳士服飾界が誇る“不世出の洒落者”信濃屋の白井俊夫さんの日々の着こなしや、“白井流”と呼ばれる独自の服飾哲学、その人となりを、服飾ど素人の私がブログ上でご紹介するという、余りに無謀厚顔不埒僭越極まりないこの試みにきっと眉を顰められた方も多かったことと思いますが、白井さん始め多くの方々からご協力、アドヴァイス、また励ましの言葉をいただき、この試みの最初の節目を無事に迎えられたことを改めてこの場をお借りしてお礼を申し上げます。

 さて、ズラッと並んだ10枚の白井さんの写真。壮観です!

 前置きが長くなりましたが、このカテゴリーは“白井さんならどうする?”と題して、これまでに私が白井さんから教えていただいたこと、感じたこと、また本編に収まりきらなかったエピソードなどを“私の目線”で簡潔にまとめたいと思います。己を省みる『ひとり反省会』といった意味合いも込めています。些か蛇足の観もありますが、折りに触れ角を曲がるたびに後ろを振り返ることも大切、故に“折角”、ではないかなと。でも今日は時間が無いので極々簡単に(汗)。また後日改めて更新したいと思います。因みに写真をクリックしていただくとそれぞれの回にリンクするようになっています。
 
     “着こなしは楽しく”

     “まず意識せよ”

     “良いものはたとえ不遇の時があったとしても、いずれまた必ず出番を与えられる”

     “小物は一生使うもの、なればこそ良いものを選ぶべし”

     “良い服との出会いほど白駒の隙を過ぐるが如し。奇貨おくべし”

     “靴はコバの手入れほど念入りに”

     “有名だろうが無名だろうが良い物は良い”

     “本物を着るべし”

     “着こなしは積み重ね”

     “何時如何なるときも堂々と着こなすべし”


 白井さんを巨大な峻険に例えれば、今は当然道半ば、それどころかやっと山裾に到達したばかりといったところで、未だその頂きは見えず遥高く遠くに霞むばかりでその姿を想像することすら及びませんが、そうは言ってもあまり難しく考えず、“今日は白井さん何を着てくるのかな?”と毎回こみ上げてくる“楽しさ”を忘れずにこれからも横浜に足を運ぼうかな、と思っています(笑)。



 

ダークグレーのウーステッドフランネルスーツ&カシミアのポロコート

2010-01-25 19:02:13 | 白井さん




 この日、信濃屋さんの馬車道店ではセール期間中ということもあり店内は多くのお客様で賑わっていましたが、白井さんは先日親しかった方にご不幸があり、この後お通夜に赴かれるためダークグレーのフランネルスーツに身を包んでいました。

   

 シングルブレスト、ピークトラペルのフランネルスーツは伊ルチアーノ・バルベラのもの。白いシャツはポプリン織のレギュラーカラー、細かい織り柄が入った黒いシルク地のタイ。写真では少し判り難いですが、白井さんが“4色のモノトーンを使い分けができて便利だよ”と仰って広げて見せてくださったポケットチーフは極々薄いグレー色のシルク。よく磨きこまれた黒靴は英クロケット&ジョーンズの特注品。

 ポロコートは2回目の登場となるルチアーノ・バルベラのカシミア。今回は後姿の写真を。ポケットチーフと同じく薄いグレーのシルクマフラーを巻いて白井さんはお店を後にされました。

  

 お忙しい中、今回も楽しいお話やためになるお話ををたくさん聞かせていただきましたが、やはり今日は少し憚られるのでその中から一つだけ、白井さんの言葉をご紹介して終わりたいと思います。
 
 『今日は置き場所に困るから帽子もステッキも無し。今は仕事中だからチーフは挿しているけど、斎場ではポケットにぐいっと深く入れて隠しちゃう。僕はこういう時も黒は着ないな。父の葬儀の時に一度着ただけ。冠婚葬祭ではどんな服装が良いかと色々言うけど、何色のスーツだろうがストライプが入っていようが知らん顔して堂々としていること。“俺が着てるんだからこれでいいんだよ”って顔でね。でもさすがに白はまずいけど(笑)。』





キャメル色のカシミアブレザー

2010-01-22 20:16:08 | 白井さん


 この日の横浜は最低14℃、最高19℃と4月上旬並の気温で、“梅雨の晴れ間”ならぬ“冬の春間”という暖かさの中、朝コートを着ようか着まいかとお悩みになった方も多かったのではないでしょうか。

 季節を先取りとばかりにコートを脱ぎ捨てた白井さん。今日のポイントは“春を意識した明るい色使い”と仰るキャメル色のカシミアブレザーの着こなしです。冒頭でいつもの白井さんのコート姿が無いとなんだか寂しく感じたので、画質が粗いのが気に入りませんが、今日は大きな写真をアップしてみました笑。また、今回からページの一番最後にある“デジタル写真集『白井さん』”をクリックしていただくと大きな画像で写真を楽しんでいただけます。

   

 伊カルロ・バルベラのキャメル色のカシミア生地を使ったブレザーは信濃屋オリジナル製。ダブルブレスト、7㎜ステッチ、スリーパッチポケット、サイドベンツ、ナットボタンといったディティールで、今日のような白井さんならではの遊び心を表現するのにピッタリの上級者向きといえる一着。白のボタンダウンシャツに濃いめの赤と山吹色の幅広レジメンタルストライプのレップタイ、インナーに極々淡いミントグリーンのカシミアニット、パフドクラッシュで挿したチーフはオレンジ色、と連載9回目の今回はこれまででもっとも色数が多いまさに“春”を感じさせる色使い。

 今回のパンツはご本人も出番は少なめと仰っていた千鳥格子のフランネル(伊ビエラ・コレッツォーニ)。ここで今更改めて言うのもなんですが、白井さんがこれまでお履きになられているパンツは全てツープリーツ(これ白井流の基本です笑)です。明るい茶のスウェード靴は伊ボローニャのシューメーカー“ペロンペロン”のパンチドキャップトゥ。6アイレッツ、小さめのキャップトゥ、細かいステッチワーク、コバ外側からべべルドウェストにかかる鋭角的なエッジの形状、とラッタンツィ同様白井さんが細かく指示して作らせた信濃屋オリジナルの逸品です。

 キャメル色のブレザーは、紳士のワードローブには必須のネイビーブレザーの次の一着として巷間捉えられる向きがありますが、街中ではまず見かけることは稀ですし、まして白井さんのハイブロウな着こなしという訳で今回は永久保存版!(といっても、これまでも全てそうなんですけど笑)として非常に価値があります。

 お帰りに柔らかいガーゼ織のシャーベットオレンジのカシミアマフラー(伊アニョーナ)をふわりと巻いて、今日のテーマ“春を感じさせる色遣い”の完成! て馴れた手つきでさりげなく、でも今日の着こなしを意識した巻き方にもご注目ください。 

   

 さて、実はこの日・・・

 『ぐっちゃぐちゃになってたんだけど最近少しずつ整理し始めているんだよ。もっとおどけた写真とか他にもたくさんあるんだけど今日は主だったところをね。失くさないでね。』

 白井さんはそう仰って、貴重な懐かしの写真をたくさん持ってきてくださいました。先日、さりげなく『今度持ってくるよ』と一言仰っていただけだったのですが、ちゃんと約束を憶えていてくださり私の感激も一入でした。更に光栄なことに、この貴重なアーカイブを一日だけお借りして私の自宅で撮影させていただきました。以下順不同でご紹介させていただきます。


 シャロン・ストーンのビキューナのコートを自慢する“でぶっちょ”カンパーニャ氏と。


 気鋭のサルト、ガエターノ・アロイジオ氏と。


 シルヴァーノ・ラッタンツィ氏(右)、パオロ・ラッタンツィ氏と。


 フライの女性社長パシーン女史と。因みにラッタンツィもフライも日本で最初に扱ったのは信濃屋の白井さんです。


 アットリーニの若社長・次男マキシミリアン“マッシモ”(右)、三男ジュゼッペ“べぺ”と


 シルヴァーノ・ラバァッツォーロ氏と。


 ルチアーノ・バルベラ氏の長女カローラさんと



 
 マリオ・カラチェーニ氏と。ミラノのア・カラチェーニにて。


 ア・カラチェーニ“伝説のマスターテーラー”マリオ・ポッツィ氏。


 マリオ・カラチェーニ氏の娘婿、カルロ・アンドレ・アッキォ氏(右)と。


 “イタリー代表、アメリカ合衆国代表、日本代表”揃い踏み。


 アメリカ合衆国の高級洋品店・ニーマンマーカスのデリル・オズボーン氏(当時副社長、上掲の写真真ん中と同一人物)と。白井さんは『ピッティではデリルは一日に3回も着替えてたよ! 今はピッティにもこういう“名物おじさん”が顔を出さなくなり、見るべき洒落者もいくなった。』と嘆いておられました。

 
 最後は白井さんの盟友、ルチアーノ・バルベラ氏との写真を中心に。

 
 
 


  


 カルロ・バルベラ氏と。


 1997年、伊ヴィエラのバルベラ氏私邸にて。『北側の大きな窓からみえるアルプスの山々が見事だったなぁ』と白井さんは懐かしんでいました。


 2007年1月イタリーにて。


 若き日の白井さんとルチアーノ・バルベラ氏。


 
 以上です。

 綺羅星の如き面々と積み重ねた幾歳月。その価値は計り知れず、白井さんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになり言葉になりません。白井さん、ありがとうございました!!



ツイードのジャケット&キャメルのポロコート

2010-01-18 19:51:36 | 白井さん
 今回は冒頭より訂正があります。前回の記述で白井さんがお召しになっていたコートを“ポロコート”としていまいたが、白井さんからのご指摘で“アルスターコート”とさせていただきました。お詫びとともに訂正させていただきます。

  

 今日の白井さんの着こなしは、このブログでは初登場となるツイードのジャケット。そして色鮮やかなグリーンのマフラーを巻いてキャメルのポロコートです。

     

 今夜はこの後、気心の知れた方々と横浜みなとみらいのリストランテで食事会という白井さんの装いはリラックスしたジャケットスタイル。

 『向こうのはわざわざ生地メーカーのタグを裏地に貼り付けたりしないからはっきりとは判らないけど、まぁこれは間違いなくハリスツイードでしょう。』と白井さんが仰る茶のピンチェック・ツイード地のジャケットは伊アットリーニのセカンドラインだった頃のサルトリオ(Sartorio)製。赤いチェックのタイは横浜元町の老舗ポピーさんで“昔々に”購入されたもの。インナーには真っ赤なカシミアニット。『どこのものだかよくわからないけど恐らく英国製。厚くてしっかりとしたカシミア生地だし、袖口がちゃんとターンナップしてるし“お、これいいじゃん”と思って』と信濃屋さんでつい最近購入されたのだそう。オレンジのシルクチーフを柔らかくパフで挿して。靴は2度目の登場、ヘンリーマックスウェルのUチップフルブローグ。今回は内側からの撮影。白井さんが前回『今度真っ赤な靴下履いてくるからね。』と仰っていた伊プリンチペのソックスの色にもご注目を笑。

 

 とりわけ寒さが厳しかったこの夜、白井さんはキャメルのポロコート(伊ルチアーノ・バルベラ)に色鮮やかなグリーンのカシミアマフラーを合わせていました。私が以前、白井さんや天神山のIさんから伺っていた“86年1月にミラノの空港で見た、皆がオーバーコートにレッド、グリーン、ブルーなどの色鮮やかなマフラーを合わせていた光景が印象に残っている”というお話の中に登場したそのグリーンのマフラー。店頭で陳列されているものを目にすることはあっても、街中で見かけることは稀。実際は着こなしのイメージがなかなか湧かないアイテムでしたが、こうやって白井さんが苦もなく着こなす姿を拝見して“ああ~こうやって使うのか!”と目から鱗の心持です。

  

 帽子は第1回目に登場した、白井さんが40年以上前に裏地など細かく指定して作らせた、分厚いファーフェルトに羽飾り付きのボルサリーノ。コートの左のフレームドパッチポケットに無造作に入れてある手袋は未確認ですが恐らくペッカリー? 今日のステッキは以前白井さんが『滑ってちょっと使いにくいから』と仰っていてやや出番は少ないようですがヒッコリー材のもの。白井さんは以前雑誌のインタビューで『ワードローブは全て見えるようにしておくもの』と仰っていますが、それは小物も含めて全ての品々を“満遍なく”お使いになる白井さん一流の至言でしょう。



 以下余談。

 上の写真は今夕、白井さんからリストランテでの食事会にご招待を受けていた信濃屋さんの顧客のお一人“W様”が履いていらした“シルヴァーノ・ラッタンツィ”。勿論信濃屋さんでオーダーした、白井さんが『ラッタンツィはこの頃が一番良かったね。』と仰る’96~’97年頃の逸品。革はジャロ(黄色)のスコッチグレイン、パンチドキャップトウでキャップと甲の部分の縫い目が手間のかかるリボルターテ(革の切り目を薄く梳いて内側に織り込んで縫う)仕様、7アイレッツ、コバのステッチは信濃屋さんならではの白。

 このブログを始めて、白井さんの装いを直に拝見できるだけでも大変有り難いことですが、長年“白井流”に接してこられた顧客の皆様の着こなしを垣間見ることもできるのは初心者の私にはとても勉強になります。さらに今回、W様とは親しくお話までさせていただき、さらに上掲の貴重なラッタンツィの撮影も! 20代の頃から白井流の“薫陶”を受けてこられたW様はまさに着こなしの大先輩。この日、ルチアーノ・バルベラのグレイがかった茶のダブルのスリーピースに白いシャツの襟元はサックスとベージュのレジメンタルストライプのタイを合わせ足元は手入れの行き届いたジャロのラッタンツィ、ライトグレイのソフトを被り伊セントアンドリュース製の茶のコート(恐らく白井さんが薦められたものでしょう)、靴と同色の革手袋、ボルドー地にゴールドのペイズリー柄があしらわれたシルクマフラー、以上をビシッと着こなして来店されたW様は、その姿をご覧になった白井さんが『来た来た。ちゃんと“本物”を着てるよ彼は。』と思わず目を細められたほどの洒落者。かつては白井さんから奨められるままに凄まじいばかりの“買い方”をされていたそうで、折角誂えたスーツを美しく着こなしたいからと、ジムでの10キロのランニングと70キロのベンチプレスを欠かさないというW様は、私より少し年長で、立っても座っても端正な佇まいを決して崩ないまことに控えめで寡黙な紳士です。

 ありがたいことにW様もこのブログをご覧になっていて、『とんでもないことを始められましたね笑。私も初めて白井さんにお会いした時の衝撃は忘れられません。今思うと若い頃の私は酷い恰好をしていたもので、白井さんはきっとかなり我慢しながらお付き合いしてくださったのだと思います苦笑。hitoさん(←私のことです)よりも私の方が恐らく白井さんとのお付き合いは長いと思いますが、あなたのブログには私も知らなかったことが書かれていてましたよ。これからも頑張って下さいね。』と、大変優しい言葉をかけていただきました。

 実は信濃屋の皆さんや天神山Iさんからは、今後も続けることを第一義に、白井さん・読んでいただく方々・私の3者の体力の消耗を親身になってご心配していただき『ブログの内容をもっと軽くした方が良いよ。』とアドヴァイスを頂いていましたが、W様のことだけはやはりどうしても書きたくて、今回も若干長くなってしましました。皆様の心遣い、感謝の念に堪えないとは斯くの如きかという思いです。もう一度初心に戻って頑張ろうと心に誓った夕でした。 

グレーフランネルスーツ&アルパカのアルスターコート

2010-01-15 15:43:23 | 白井さん
 

  “かつてビジネスマンの服はドブネズミ・ルックと 呼ばれていたことがあった。漢字で灰色と書くと暗く冷たいイメージになるが、これがグレーのフランネルとなればこれはもう身も心も暖かくしてくれる冬服の定番となる。” ~2007年12月12日 信濃屋さんのHP 『THE FLANNEL』より~

 今週から関東の最高気温は連日一桁を記録し、横浜の街もいよいよ冬本番を迎えました。今日の白井さんの装いはグレーフランネルスーツ、そしてアルパカのアルスターコートです。



 冒頭の文章は何度も繰り返し読み今では諳んじることができるほどに私にとっては記憶に残る一文。素晴らしい表現は私の中の何事かに感応したのか、永遠の定番“グレーフランネルスーツ”は一読以来私にとって特別な一着。残念ながら我がワードローブには未だ加わってはいませんが、いつの日かこの身に纏いたいと夢見ています。そして今回、念願叶って憧れの白井さんのグレーフランネルスーツの着こなしを、今まで白井さんには何度もお会いしていますがようやく(涙)、初めて拝見することができました。あまりお好きではないと仰っていましたが散髪に行かれて心なしかすっきりした表情の白井さん。ご愛用の鼈甲の眼鏡姿は貴重な一枚。シャツの襟が撥ねているのはご愛嬌(笑)。では本日の着こなしスタートです笑。

      

 白井さんの無地の服の着こなしもこのカテゴリー初登場ですね。霜降りが美しいフランネルグレーのスーツは2003年、伊ガエターノ・アロイジオ(GAETANO ALOISIO) の手によるもの。アロイジオ氏は服作りの行程全てを自分でチェックしないと気が済まないという、真面目で丁寧な仕事振りに定評があるイタリー人らしからぬ(真面目で丁寧な仕事をする日本語が読める他のイタリアの方、ごめんなさい)若きサルト。白井さんも認める美しく繊細な服作りをするこのイタリー職人が手掛けたダブルブレストのスリーピースは、信濃屋さんでアロイジオ氏のス・ミズーラ会を始める以前に試しに作らせた最初の一着だそうで、襟幅13㎝、肩幅を広めにと指定した以外はお任せとのこと。この2点について特に拘るのが白井流。いつもお馴染み銀座天神山Iさんも“洋服は襟と肩の雰囲気が最も重要”と日頃から仰っています。因みにですが、白井さん始め信濃屋さんや天神山さんの皆さんが“服”もしくは“洋服”と言った場合、それは服または洋服全般についてではなく、特にスーツ・ジャケット類のことを指していることが多いです。

     

 クレリックシャツも初登場。信濃屋さんでかつて一時期取り扱いのあった伊エマニュエル・マフェイス。今では大変貴重な30年以上前の英ミチェルソンの細身のタイはこれもまた初登場のクレスト柄。白井さんは極めて繊細な仕事が施されているこのクレスト(紋章)に愛着を持たれているご様子で、“今はこんな細かいことできるところは無いね”と仰っていました。ネイビー色のタイは世間では最もポピュラーに使われている色だと思いますが、信濃屋流では最も出番が少ない色の一つと聞いていますのでこれも貴重な一枚かもしれません。今日のポケットチーフはタイと同色の縁取りのあるペイズリーを、縁取りが右側縦向きに出る様に挿して。

 

 靴は90年代後半の伊シルバーノ・ラッタンツィのセミブローグ。大変柔らかいスウェード革を使用していて殊にお気に入りとのこと。ライニングはちゃんと施されているにも拘わらず全体がチャッカーブーツのアンクル部分のようにふにゃふにゃで、あまりに柔らかいので白井さん『ほらほら!』と恐れ多いことにわざわざ脱いで私の手に取らせて確認させていただのにはたまげました!突然のことに緊張してついつい写真を撮るのを忘れ、またお履きになる時に“ハッ!これはルチアーノばりに靴紐を結んで差し上げた方がよいのか!?”と心中かなり悩んだ私をよそに、白井さんあっさりとご自身でフィッティング。何事も無かったかのように話題は服と同色の伊ブレシアーニのカシミアソックスへ汗。日本よりも寒さの厳しい欧州ではカシミアの靴下はポピュラーなアイテム。その履き心地が大のお気に入りの白井さんは。当地に赴いた際は好んで購入されるのだそうです。当然色んなメーカーのものを試されている白井さんは、『○○の靴下は履き口がすぐ縮んじゃって痛い』とか、『“シルクカシミア”なんて名前の響きは高級そうだけど全然ダメ』とかカシミアソックスにはひとかたならない情熱をお持ちのようです汗。そうそう、“ブレシアーニって有名なんですか?”と私が何の気なしに伺うと、すかさず『有名だろうが無名だろうが良い物は良いの!』と目力アップの白井さん!私また今日も“白井流”の洗礼を受けてしまいました笑。



 さて、今日はしばし趣向を変えて・・・上の写真で白井さんの後ろに写っている方・・・背後霊ではありません。信濃屋さんの“牧島さん”です。下の写真も背後霊ではなく“白井さん”です笑。



 牧島さんは、若輩の私が言うのは大変失礼ながら、お茶目なキャラクターが魅力の信濃屋さんでの在籍30年超のベテランスタッフ。“半生を最も身近で白井さんを見てきたMさん”として前々回匿名でご紹介させていただきました。実はこれまでも撮影を頑なに拒んできたシャイな牧島さんですが『牧島も撮ってよ。』との白井さんの鶴の一声でついに観念されて今回ご登場いただきました。

 

 ツィードジャケットの着こなしをこよなく愛す牧島さんはこの日も得意のカントリースタイル。信濃屋流必須のグリーンが渋いウィンドウペインのジャケットは30年程前に白井さんから譲り受けられたという伊グリッティ(現エルメネジルド・ゼニア社)の一着。

 

 『白井さんからはいっぱいもらっているんです。そうだ!これも撮って!』といつの間にかノリノリの牧島さん(笑)がご披露してくださった、これまた30年以上前に譲り受けられたという一着は『そうそうこれこれ、良いよな~。』と思わず白井さんも目を細める英アクアスキュータムのアルパカのポロコート。

   

 牧島さんには、紳士服のこと、着こなしのこと、信濃屋流のこと、もちろん白井さんのことなどいつも様々なことを教えていただいています。いつも笑顔を絶やさないやはり素敵な紳士であり信濃屋流の大先輩、牧島さんでした。これに懲りずにまたご登場くださいね笑。ありがとうございました!

 では引き続き白井さんにお戻りいただいて、今日のお帰り・コートスタイル5点セットは~

   

 遂に登場!男性服飾誌『メンズEX』の数年前の誌上で、白井さんが菊池武夫さん、赤峰幸生さんとの対談に臨まれたときの撮影で、両氏に挟まれ、編集者から『偉そうにしてください!』(笑)と言われて写っている白井さんがお召しになっていたのがこのコート。英チェスターバリー(CHESTER BARRIE)のアルパカのアルスター(カラー)コートです。ここで以下にいつもお馴染み銀座天神山Iさんのブログの一説を拝借させていただき、このコートについて解説していただきます。

   『ポロコートは、1890年頃アメリカ、ブルックス・ブラザースによって命名されたと言われていますが、当時は白いウール地のコートで、やはり白いパール・ボタンが付いていて、今のように背バンドではなく、全体にぐるりとある共ベルトであったとのことです。もちろんイギリスのポロ競技にも使われ、選手たちが競技の合間に軽く羽織るためのコートで、当時のユニホームはたいてい白だったので、その上に重ねるコートも白で揃えたのでしょう。最初はブルックスも競技用コートとして紹介したのですが、町着用としても使う人が増えた為にライト・ブラウンやライト・グレーでも仕立てられるようになったのではないのでしょうか。 ちょっと余談ですが1985年頃、信濃屋で仕入れたチェスターバリー製のアルパカ素材を使ったポロコートがあまりにも格好よく今でも忘れられません。チェスターバリーの古いサンプルブックの中からモデルと素材を選びオーダーしたものでした。衿幅が肩に付くほど広く、バックベルトではなく縛るタイプで、毛足の長いアルパカ素材がよりゴージャスで1930年代のギャングが着ていたものを再現したみたいでた。ただ、白井さんならさまになるのですが私には着こなせませんでした。』~2006年11月27日 ブログ『天神山メンズスタイル』“ポロコート”より~

 今日、白井さんがお召しになっていたのはまさに上述と寸分違わぬコート。Iさんの記憶力、まことに素晴らしいの一言です。そしてまた、良いものは長く記憶に留まることの証しでもあります。ただ一点、白井さんからは『このコートについては“ポロコート”というよりは“アルスターコート”と呼ぶべきだろうね。』とのご指摘を受けました。アルスターコートという名称はその襟の形状(アルスターカラー)に由来しているそうです。クラシックなムードがより強調されているこのモデルは、確かにIさんが仰る通り誰もがおいそれと着こなせるコートではないでしょう。まさに白井さんならではという逸品ですね。このコートについてはIさんから口伝でも伺っていたので、実物を目の前にしたときはちょぴり感動しました。

    

 今日のマフラーは手にするとずしりと重い、伊マキシミリアン(後年のマニファトゥーレ・クラバッテ)のガムツイルシルクのプリント柄。マキシミリアンはフィレンツェのシルクメーカーで、1990年代前半に世界で最初にセッテピエゲのネクタイを作ったのがここ(当時はマニファトゥーレ・クラバッテ)だそうです。他にはボルサリーノ、エルメスのペッカリーグローブ、ラヴァリーニのステッキ、以上の装いでのお帰りでした。

   

 これでも結構頑張って文章は短くしたのですが、今日も内容の濃い一時間半でした笑。次は恐らくジャケットかな!?では次回もお楽しみに!

ウィンドウペインのカシミアジャケット&アルパカのコート

2010-01-11 18:28:01 | 白井さん
 

 新春セールで賑わう人々の熱気にあてられながら雑踏を早足で駆け抜け新宿駅で湘南新宿ラインに乗り込み横浜駅へ。根岸線に乗り換え一つ隣の桜木町駅のホームに降り立った瞬間に、ふと頬を撫でる港の風の冷たさは、本格的な冬の訪れを告げつつ、私を日常からほんの少しだけ解き放ちます。わずか30分強の小旅行はこれから始まる至福の時のため。都心より僅かに冷たい空気はす~っと吸い込めば期待とともに我が胸を膨らませ、ひやりと肌に触れれば緊張と共に我が身を引き締めます。

 さらに、我が身を引き締めるのは睦月の冷たい空気ばかりではありません。実はこのカテゴリー“白井さん”をスタートさせていただいた途端、それまで箸にも棒にも引っ掛からなかったこのブログへのアクセス数がグングン急上昇。そのあまりの“鰻登り”具合がまた我が身を否応無しに引き締めております汗。ある程度は予想していたものの、今更ながら白井さんの凄さを実感しています。

 凄いのはアクセス数ばかりではありません。信濃屋さんの長年の顧客のお一人で、白井さんが『メディアに一切惑わされず、“自分の感覚”を最も大事にして物を買われるその“買い方”が素晴らしい人。』と賞賛されている大阪在住のO様、私も白井さんからその御方のお話は以前から屡伺っていたのですが、なんと先日はそのO様から“ブログ見ましたよ”とお電話があったのだそうです!またこの日は、これまた信濃屋さんの長年の顧客のお一人で、私がこのブログを始めるきっかけともなったブログ『でれくの日記』のでれくさんが“信濃屋を紹介してくれたとてもお洒落な先輩”とブログ上でお書きになっているN様がご来店されて、なんと私に“ブログ見ましたよ”とにこやかにお声をかけてくださいました!O様と同じくお名前だけは以前から存じ上げていたN様ですがこの日は感激の初対面。あまりのことに私はもうしどろもどろになってお礼を言うのが精一杯でした。N様はクラシック音楽関係のお仕事をされている方だそうで、綺麗な白髪が印象的なN様は、白井さんとお二人で親しくお話されている風景などはまぁ実に絵になるスマートな紳士で、思わず“一枚撮らせてください”の言葉が喉元まで出掛かり抑えるのに必死でした。以前から白井さんに伺ってきた憧れの“信濃屋顧客列伝”中の方々からもお声をかけていただいたことは、アクセス数も然ることながら、何よりも嬉しく有り難いことでした。

 これからもまず続けることを第一に、そして初心を忘れず楽しんで行こうと思います。ご愛読くださっている皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

 という訳でやはり長くなってしまいました前置。え~っと今日の白井さんの着こなしは・・・汗。

        
 
 前回の反省を踏まえて今日は写真を多めにアップします!

 “信濃屋流にグリーンのジャケットは欠かせないアイテム”とお馴染みの銀座天神山のIさんが常々仰るそのグリーンのジャケットは“A CARACENI(ア カラチェーニ)"製のカシミア。1997年にミラノのカラチェーニで前回のチョークストライプの出来上がりをピックアップした白井さんが、店を出ようと近づいた玄関脇に何気なく置かれていて、一瞥して迷わずその場で製作を依頼したほどの、深いモスグリーンに鮮やかなオレンジのペインが入った上質のカシミア生地は英国W.BILLのもの。3ボタン段返りのシングルブレスト、サイドベンツ、バルカ(船底)型のスラントチェンジポケット、袖の3ボタンは触れる程度に僅かに重ねて本切羽というオーソドックスなディティール。タータンチェックのタイはフランコ・バッシ、チーフをジャケットと同系色で合わせたのは昨年最後のバルベラの時同様ですが、前回がジャケットのオリーブグリーンより濃い目で合わせたのに対して、今回はその逆パターン。インナーはかつて信濃屋さんで扱っていたという伊グラン・サッソーの前開きのニットでこれまた同系色のグリーン。パンツは一番のお気に入り、バルベラのグレーフランネル。

 

 靴は1990年前後の信濃屋別注、伊シルヴァーノ・ラッタンツィのスウェード・セミブローグで、コバのウェルト部分にもう一重ステッチを入れた“ベンティ・ヴェーニア仕様”のモデル名『EG(エドワード・グリーン)4』。“ベンティ・ヴェーニア(Benti Vegna)”というのは、かつてミラノにあったオーダーメイド靴屋さんの屋号及び名靴職人の名前だそうで、昔のイタリーの洒落者達の間では『服はカラチェーニ、靴はベンティ・ヴェーニア』なんて言葉があったそうですが、白井さん曰く『今はたいして洒落た奴なんかいないねin Italy』とのこと汗。

 そもそも白井さんがカラチェーニで服を作るようになったのはルチアーノ・バルベラ氏との出会いがきっかけだったそうで、ルチアーノ氏は何処で服を仕立てているのか『初めはなかなか教えてくれなかったよ。』と白井さんはぼやいていましたが、粘った末に遂に観念したルチアーノ氏が渋々その場でささっとやって白井さんに渡した小さなメモには『Mario Caraceni  Mario Pozzi』と書かれていたそうです。白井さんも知らないという伝説のテーラー“ドニーニ”の後を襲って“A CARACENI(ア カラチェーニ)"のマスターテーラーになった“Mario Pozzi(マリオ・ポッツィ)”氏は当代随一の腕前だったそうで、氏の作る服は他のカラチェーニとは“全くの別物”なのだそうです。

 しかし、実は私がこの日一番驚いたのはそんなことどもよりも、靴の拡大写真を見て気づかれた方はいらっしゃるでしょうか、コバのサイドに反射して写り込んだ床の模様を発見した時です。“コバの手入れほど念入りに”白井流鉄の掟の一つですね汗。以前紳士服誌上で『僕は不精だから(笑)』と白井さんは仰っていましたが、お分かりいただけますね苦笑。皆までは言いますまい。

   

 ここでまたもや余談。 

 時計の針を少し過去に戻して、昨年末。お馴染みのお客様と白井さんとの会話から聞こえてきたのは“GROM”という伊トリノ発のジェラート屋さんの名前。新宿のマルイ本館が昨年リニューアルオープンした時に日本初上陸したこのお店のジェラートの味がどうやら評判のようだと噂するお二人。『伊勢丹まで行列が並んでるんだってさ』と甘いもの好きな白井さんは興味津々のご様子。やがて年明け。優れた記憶力の持ち主である白井さんは、私が前回、新宿高島屋のコヴァで求めたチョコを召し上がっていた時に、新宿つながりで『あのジェラート屋にはもう行った?』と“GROM”のことを思い出されていたので、ではここは一番!と一念発起し、白井さんの喜ばれるお顔が見たいという私のいたずら心と、そんなに美味しいのならという私のグルメ心を満たすべく、この日はその噂のジェラートを求めに新宿マルイ本館へ。幸い冬場ということもあってか行列は短めで、テイクアウトで手間取るかと思われましたがお店の方(といっても店長さん)の対応はとてもスムース。なかなか洒落たテイクアウトボックスを携えて私は一路信濃屋さんへ。

 さて、白井さん。早々とそのテイクアウトボックスを認めると『あ!アイス!?』と私の期待以上のリアクションを見せていただき実に嬉しそう笑。『早く食べよう、早く食べよう!』と皆さんを急き立てていました。『あ、ザバイオーネがある!俺これ!』と仰って白井さんが選んだのは卵とマルサラ酒のジェラート。

 『このザバイオーネはね~あ~忘れちゃった・・・ほらフランスに嫁いだほらほら・・・メディチの・・・』と白井さん。

 『(フランス、メディチ?)カトリーヌ・ド・メディチですか?』と私。

 『そうそうキャトリ~ヌ!あいつが最初に遊びで作った食べ物なんだよ。』と白井さん。フランス料理のスタートはこの16世紀イタリアの大富豪の娘のフランス輿入れから始まったと巷間伝えられていますが、白井さんにかかると近所の娘の嫁入り話のように聞こえます汗。

 さらに余談は続きます。またも時計の針を少し過去に戻しますが、実は私、今年はなんと白井さんから直筆で年賀状をいただきました。昨年末『連絡先入れておいたから。』と携帯電話を翳しながら仰っていたので、私はてっきり電話番号のことだと思っていたら、住所のことだったのですね!信濃屋さんの顧客名簿にも一応私についての記録があるのでお調べになってくれていたのです。手漉きの和紙製の葉書には、薄墨の毛筆で丁寧なご挨拶と共に末尾に“俊”の篆刻。葉書の下の方には小さく“鳩居堂”と印刷されています。これには元旦の朝からたまげました。

 余りの嬉しさに私、1月4日の朝、銀座鳩居堂を新年最初のオープンと同時に訪ねて葉書と、硯を磨る時間は無いので筆ペン(今は薄墨仕様の筆ペンが売っていましたが、筆ペンで書くのにそれはちょっとフェアじゃないので真っ黒な墨の筆ペンにしました)と、年賀のゴム印、篆刻セットを買い、自宅に戻って(途中、中目黒のCAFE FACONに寄り道)からまず篆刻を彫り、正座して小学生以来の毛筆に挑み(途中足が痺れて何度か胡坐)、郵便局が閉まるギリギリまで掛かってなんとか書き上げて投函しました。ですが一応郵便局の職員さんに松の内までに届くか確認した所、年賀と書いてなければ間に合うのですが、という不可解な返答。日本郵政さん!おかしくないですか!?不安を抱えながらの前回1月7日、白井さんにまず年賀状のお礼を申し上げ、私の年賀状が届いたかどうか確認した所、結果は残念ながら『まだ来てないよ。』とのこと。白井さんは馬車道店に届いていたたくさんの年賀葉書一枚一枚を手にしながら、スタッフのMさんなどとあれやこれやとご感想を仰っていて、私にとっては実に羨ましい光景。

 そして時計の針を進めて今回。ジェラートを召し上がっている白井さんはリラックスしたご様子。もう届いているかな?私の年賀状についてもできればご感想など頂ければ、などと思っていた私は『あの~私の年賀状は届きましたでしょうか?』と伺うと、『あ、届きましたよ。ありがとう。』・・・そう仰っると、白井さんはまた脇目も振らずザバイオーネを一心不乱に召し上がっていました(涙)。



 またも私事の余談が長くなりましたが汗、伊トリノのジェラートから始まったこの日の白井さんの話題はトリノから北に向かいヴィエラへと進みます。ヴィエラといえばやはりバルベラですね。生地メーカー、カルロ・バルベラや、トータルブランドのルチアーノ・バルベラについては天神山Iさんのブログに詳しいのでお譲りして、私は白井さんにこの日伺ったエピソードを。

 白井さんが親しみを込めて“ルチアーノ”と呼べば、ルチアーノ氏は白井さんを会う度に“Brother”と呼び、お二人は海を越えた莫逆の友。初めて会ったときの白井さんのルチアーノ氏への印象は『兎に角よく人の着こなしを観察する人』だそうで、服や靴は勿論のこと、ブレザーのボタンを指差して『それは純銀か?』といった具合に実に細かく聞き、果てはテーブルの下を覗き込んでは白井さんの靴下まで確認するのだとか。そして白井さんが履かれていたコックス・ムーアの千鳥格子のソックスをジ~ッと観察して最後にポツリと一言『俺もそれ持ってる。』・・・イタリア随一の洒落者ルチアーノ・バルベラ・・・鋭い観察眼と負けず嫌いな性格を持つ男のようです汗。

 そんなルチアーノ氏ですが、人の言うこともよく聞き、またそれによく応える柔軟な方のようで、夏と冬の年二回フィレンツェで行われる紳士服の一大見本市ピッティ・ウォモ、白井さんはバルベラのブースに赴けば、展示されている新商品に対して『ボタンの位置が低い』だとか『シャツのカフの幅がもう少し狭い方がいい』などとあれこれと指摘するのだそうですが、ルチアーノ氏は白井さんのそんな厳しい指摘も黙ってよく聞いて、次に行くとちゃんと直っていることが実に多かったそうです。真摯な方なんですね。ルチアーノ・バルベラ氏は白井さんより一つ年下の1938年生まれで寅年の今年は72歳の年男。因みに最初に氏の年齢を聞いた時の丑年生まれの白井さん、ルチアーノを徐に指差して『ユーアータイガー、ふふふ。』と言ったそうです。歳が近いと不思議と親近感が沸くのが人情というものですが、果たしてその時のルチアーノ氏が日本の干支のことまで知っていてたかどうかは甚だ疑問です。 



 白井さんの話はこの日も尽きません。次は私がお願いして伺ったお話。

 カルロ・バルベラ氏がご子息ルチアーノ氏、お孫さんのコラッド氏を伴って遠い異国の地・日本にある信濃屋さんを訪れたのは今から20年前。飛行機を降りた当時79歳だったカルロ氏が大きな旅行鞄をちゃんとご自分で持っていたのには白井さんも驚かれたそうです。長旅の末、信濃屋さんの椅子にやっと腰を下ろしたカルロ氏は、ガラス板を表面に張ったアンティークのテーブルをじっつ見つめては興味深げにそのガラスを掌で擦りはじめたそうです。白井さん始め、その場に居た信濃屋さんのスタッフの方々はその意味するところを図りかねていたそうですが、相手はイタリー屈指の品質を誇る拘りの生地メーカー“CARLO BARBERA”の創業者。皆固唾を呑んでカルロ氏の手を見つめていたそうです。そして一頻り撫でた後、カルロ氏が放った一言は『これは何の木だ?』・・・すかさずお孫さんのコラッド氏『それはガラスだよ。』と素早いツッコミを入れたそうです・・・この顛末に流石の白井さんも大爆笑だったそうで、白井さんのお知り合いは海を越えても魅力的な方ばかりです。

 それともう一つ、白井さんがバルベラ家の思い出で忘れられないのがピッティでの出来事。当時既にご高齢だったカルロ氏。それでも氏は毎回必ずピッティに顔を出してはそのご健在ぶりを示されていたそうですが、ある時氏の靴紐が解けていて、それを認めたご子息のルチアーノ氏はその場に素早く跪くとお父上の解けた靴紐を静かに結び始めたそうです。その光景を見た白井さんは『ああ、まさにゴッドファーザーの世界だ!』と思ったそうです。ファミリーを何よりも大切にする“イタリア”という国を強く感じるエピソードです。

    

 さて、今日のお帰りはこれまでで最もスポーティーな装い。ボルサリーノのカシミアのハンチングはこのブログ初登場の白井さんのキャップスタイル。『ハンチングはあまり被らないなぁ。』と仰っていましたので貴重なショットです。コートは伊アニョーナ(AGNONA)のアルパカ。白井さんは共生地のベルトで腰をギュッと絞って颯爽と家路に着かれました。

 

 最後にもう1エピソードだけ笑。白井さんは以前はお店の奥にあるスタッフクロークにコートを仕舞ってらしたのですが、最近は地下一階のエレベーター前に置かれているコートラックにその日のコートをかけてくれています(たまたまかもしれませんが汗)。今日のこのアルパカのコートを見た私は最初、“あれ?アニョーナのアルパカってこの前にもお召しになっていたよなぁ~白井さん忘れちゃったのかな・・・でもま~いっか”なんて思いながらも少し残念に思っていたのですが、よくよく見ると前回のアルパカとは全く色も形も別物のコート!安心した私は思わず、『あ!前回のアニオナとは違うんですね!』と思わず口走ってしまいました汗。すると白井さんは『全然違うよ~!ちゃんと変えてきてるんだよ。』と軽く色を為したご様子笑。でも直ぐに『ま、別に意識してる訳じゃないけど・・・もう着れなくなるかもしれないからこの冬で全部着るつもりなだけ。』と・・・これもまた白井流の“別に意識してる訳じゃないけど”です笑。

 でも私は白井さんには天衣無縫にお好きなものをお召しになっていただければそれが何よりですし、私の予測ではコートはまだまだまだまだ活躍すると思います笑。


チョークストライプのフランネルスーツ&ヘリンボーンツイードのコート

2010-01-08 13:16:26 | 白井さん
 “七草をゆるり過ごすは夢の中”

 正月休みと流行りモノはあっという間に過ぎてしまうのが世の常で、松の内が明ける頃には街を往く人の足取りの早さもすっかり日常のそれを取り戻しますが、ただ今年の私に限って云えばこれほど休み明けが待ち遠しかった年はありませんでした。往来せわしい横浜は馬車道を私は誰にも負けない速足で信濃屋さんへと向かいました。改めまして、皆様今年も宜しくお願い致します。

  

 さて、早速2010年最初の“白井さん”はどんな装いを・・・以前、このブログではお馴染みの銀座・天神山の店長Iさんはそのブログ上でご自身の仕事始めのスタイルをビシッとダークスーツでご披露されていたので、もしかしたらIさんのお師匠である白井さんもダークスーツかな?なんて想像していたのですが見事正解でした。斯く謂う私も年頭にあたって、昨年末に“さる方”からプレゼントして頂いた“取って置きの虎の子”のネクタイを締めて臨みました。

 『お!良いネクタイしてるね~笑!』と白井さん。

 『ありがとうございます。昨年末に“さる方”から頂戴したものなんです笑。』と私。

 “さる方”は目の前にいらっしゃるその人。私の“取って置きの虎の子”は白井さんから初めて、そして思いもかけず戴いた白井さん私物の青みがかった菫色が鮮やかなの古いバルベラのレジメンタルストライプのタイでした。実は元旦のアップでちらっとご紹介済みだったのですが、あまりに嬉し過ぎてこれ以上はとても書けません(照)。

 前置きが長くなり申し訳ありません汗。こんな遣り取りから2010年はスタート。白井さんの仕事始めはチョークストライプのフランネルスーツ、そしてコートはヘリンボーンツィードです。

  

 96年に“A CARACENI(ア カラチェーニ)"で仕立てたチャコールグレイにチョークストライプ(因みに『蝋石縞・・・な~んて、そんなこと言っても他所じゃ通じないよ。蝋石知ってる?』と仰っていました汗。もちろん知ってますよ蝋石笑)の入ったフランネル素材のダブルブレスト・スリーピース。同じカラチェーニといっても何種類かあるようで、私はあまり詳しくないのですが、白井さんは『ア!カラ。ア!カラ。』と“A(ア)”の部分を強調して連呼されていましたので余程特別な品のようです汗。プレーンな白シャツにタイは古いバルベラのもの。“迷ったときは白!”(この格言は以前白井さんから教えていただきましたが、この日白井さんが迷ったか狙ったかは定かではありません)の格言かチーフは白を挿し、足元は『何にでも合わせ易く履き心地がとても気に入っていて、新橋の大塚製靴でオールソールリペアしてもらったくらい。』と仰る伊シルヴァーノ・ラッタンツィ製のスウェードの一文字にソックスはチョークストライプの色と合わせてかライトグレーのソッツィ(伊)、という着こなし。

 ここで少し余談・・・靴の撮影のとき『以前白井さんにお話した、靴をいっぱいお持ちで私のブログにコメントを下さる方が、昨年のサクソンのスウェードシューズを内側からの撮影した写真が良かったとお褒め下さったんですよ。』と私が言うと、『ああ、昔のフローシャイムをいっぱいお持ちの方?』と白井さんはよく憶えていて下さり、そう言いつつ靴の内側を。私が『その方は昔、元町で初めて白井さんにフィッティングして頂いたボストニアンのコードヴァン・・・』と言いかけたところですかさず白井さんが『サドル?ああ~あれかぁ』と懐かしそうに思い出され、『そうですそうです。そのサドルは今でも大切な思い出の品なんですって。』と言った私の言葉に白井さんは『そうですか。宜しくお伝えください。』と仰っていました。という訳で“おじおじさん”!、お伝えいたしましたよ笑。



 この日も白井さんは舌好調!始まりはこの日お召しになっていたシャツのお話。『イタリーの○○○○○(有名シャツ屋さん)で採寸して作らせたんだけど、襟がぴろっと外に撥ねちゃうし、着心地は悪いし、袖は短いし、おまけに値段は高いし・・・マッタク・・・』と憤懣やるかたないといったご様子。私は『だったらお召しにならなければ・・・汗』と心の中で呟きつつも、そんなところもまた“白井流”なのか!(考えすぎか)と心のメモに書き留めました。白井さんが“とっても良い人だよ~”と仰る某国民的時代劇ドラマの大スターと競馬観戦されたお話。デビュー前横浜で活動されていた宇崎竜堂さんが阿木耀子さんと挙げられたささやかな披露宴の思い出。“ブルースウェードシューズ”はエルビス・プレスリーで有名だけど、元はカール・パーキンスの曲。だから信濃屋オリジナルのブルースウェードシューズには“パーキンス”と名付けたというちょっとマニアックな話。逆に、白井さん愛用のコロンのことや、懐にいつも忍ばせて(白井さんの上着の内ポケットはいつも何かでいっぱいいっぱいな状態です笑)いるクラシックな柄模様の表紙と質の良さそうな紙を使っているメモ帳のことを私から質問させていただいたり、とお話は尽きません笑。そんな中、白井さんが不意に『あの袋、コヴァ?』と何やら思い出したご様子。コヴァ(COVA)とは伊ミラノの目抜き通りモンテナポレオーネで古くから営まれているカフェの名で、日本では数年前に新宿の高島屋にコヴァ・ジャパンが出店。私は職場が近いので、ときたま平日の午後などすいている時を狙ってはエスプレッソをちびりちびりと啜っていて、白井さんが不意に思い出されたのはこの日私がお年始に皆さんでと想いたち新宿で求め、先に信濃屋のスタッフの方にそっとお渡ししたお菓子の紙袋についてでした。さてもしてやったり哉、さすがは白井さん僅かな瞬間を見逃しません。実は昨年末のティンカーティのお話を受け、珈琲と甘いものが大好きな白井さんならきっとコヴァもご存知だろうなと思い敢えて狙わせていただきました。ただし私がお持ちしたのは申し訳程度の一番小さい包み(何せ値が張るものですから苦笑)。でも『へえ~日本にもコヴァがあるんだね。ミラノで買ってきたのかと思ったよ。』と白井さんもちょっとびっくりのご様子でした。もちろんその後のおしゃべりが白井さんのミラノの思い出から再スタートしたことは言うまでもありません。余計な話ですがつい嬉しくて書かせていただきました。

  

 というわけで白井さんとの貴重なお時間の98%は実はいつもこんな具合で、ついついお話に夢中になってしまい特に今回はちょっと写真は少なめ・・・涙。ただ、『もっといっぱい撮ればよかった~』と嘆いていた私に、いつもお相手くださる信濃屋さんのベテランスタッフMさんが『○○くんのブログらしくて良いじゃないですか笑』と優しくフォローしてくださり有難い限りでした。そうそう、それもまた楽しからずや、ですから笑。

   

 楽しい時が過ぎるのは早いもの。この日のお帰りは80年代のルチアーノ・バルベラ製のツイードコート。シングルブレスト、ターンナップカフ、フレームドパッチポケット、ディープセンターベント、微妙な色合いの大きなヘリンボーン柄が一際目を惹くラグランスリーブコートは当時たった4着のみの扱いで、あっという間に売り切れた(うち一着は白井さん所有・・・汗)という幻の名品。信濃屋さんではそういった例が実に多いらしく、特に良品をお求めの方は当の白井さんが最大のライバル!『これは良い!と思えば値札も見ないで買っちゃうよ。』そう公言する白井さんが相手です。うかうかしてチャンスを逃せばもう二度とお目にかかれないといったことになるそうです。お手元はお馴染みのステッキとエルメスのペッカリーグローブは前回と色違い(確かライニング無しか)。

 

 昨今のボルサリーノではまずあり得ない、ぶ厚いフェルトに長い毛足と美しい毛並。『こんなの今ではなかなか無いよ。』と白井さんが仰る昔々の帽子はそのボルサリーノ製のファー・ラビット。『ゴッドファーザーⅡ』でやくざが被っていた帽子の色、リチャード・ギアが『コットンクラブ』のラストシーンで、このブログで以前ご紹介した白井さんがお持ちのものと同じ帽子を被っていたことなど、お帰りの間際までお話は尽きず、やはり白井さんにとって帽子は重要なアイテムのようです。更にこの日のマフラーはかつて信濃屋さんで扱っていた日本製のもの。穏やかな黄色が印象的なカシミア糸を実に目の細かいガーゼ織りでふわっと柔らかく仕立てた、こちらも今では手に入らない幻の一枚は白井さんも殊にお気に入りなのだとか。

 前述のMさんは、『白井さんは、現代ではあり得ない質の高い品々がちゃんとあって、洒落者と呼ばれる人々がそれらを見、手にし、愛用していた時代を知っている人。今の人が追いつくのはなかなか至難の業ですよ。』と仰っていました。半生を最も身近で白井さんを見てきたMさん。その言葉の重みには私如き俄仕込みが千万言を費やしてもその足元にすら及びません。馬車道店頭ウィンドウのディスプレイをご担当されているMさんとは、春物一番窓を是非一枚撮らせいただけるようお願いもしましたのでお楽しみに。

 

 さて、最後にまたまた余談ですが、この日は私、お休み前ということもあり、疲れた体を癒すため、信濃屋さんのごく近所にある、以前このブログでもご紹介し、昨年末のクリスマスパーティーでもお世話になったイタリアン『パネ・エ・ヴィーノ』へ撮影後ちょっと寄り道。お気に入りのパスタ・ボロネーゼを食しつつ、いつもお相手くださる店長のKさんとの話題はここでもやはり信濃屋さんや白井さんについて笑。Kさんはかつて帝国ホテル内の数あるレストラン、レ・セゾンやラ・ブラスリーはもちろん大阪・上高地まで、の全てをご経験された大変優れたカメリエーレ=給仕長さんで、いつも鮮やかな手際で、あくまでもスマートに、でもちょっとおとぼけなサービスを魅せてくれます。内外のホテルにもお詳しいKさんは白井さんともお話が合うのでしょうか、『白井さんはいつも最高のホテルにお泊りになられていますよ。』との情報もこっそり教えていただきました。因みに前述の素敵なメモ帳は白井さんがフィレンツェの5星ホテルでゲットされたものでした。

 信濃屋さんのスタッフのお一人で、大きな外国人の中に混じっても見劣りしないほどの美丈夫であるYさんは、外見とは対照的に柔らかい物腰が魅力的な方。でも『いつも前菜、パスタもすっ飛ばしていきなり肉料理を召し上がるんです。』(Kさん談)という元高校球児のYさんはやはり体躯同様実はワイルドな方ということが判明。因みに白井さんも肉料理が大好物。一時体調を崩されていた白井さんですが、最近は食も戻り以前と変わらぬ元気を取り戻していらっしゃるようです、とKさんは安堵したご様子でした。

 元気といえばKさんは更にこんなエピソードを。昨年のある昼時、いつものようにランチを召し上がっていた白井さんの隣のテーブルのOL風の女性が食後のお化粧直しをその場で開始。白井さんはそれを見るとやにわにその無作法ぶりを一喝!!店内に居た白井さん以外の全ての人にとっては正に青天の霹靂。辺りがシーンと静まり返る中、初めはその女性も負けじと白井さんをキッと睨み返したそうですが、残念ながら最後は『負けちゃってました。』(Kさん談)とか。何せあのいでたちの紳士が泰然自若としてずんと座って構えているのですから如何な無法の徒も敵いませんでしょう。焼ける前(戦前という意味だそうです=白井さん談)にお生まれになった漢こそ畏るべし。相手が悪かったですね、とその女性には聊か同情いたしますが、『お食事は食堂で お化粧直しは化粧室で』こんな標語が頭に浮かぶ、近年稀に見る痛快なエピソードを聞かせていただきました笑。 

Happy New Year 2010

2010-01-01 14:12:52 | お気に入り


  
          あけましておめでとうございます!

  
 “capriccioso~気まぐれ~”な更新ペースや“ad libitum~気まま~”な内容にも拘らずご覧戴いている皆様に支えていただき、2010年元旦の更新が無事果たせることを深く感謝いたします。これからも私的な“旬”の関心事をつらつらと書き連ねていこうと思っていますので、今年も何卒宜しくお願い申し上げます。


          皆様の御健康と御多幸を願いつつ


                       2010年    元旦