ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

Glen plaid suit

2011-12-02 18:47:18 | 白井さん


  2011年師走。横浜は、冷たい雨とともにようやく冬の訪れを迎えたようです。

  先月、白井さんの着こなしを約一年ぶりに撮影させていただきました。

  紳士服をこよなく愛する皆様、お久しぶりでございます(笑)。是非ご堪能ください(笑)



  今回はグレンチェックのDBスリーピース。なんとも味のある色柄。だが同時に着る人を選ぶ

 ハイレベルな素材という印象も受ける。男の服の世界ではこんな言葉があるそうだ。曰く、

  “柄もののスーツを着こなせたならば、その男は一流である。”

  白井さんはその難しい服をいとも容易く“ふわり”と着る。小物もさりげなく、また、よく主

 に仕えている。

  “自在の境地”に居られる白井さんならではの着こなし。



  昨年末を最後に、ずっと更新をしていなかったにもかかわらず、当ブログには今なお毎日数百

 名の方からのアクセスがあります。皆様ありがとうございます。ですが、かく云う私もその中の

 一人。

  『昨年の今頃、白井さんはどんな着こなしをされていたのだろう?』

 と、季節の移ろいに合わせた色使いや素材選び、組み合わせ方を学ばせていただきながら、自分

 の着こなしを磨く糧としていますが、白井さんの着こなしを、ただなんとなく頭をカラッポにし

 て眺めているだけでも、なんだか自然とお洒落上手になっている気がしてくるから不思議です

 (笑)。



  残念ながら今年は今回が最初で最後の更新になりそうです。ですが、今年は信濃屋さんのホー

 ムページ“SHINANOYA STYLE”で白井さんの着こなしが頻繁に紹介されており、私も多くの皆さん

 同様、毎回ワクワクしながら更新を待ちわびています。

  あ!明日12月3日は白井さんの御誕生日ですね(笑)

  “ワン・ツー・スリー”と憶えてください(笑)

  ブログ上で失礼とは思いますが、白井さん、おめでとうございます!

 


SHIRAI STYLE

2010-12-31 21:27:51 | 白井さん


 『おしゃれに関して、どんなこだわりがありますか、とよく聞かれるのですが、ちょっと答えに窮してしまいます。私はこれまでずっと、自分がいいと思うもの、その感じる心を大切にしてきました。あえて言うのなら、長く愛着を持って着られる服ということでしょうか。そうなると自然と、ベーシックなフォルムで、仕立てや素材にクォリティの高さが感じられ、それでいて着る人の個性をキラリと主張する、そんな洋服に惹かれるのです。

 私はこれまで、紳士服というものに、一方ならぬ情熱を注いできました。それは持って生まれた性分かも知れませんし、育った土地柄や、時代、あるいは信濃屋との出会いが、私の人生をそのように導いたともいえるでしょう。

 私は1937年に生まれ、小学2年生で終戦を迎えました。疎開先から戻った生まれ故郷の横浜は焦土と化していました。そんななにもない時代に、本牧を闊歩するアメリカ兵たちの、オリーブグリーンの軍の制服が、私の目にはたいへん印象的に映りました。子供心には敗戦国の負い目や敵国という意識はなく、ただ単純にアメリカ兵のカッコ良さが胸に染みたのでした。

 それから中学、高校時代になると、さらにアメリカは未知なる憧れとなり、映画で見るシカゴのギャングのちょっと悪だけれどエレガンスなファッションに心ときめき、伊勢佐木町を流れるカントリー&ウエスタンと闊歩するアメリカ兵を羨望し、その魅惑的な空気が私のファッションへの興味へとつながっていきました。

 高校を卒業して東京の学校でデザインの勉強をしていた頃、アルバイトで働くようになったのが、信濃屋との出会い。この店の魅力に取り付かれてそのまま社員となり、今日まで年月を重ねています。』

 

 『横浜の信濃屋といえば、当時から老舗の洋品店として知られ、政治家から映画関係者まで、お客様はそれこそファッションに目ききの一家言お持ちの方ばかり。店で扱う商品も、それぞれにこだわりのある一級品ですから、二十歳そこそこの若造が簡単に売れるような代物ではありません。最初は「商品がわからないのに、お客様に売るな」と先代の社長に言われて雑用ばかり。でも、せっかく信濃屋で働いているのに、自分で商品が売れないのでは面白くないでしょう。そこで自分なりにもっと勉強をしようと、アメリカの「メンズウェア」など外国のファッション雑誌を買い求めては、いつも知識を貯えていました。英語はそれほど得意ではありませんが、ファッション用語だけはしっかりと頭にはいったものです。もちろん日本でそんな言葉を使っても、誰も知らないような時代ではありましたが……。こうして私がお客様に商品を直接売るまでには10年かかりました。

 ただ、店員として恥ずかしくない知識はあっても、その上をいくお客様がいらっしゃるのが、ここ信濃屋の老舗たる所以でしょうか。こんな思い出があります。

 いつもとてもダンディな着こなしをされていて、フラリと立ち寄られては、サッと好みのものを買っていく。それがまた、私たちをうならせるような品選びをする方がいらっしゃいました。ある日その方が麻のスーツをお求めになられたのですが、そのときに私に向かって「白井君、麻のスーツというのはね、3年くらい着こまないと、本当の麻の良さが出ないんだよ。だから3年目の味わいを出すために、最初の2年間はムダに着るわけだよ」とおっしゃられた。私はこの言葉を聞いて、自分の装いを楽しむゆとりや豊かさ、しゃれ心とはなにかを教えられたと思いました。』



 『ファッションに関する情報も、昔とは違いとても豊富になっていますから、最近のお客様は、スーツなどを選ぶとき、ブランド名や、値段をその基準にされる方が多いのは当然のことでしょう。しかし私はまず、その商品そのものを純粋な気持ちで見ていただきたいと思っています。デザイナーの名前や値段にとらわれるのではなく、自分の気持ちに触れるものをぜひ手にとって欲しい。

 仕立てのよさ、素材の良さも含めて、本当にいいものには人を惹きつける輝きがあります。その魅力があなたの心に共鳴するような、そんな出会いをしていただきたいと思います。』~信濃屋HP“白井俊夫のおしゃれ談義”より~











 今日は2010年の大晦日。私にとって、この一年は、“白井さん”に明け、“白井さん”に暮れる一年になりました。このブログ“白井さん”の最終回、タイトルは、やはりこれを措いて他にありませんでした。

 “SHIRAI STYLE”

 でも、今更私がここで何を言うことがありましょう。私が“白井流”について語るなんて、そんなことは天地がひっくり返っても不可能ですし、もう既に白井さんご自身が、冒頭に引用させていただいた、信濃屋さんのHP“白井俊夫のおしゃれ談義”において簡潔に纏められているのですから。思い返せば、この一年間は、“冒頭の一文”で白井さんが語られていたことを、私自身の耳目で確認する一年間だったのかもしれません。そして、一年が過ぎた今、自信を持ってはっきりこう言うことができます。白井さんの言葉は紛れも無く全てが真実でした、と。

 文中で白井さんは、

 “私はこれまでずっと、自分がいいと思うもの、その感じる心を大切にしてきました。”

 と、ご自身についてそう言います。私が見た白井さんもやはりその通りの方。白井さんは本当にご自身の心に正直な方でした。

 “正直”という徳目は、人が人の世を生きていく上で最上位に位置づけられている規範の一つですが、同時に、人が人の世を生きていく上でこれほど実践し難い規範もまた無いのではないでしょうか。何故なら、人が自分の心に“正直”であるには余程の“覚悟”と“勇気”も必要とされるからです。

 “白井流”が多くの人を魅了するのは、その堅牢な服飾理論、その類稀な美的感覚は勿論のこと、そのスタイルの根底に在る“覚悟”と“勇気”に人々が共感と羨望を感じるからなのかもしれません。もちろん、それは飽くまで私の勝手な意見ですが(笑)。
 
 最終回が近づくにつれ、私の筆が少し変っていたのを白井さんは見逃していませんでした。

 白井さん  『ここのところは好きなことばかり書いてるね。』

 私     『うっ、申し訳ありません(汗)。』

 白井さん  『ふふ、それでいいんだよ(笑)。』

 白井さんを知れば知るほど、端から見れば何気ない言葉のやり取りにも、私はそこに深い意味を感じることがたくさんありました。いつしかこのブログは、私にとって“着こなしブログ”という枠をとうに超え、“人生勉強”そのものになっていました。
 
 12月25日に最後の撮影を終えた後は、なんだか心にポッカリ穴が開いてしまったような寂しい気持ちになりましたが、ここ数日かけて、一年間の全ての記事を読み返してみました。粗ばかりが目立ち、どうしてもっと上手くできなかったのだろうと後悔の念も込み上げてきましたが、私にできる範囲のことは全てやりきったつもりですので、清々しい気分もあり、今はちょっと複雑な心境です。

 このブログをご高覧いただいた皆様、支えてくださった多くの方々、信濃屋の皆様には深く感謝しつつ筆を置きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました(笑)。そして、白井さん・・・。

 撮影最終日は、本来ならきちんと白井さんにお礼を申し上げなければならないのに、何だか面と向って言うのは恥ずかしくて、そこで完全に終わりを迎えてしまうことが何故か切なくて、“良いお年を”のご挨拶もそこそこに、私は逃げるように信濃屋さんを急ぎ足で退散してしまいました。ただ、それではあまりに無礼極まりないのは承知のこと。電車を降り、家に向う道すがら、私は白井さんの携帯に電話を入れました。

 私、    『白井さん、一年間、本当にありがとうございました。』

 白井さん、 『はいはい、お疲れさまでした。』

 私、    『あれ~?白井さん今“お疲れさま”って仰いましたよ??』

 実は、白井さんは近頃よく、

 『最近の人はよく“オツカレサマ~”って言うでしょ。あれは嫌だね~芸能人じゃないんだからさ!普通に“さようなら”でいいのに。』

 と仰っていて、え~!その白井さんが??と、大事な最後のお礼の電話にもかかわらず突っ込んでしまいました(汗)。最後の最後まで言わでものことを口走る無礼にもかかわらず、白井さんは、

 『いいんだよ、こういう時は(笑)。お疲れさま。』

 そう静かに仰ってくれました。このブログを始めた当初は近づき難い“不世出の洒落者”だった白井さんは、ふと気が付けば、いつしか私にとってかけがいの無い“人生の先輩”になってくださっていました。もしかしたらそれは、私にとっての、このブログを続けてきたことへの“最高のご褒美”だったのかもしれません。

 白井さん、ありがとうございました。心から感謝しています。

 では、皆様、よいお年を!

                    Dec. 31st 2010  END

Merry Christmas in YOKOHAMA

2010-12-25 04:00:00 | 白井さん














 『白井さんの魅力って何だと思いますか?』

 先日の信濃屋さんのクリスマスパーティーで初めてお会いしたO様は私にそう訊ねられました。

 O様は以前、信濃屋さんのスタッフとして白井さんと共に働かれていた淑女。当日、信濃屋さんのPCからこのブログを初めてご覧になり、私に親しくお声をかけてくださいました。とても快活な方で、パーティー会場ではデジタルムーヴィーカメラを片手に、カントリーを歌う白井さんの姿を中心に、ゲストの皆さんの楽しげな雰囲気を積極的にカメラに収めておられました。

 不意な質問にぐずぐずしながら答えに窮していた私に、О様はたった一言、

 『私は、白井さんって“横浜の魅力そのもの”だと思うんですよ(笑)。』

 と仰っていました。単刀直入でありながら女性らしい詩的な表現に、私も“まさにその通りです!”と、思わず快哉を叫んでいました。

 
 
 “横浜の魅力”・・・。

 東京に次ぐ有数の大都市でありながら、都市としての歩みは150年あまりと比較的新しく、尚且つその歴史は極めて独特で、個性的な発展を遂げてきた街・横浜。その中でも“開国”と“占領”という2つの歴史的な出来事と、それらをもたらした“西洋文明”は、今も昔も“港街横浜”と密接な関係にあるでしょう。船による海外渡航が一般的だった時代は言うに及ばず、羽田空港ハブ化の話題で賑わう現代でも、横浜港は我が国の輸出入最大の“窓口”であり続けています。日本の近現代史において、戦前も戦後も海外からの“新奇なもの”の多くが横浜から陸揚げされてきたのです。

 白井さんが海外へ仕入れに赴かれると、取引先の外国の方は日本に対する先入観からか、信濃屋さんの所在地を“TOKYO”と勘違いされることが時折あったそうです。もちろんその都度、

 『“YOKOHAMA”だよ。』

 と、白井さんは訂正されたそうですが、そう私に話された時の白井さんの語調はいつもより少し強めで、私は白井さんの中にある、横浜は日本における世界の窓“YOKOHAMA”であるという気概、そして生まれ故郷に対する“誇り”を感じました。

 我がふるさとを誇る心は大なり小なり、誰にでも在ることながら、横浜っ子のプライドを支える精神の中には、新奇なものを常に最初に受け入れてきた人々が培ってきた“進取の精神”と、それら受け入れたものを咀嚼し独自の文化に昇華させてきた“ものづくりの精神”があるのではないでしょうか。小さな日本刀を駆使し銀器に絵や文字を彫り込む技で山手の外国人を唸らせた刀彫り職人、独学で本家英国をも凌ぐ傘を作り続けてきた傘職人、白井さんが古くから愛用してきた横浜メイドのシャツは白井さんと共に海を渡り、その繊細で確かな技術はイタリーのシャツ職人の見本となりました。

 『私はこれまで、紳士服というものに、一方ならぬ情熱を注いできました。それは持って生まれた性分かも知れませんし、育った土地柄や、時代、あるいは信濃屋との出会いが、私の人生をそのように導いたともいえるでしょう。』(信濃屋HP“白井俊夫のおしゃれ談義”より

 横浜が百数十年に渡って醸成してきた“進取の精神”と“ものづくりの精神”は白井さんの中にも濃厚に存在し、それらは白井さんが仕入れや開発に携わってこられた品々において顕れ、その着こなしにおいて結実しています。

 白井さんは私に度々こう仰ることがありました。

 『何にでも関心を持たないとだめ。いつでもよく見てないと。』

 いつもと違う風景、色、形、匂い、肌触り、音、感覚を通して伝わる情報を、そしてそれを感じる心を大切にしなさい、と。何故なら“男の装いは心に共鳴する一着との出会いから始まる”(白井さん談)からではないでしょうか。

 筆が少々大袈裟でとりとめの無いものになってしまいました。やはり私如きには横浜の魅力を語ることは荷が重すぎたようですし、白井さんの魅力についてもまた然りです。もっとゆっくり時間をかけて少しずつわかっていくこと、なんだと思います。

 そして横浜は、昔も今も数多くの人や物が交錯する“出会いの街”。昨年末より続けさせていただいた“白井さん”はいよいよ次回が最終回となります。更新は12月31日を予定しています。このブログを通じて私に多くの出会いを与えてくださった横浜の街、信濃屋さん、支えてくださった皆様、そして白井さんにたくさんの感謝を込めて、
 
 Best wishes for your Merry Christmas !



Camel hair Polo coat

2010-12-23 04:00:00 | 白井さん










 『今はオーバーコートはお洒落着だから・・・』

 以前、白井さんは私にそう仰ったことがありました。

 帽子がそうであったように、かつて男にとってオーバーコートはお洒落以前に冬の必需品でした。が、今は室内のみならず、電車、自動車、飛行機の中と、外を歩くとき以外は完璧な空調が整えられ、次第に着る人が少なくなりつつあるようです。

 地球温暖化の影響も少なくはないようです。今からほんの30数年前、私が子供だった頃でも、冬は今よりももっと寒くて、街往く人々はたいがい重たい厚手のコートを着ていたような覚えがあります。雪が深々と降りしきる年末、毛糸の手袋と帽子を嵌めさせられ、首にはやはり毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにされ、厚手のスウェーターの上にメルトンのダッフルで着脹れし、年越しの買い物に忙しい母に手を引かれ、白い息を吐きながら足早に歩く私の姿もまた、今ではもう遠い記憶の彼方で霞んでいます。雪が降らなくなった21世紀のクリスマスでは、サンタクロースも軽いハイテク素材に身を包んで子供達にプレゼントを運んでいるかもしれません・・・。

 ただ、それでも毎年冬が近づくと、オーバーコートに袖を通す日を待ち焦がれてしまうのは何故なのでしょう。

 目深に被った帽子の鍔影、襟元にゆったりと巻かれたマフラーの感触とドレープが生む陰影、杖をぎゅっと握りしめた革手袋の音と匂い、冷たく乾いた空気を伝い街路に鳴り響く硬い靴音、足元から伸びる灰色の影が映し出す幅広い両肩と大きな背中、重厚なシルエット・・・どんなに時代が変ろうとも、やはりオーバーコートを纏った男にはこの上なくエレガントな雰囲気が漂います。

 “OVERCOAT STYLE”が男のお洒落心を魅了し続けるのは、そのエレガントなスタイルが一年の内の僅かな時間にだけ許される“大人の男の特権”だからなのかもしれません。

 年末まであと僅かとなったこの時期、遂にこの項“白井さん”のタイトルにその名を冠する日がやってきました。“ポロコート”の登場!そして“コート5点セット”で“完全装備”の白井さんです(笑)。

 

 さて、この日の白井さんはたいへんご多忙でしたが、信濃屋顧客列伝中のお一人で、アメリカントラッドならこの方に聞け!というくらいの大のアメトラ通であられるT様が私のお相手をしてくださり、たいへん有意義な時間を過ごせました(笑)。T様、今度人形町行ってみます!

 え~我が家のPCがこの一年間撮り貯めた“白井さん”の画像で遂にパンクしました!前回から仕方なく近所のネットカフェから写真をアップしたところ、これぞまさに不幸中の幸い!我が家のPCより高性能な画像処理ソフトのお陰でこれまでよりもより大きく鮮明な画像をお届けできることを発見!今回からはオール“どアップ”の白井さん画像をお届けいたします(笑)。

 今季初のオーバーコートには“やはり”この“キャメルのポロコート”を選ばれた白井さん。実は密かに私が予想していた通りでした。何故そう予想したかというと、これは当然私の勝手な当て推量ですが、白井さんは“キャメルのポロコート”が一番のお気に入りなのではないかな?と、故に今季の一番に選ばれるのではないかな?と考えたからです。

 そう考えた根拠も一つあるにはあるのです。昨年末、このブログ“白井さん”の連載を始めたその第1回目のお帰りで、写真には写ってないのですが、白井さんは今回と同じコートを羽織られていました。因みに、その回にコートの写真が掲載されていないのは、初めての取材という極度の緊張で私が撮影するのをすっかり忘れてしまったためです(汗)。今では白井さんの自然な表情もかなり写せるようになってきたと自負している(といっても白井さんからは“変な写真ばっかり!”とよく怒られていますが・・・汗)私としては、一年という重ねた月日が偲ばれる良い思い出です。

 白井さんはその日、

 『この冬、初めてのオーバーコートだよ(笑)。』

 と仰っていました。

 “シーズンの初めには一番のお気に入りを着たい”と思うのは自然な人の情、それは白井さんとて例外ではないのでは、と考えたのが私の推量の根拠です。もっとも、“白井さんとポロコート”という図式が私の中で不離のものになっていて、私の只の思い入れの強さが一番の“根拠”なのかもしれません(苦笑)。些か余談が過ぎました、白井さん、勝手なことばかり書いてごめんなさい(汗)。

 

 ポロコートが、白井さんが殊にお好きな紡毛系の服との相性が最も良いコートの一つであることに異論を挟まれる方はおりますまい(笑)。また、その中でも“キャメルヘア”はポロコートに好んで用いられる最も代表的な素材の一つ。誕生以来100年を越える歴史を持つポロコートには多種多用な素材があり、このブログでも何種類かのポロコートが登場していますが、

 『ポロコートの大本命は“キャメル”。』

 とは、かつて白井さんに教えていただいた“至言”。

 天賦の感覚、磨かれた感性、重ねてこられた経験の深さで、着こなしにおいて“自在の境地”に達しておられる白井さんですが、その基本の部分、とでもいいますかベースといいますか、所謂“着こなしの論理”の部分に於いては、白井さんは飽くまで紳士服の“王道”を外しません。長きに渡って伝えられてきた“伝統”や、数多の男たちによって培われてきた“正統”というものをとても重視されているのです。

 『その服地なら夏のスーツに仕立てた方が良いよね。』

 『あの靴に合わせるならやはりツイードだよ。』

 『ブレザーにはこういう釦が一番良い。』

 挙げれば切りが無いほどに、私は白井さんから“正統”を重んじた言葉をたくさん伺いました。白井さんの着こなし、そして携わってこられた数多くの仕入れや商品開発、それら全てはそういう“堅牢な土台”の上に築き上げられたものであり、例えそこにどんな“遊び心”や“感性”を加えたとしても決して“見識の無い”ものにはならないのです。

 “長く着るなら普通が一番。”

 “ベーシックなフォルムで、仕立てや素材にクォリティの高さが感じられ、それでいて着る人の個性をキラリと主張する、そんな洋服に惹かれる。”(いずれも白井さん談)

 きっと“紳士服”という世界には“自らより普遍的であらんと欲する”という属性が本来的に備わっているのだとも思います。だから余分なもの、合わないもの、足りないもの、は次第に排除されていく。その場凌ぎだけの目新しさ、“オリジナリティー”を称した薄っぺらなもの、○○もどき、では一時の隆盛は得られたとしても、最後は儚く消え失せる厳しい世界・・・。

 だいぶ話が逸れてしまいました(苦笑)。“お前に何がわかる!!”と皆様からお叱りを受けそうです(汗)。確かに私は何も分かりません。だから、私にできることは、白井さんのような“本当のプロフェッショナル”を信頼することだけなのです。 



Cashmere blazer & Black watch pants

2010-12-15 04:00:00 | 白井さん


 誠に勝手ながら、今回はいつもより一日早い更新です。

 私は通常、“白井さん”撮影の前日にこのブログを書いているのですが、如何せん素人の哀しさでついつい執筆に手間取り寝不足になった挙句、肝心な翌日の撮影でボケ~っとしてしまうことが多々ありました。しかし、16日に迫った信濃屋さんのクリスマスパーティーでの撮影はいわばこのブログ“白井さん”を始めた一年前から待ちに待った“大舞台”!そのような大事な撮影日に寝不足の体で臨むわけには参りません。体調を整え万全を期すため今回はこのような運びとなりました(笑)。

 さて、今回の白井さんは久しぶりの“Blue blazer”。そして、今回は綺麗に撮れました(苦笑)“Black watch pants”を組み合わせての“ブレザースタイル”です。

 

 あれ?ボタンが??・・・。“もしかして、白井さん、寒いのかな?”と思われた方、私も同じことを考えました。

 『あれ?白井さん・・・ボタン3つ留まってますけど・・・(汗)。』

 『ん?いいじゃない、たまには(笑)。』

 ムムッ、どうやら寒さが原因ではないようです。

  

 実は、理由は今日のネクタイ。

 白井さんがこの日の組み合わせに選ばれた縞のネクタイはかなりの年代物とのことで、ブレザーのボタンを開けて見せていただいたそのネクタイは大剣のあたりに擦り切れがちらほら・・・この日の朝、締めた時にちょうどノットになる部分にも擦り切れが見えたので、結び目の位置を変えてやりかえしたそうです。ところが、そうすると大検より小剣の方が長くなってしまったので、今日は“3ボタン全部留め”という“遊び心”でネクタイをそっと包み隠された・・・というのが理由だったのです(笑)。このお話を伺ってピンっと来たのが、以前ネットで見た白井さんのインタビュー記事(以下抜粋)・・・。

 『色が好きだったりして愛着があるものは擦り切れてもしていますよ(笑)。』

 『ネクタイの締め方で肝心なのは、首もと(襟と結び目の間)にだらしない空きをつくらないことです。その急所さえおさえておけば、あとはそんなにピシッと決めなくても無造作でいいんじゃないですかね。僕も知らずに下(小剣)が出ていることだってあるし。ただ、こういう話をすると、それがイキとか言ってわざとやる人もいますけど(笑)。』

 横浜初物語 十二景 信濃屋シルクネクタイ・コレクション『白井俊夫のネクタイ考』より

 “ネクタイの小剣が出ちゃっても構わない”という発言も驚きなのですが、それ以上に驚く、というよりこの一年間もずっと思っていたことですが、白井さんはいつでも“言行一致”ですし、そしてその発言にも全く“ぶれ”がないですね。

  

 “ボタン好き”と自ら仰る白井さんは、今日のブレザーも、数あるコレクションの中から気に入られている“被せ”のメタル釦に付け替えられたそうです。“被せ”がお好きな一番の理由は“軽いから”とのこと。

 さて、今日のブレザーはカルロ・バルベラ(伊)のカシミアを使って製作した信濃屋オリジナル。

 ブレザーについて信濃屋さんのHPに掲載されている記事はいくつかあり、以前このブログでも一度引用させていただきましたが、今回もう一つご紹介させてください。少し長くなりますが、とても素敵な、私も大好きな一文です。

 『 オリジナルで初めてブレザーを製作したのは1967年頃のこと。M社で作ったものが初代となる。残念ながらディティールには少々不満があったと記憶する。先日ブレザーの修理を承った。それは今から40年前に製作したW社製オリジナルであった。そのお客様は当時、馬車道店のウインドーを眺め、20歳の記念に意を決して求められた思い入れのある商品とのことであった。これだけの年月を経てきたにも拘わらず、コンディションは良く、細かなところの修理のみで応対させていただいた。子供の代にまで伝えたい、今までもそしてこれからも大切にしていきたい一着と、少々照れくさそうに語っていた。(この時点で、もう一着35年前のR社製の3代目のブレザーも修理させていただいた。)

   ナチュラルショルダー、3つボタン上2つ掛け、7mmステッチ。ポケットは3パッチで腰はフラップ付き、センターフックドベント、ウエストは絞りの無い寸胴スタイル。英国Fox brothersのネイビーフラノ生地、裏地は海老茶色、ボタンはふっくらとしたメタルボタンと、当時にして米国BB社のものに勝るとも劣らない本格的なスタイル。この2代目にあたるブレザーには製作した信濃屋としても非常に思い入れのあるものだ。

 「当時住まいしていたアパートに、これに前後して交流の始まる赤峰幸生氏が大量の生地サンプルを持ち込み、一つ一つの生地を矯めつ眇めつ激論を交わし、こういったものを作ろう、ああいったものはどうかと時の経つのも忘れ、気がつけば朝になっていたことも一度や二度ではなかった。今思えば懐かしく、そしてとても楽しく貴重な時間であった。」当時を振り返り白井は語った。』(信濃屋HP“ORIGINAL BLAZER”2009・3・20掲載より

 

 文中に登場されている赤峰幸生氏は“マエストロ”の名で服飾好きな方なら知らない人はいない著名な紳士。そして先日、白井さんに伺って初めて知ったのですが、白井さんと赤峰さんは『桑沢デザイン研究所』の先輩後輩のご関係でもあるのだそうです。

 『当時の桑沢は今では考えられないくらい講師陣が豪華でね。亀倉雄策氏、田中一光氏、剣持勇氏、豊口克平氏、佐藤忠良氏、朝倉摂氏、浜口隆一氏、とまだまだ挙げればキリが無いくらいの錚錚たる顔ぶれだったよ。同級生にもいろんな奴がいて面白かったな。この前、当時の校舎の屋上で撮った集合写真を見たんだけど、背景に作りかけの東京タワーが写ってたよ(笑)。』

 と、白井さんから学生時代の思い出を伺ったこともありました。でも、

 『友達と遊んでばかりいてあまり真面目な学生じゃなかったね(苦笑)。』

 とのこと(笑)。作りかけの東京タワー、青春時代の白井さん、モノを作り出すエネルギーに満ち溢れた時代、良き師、良き友、そして信濃屋オリジナルのブレザー・・・何だか全てが一つに繋がるような気がするのは私だけでしょうか。



 この日の横浜はやや暖かいながらも朝から風が強く、白井さんは中折れとレインコートで凌がれたとのこと。忘れがちですが、“風”への防ぎは帽子とコートの大切な役目の一つなのですね。

 

 この日は『SHINANOYA SHOES COLLECTION』の初日とあって、多くのお客様が信濃屋さんの紳士フロアにお越しになっていました。そして、その方々の中には私にとって大切なお二人も・・・。

 まずは、『本格靴コレクター・おじおじの日記』のおじおじさん。

 おじおじさんには多くのコメントを頂いたり、また『“A SHOE SHINE MAN”』の回では、偶然にも“手”と“声”で動画にご出演してくださり(笑)、その余りのタイミングの良さとその回のシチュエーションにピッタリの絶妙の“キャスティング”には何ともいえないお可笑みがありました(笑)。おじおじさんには折に触れこのブログを盛り上げていただいたことに大変感謝しています。本当にありがとうございました。
 
 そして、もう一人。私と歳も近く、お互いまだまだ未熟ながら“真の着こなし”を学ぼうと切磋琢磨し合っている友人のT君。

 この日は“禁断の”ヤフーオークションで落札した信濃屋別注シルヴァーノ・ラッタンツィを履いて来店したT君。

 『良い色だね~それ、どうしたの?』

 と、白井さんに問われた時のT君の強張った顔。その後、白井さんにネクタイを選んでいただき、

 『10秒で決まりました(汗)。』

 と悦に入っていたT君の嬉しそうな顔。そのギャップはまさに“天国と地獄”といった観があり、傍らの私は笑いを堪えるのに必死でした。

 そんな忙しいT君。今だから言えますが、実は私にはたった一度だけ、このブログの連載を挫折しそうになっていた時がありました。そんな危機の時、私の心情を察してくれたT君は、信濃屋さんで“白井さん”撮影中の私を不意に訪ね、そっと励ましてくれたことがありました。

 もし、あの時のT君の行動が無ければ、もしかしたらこのブログは今日を迎えられなかったかもしれません。T君、本当に、本当にありがとう。

 白井さん、皆様、最後が些か内輪ネタになってしまい申し訳ありませんでした。ただ、お二人にはどこかのタイミングでどうしてもお礼を言っておきたかったのでお許し下さい。面と向っては恥ずかしいですから(笑)。

 さて次回、このブログはいよいよ“クライマックス”を迎えるでしょう。私が着ていく服は一年近く前からもう既に決まっていますので、後顧の憂い無く、“白井さん”撮影に集中できると思います。



Check tweed jacket

2010-12-11 04:00:00 | 白井さん


 今日は白井さんの着こなしについて触れる前に、信濃屋さんの紳士フロアを少しだけ覗いてみたいと思います(笑)。

                        

   

 遂に『 SHINANOYA SHOES COLLECTIN 』の準備が整ったようです。

 紳士フロアの一部屋をぐるりと取り囲んだ靴・靴・靴。白井さんご愛用の靴を筆頭に、古今東西の名靴が一同に会した様子は“圧巻”の一言!その総数なんと98足!それらを背景に写した白井さんのスナップはかなり“絵になる”一枚です(汗)。
 
 もちろん写真に写っている靴は一部のみ。ここでは詳細についてはご紹介いたしかねますので、写真で会場の雰囲気をお伝えするのみに留まりますが、密度の濃い空間に靴好きな方なら間違いなく興奮を覚えるでしょう。近くにお越しの際は信濃屋さんに立ち寄られて、その全容をご覧になってみては如何でしょうか。

  

 さて、今回の“白井さん”はリラッ~クス感漂うカントリースタイル。

 その代表的な素材“チェック柄のツイード”を使用したジャケットはルイジ・ボレリ(伊)。

 『これは見たこと無いでしょう~フフ(笑)。』

 と、ちょっと悪戯な微笑の白井さん。ご期待を裏切ってしまい申し訳ありませんでしたが、実は今日のジャケットは、私が信濃屋さんで白井さんと2回目にお会いした時に白井さんがお召しになっていた、私にとっては大変思い出深いジャケットなのです。

 “うわ~外国映画の田園風景に登場する人みたいだ~。”

 と、それまでの私の人生の中では見たことも無い着こなしに圧倒されたことを憶えています。因みに、初めてお会いした時は緊張の余り、白井さんが何を着ていらしたのかさっぱり憶えていません(汗)。

 『色が気に入ってね。良いでしょ(笑)。』

 と、白井さん。確かに、私の記憶に鮮明に残っていたほどですから、その色柄はまさしく“田園風景”を思わせる素晴らしい配色です。
 
 但し、私が憶えていたのは色と柄だけ(苦笑)。今回伺って初めて判りましたが、今日のジャケットは“一重仕立て”、そして“ピークラペル”という、この種の服としてはちょっと捻りの効いた一着。一重仕立てで内ポケットが無いため、普段はそこに収まっているご愛用のペンは胸のパッチポケットにお引越し。ポケットチーフまで挿すと“うるさくなる”ので今回は省略されたとのこと。

 当時はそこまで見たり伺ったりする余裕もありませんでしたから、今思えば隔世の感があります。

   
 

 それから、白井さんは3ボタンの下だけを留められています。以前、白井さんのお散歩お友達のKさんが同じように段返りのジャケットの一番下のボタンだけを留めてご来店されたことがあり、それを見た白井さんがすかさず、

 『ほら、Kさん一番下だけ留めてるよ。あの人も着こなしが上手だよね~。ああいうのを見ないとダメだよ(笑)。』

 と仰っていたことがありました。それを聴いた私が早速、

 『Kさん、一番下だけ留めてるんですね!』

 とKさんに伺うと、

 『あ、間違えちゃった(笑)。』

 と(もちろん“間違えちゃった”んじゃないんですが)、実に小粋に応えておられました。

 それ以来、私も密かに何度か真似していますが、私がやるとただの“お○○さん”になってしまうのでかなり危険です。やはり着こなしにはある程度の“熟練”が必要だということを痛感させられました。“雰囲気”という無言の説得力を身に纏った者のみに許される行為なのかもしれません。

 

 

 今日のお帰りはコリンズ(墺)のチロリアンハット。柔らかいカシミアガーゼ織りの深いグリーンのマフラーを襟元に、手にはご愛用の鞄、そして超肉厚ペッカリーのグローブ。当然人差し指の内側には革の継ぎ目の無いクラシックな作りの手袋です。白井さんが所有されているペッカリーの手袋は全て長年ご愛用されているものばかりで、経年変化で何ともいえない渋い色艶を放っています。

 白井さんのものとは革の質や厚みや作りが比べものになりませんが、私もペッカリーの手袋を2つ所有しており、最初に購入した黄色は今年で3年目を迎えています。指先がだいぶ汚れてきましたので、白井さんは手袋を洗われるのですか?と伺ったところ、

 『洗わないよ。一応“WASHABLE”ってなってるけどね。昔一度洗ったことがあるけど、やはり革がカサカサになっちゃったね。』

 とのこと。“やっぱり!”という感じです(笑)。

 『僕は不精だから。』

 と、白井さんはよく仰います。でも、その言葉は白井さん一流の“諧謔”で、白井さんに接すると白井さんは決して“無精者”ではないことがすぐに解ります。ただ、だからと云って“神経質”な方なのかといえばそれも全く当て嵌まりません。若輩者の私がこんなことを言うのは生意気なのですが、白井さんのモノとの付き合い方には独特な“メリハリ”があるような気がします。

 いつも感じるのは、経験第一主義。伝聞は鵜呑みにはされず、ご自身で経験して得た感覚を最も重視されます。

 それから、白井さんは所有されているもの全てをご自身の“支配下”に置かれている、“従えている”な、と感じます。“主従関係”がハッキリしているんです。その上で、手をかけるべきところには手間を惜しまず、でも決して“過保護”にはならない。モノが主と同じように歳を重ねるような、そんな“距離感の取り方”なような気がします。

 ちょっと抽象的でとりとめの無い筆になってしまいました。現在信濃屋さんで展示されている白井さんの靴を見て、なんとなくそんなことを考えてしまったものですから。
 


Chalk stripe gray flannel suit

2010-12-09 04:00:00 | 白井さん


 昨夜の雨が大気の塵を洗い流したせいでしょうか、私の職場の窓から見える遠くの山々が完璧な雪化粧をほどこし、背景の澄み渡る空にその稜線をくっきりと浮かび上がらている姿をはっきりと確認できました。昨日まで名残を惜しんでいた晩秋の空気は遂にその役目を終え、今朝、頬を撫でた微風の冷たさにはっきりと冬の到来を感じました。

 今日の“白井さん”は冴え渡る冬の空気にも似た凛としたスーツスタイル。チョークストライプのフランネルスーツの着こなしです。

   
 

 ライトグレーのフランネルを間隔の広いチョークストライプが走るダブルブレストの3ピース、きりりと締め上げたピンホールカラーと重厚なジャガードのタイ、スクエアに挿した白い麻のチーフ、髪はきつく撫でつけ、足元は黒のキャップトウで引き締める。今日の白井さんの着こなしは、ちょっと怖いくらいにシャープなビジネススタイル。もし、商談相手が今日の白井さんのような人だったら、私などは話す前から謝ってしまいそうです(汗)。

 

 さて、そんな強面(笑)な白井さんを慕われて、この日も多くの紳士諸兄が信濃屋さんを訪れて服飾談義に花を咲かせておられました。やはり皆さんの話題の中心は、来る12月16日に催される『SHINANOYA クリスマスパーティー』と、そのプレイベントとして12月11日~16日に信濃屋馬車道店紳士フロアに展示される『SHINANOYA SHOES COLLECTION』について。特に靴については皆さん一家言お持ちの方ばかりですから、お話は弥が上にも盛り上がります、といっても皆さんの語り口は、信濃屋さんを訪れる洒落者の方々の多くがそうですが、いつでも紳士的で物静かです(笑)。

 イギリス・アメリカ・イタリーを中心とした各国の靴の話を軸に、革の話、サイズの話、ソールの話、靴磨きの話、などなど・・・兎に角、皆さんのお話は全てご自身の“足”でご経験されてきた“本当のお話”ばかりで濃い内容のものばかり。

 『メモ取らなくていいの?』

 と、ちょっぴり白井さんにからかわれてしまいましたが(涙)、ここで私の乏しい見識と拙い筆でヨタヨタ危なっかしく書くよりも、興味のある方には是非信濃屋さんに足を運んでいただいて、今ではちょっとやそっとではお目にかかれない銘靴の数々を真近にご覧頂く方が確実だと思います(笑)。このブログでご紹介させていただいた白井さんの靴もいくつか展示されるとのことですし、何故白井さんが昔のアメリカの靴をこよなく愛されているのか、その理由も“本物”を見ることできっと伝わるのではないでしょうか。

 因みに、ちょっとフライングですが、下の写真の3枚目にチラッと写っているのは、コレクションに展示予定の古いアメリカの靴。白井さんのお話では“成牛”の革で作った靴だろう、とのこと。もの凄くごつくて迫力のあるぶ厚いグレインレザーを使ったブローギングシューズでしたが、人の手の温もり、とでもいいますか、その時代の“クラフトマンシップ”がどういうものだったのか、という部分もそこはかとなく感じられるたいへん魅力的な靴でした。

   

 その“アメリカ靴”にちょこんと乗っかっている黒帽子は、今日のお帰りの主役である“ホンブルク”。白井さんのお話では、すべり革が“白”というのが珍しくてなかなか洒落ているそうです。襟元も黒に白のドットのシルクマフラーで。白井さんは着こなしには滅多に“黒”を使われないので今日の写真はかなり貴重な一枚となります。また、更に裏返して言えば、“黒”はこのように使え!ということが解る貴重な一枚とも言えます。

 さて、いよいよ寒くなってきましたのでオーバーコートの出番が迫ってきましたが、ここ最近10回ほどの更新では晩秋の着こなし、特にコート無しでの、帽子、マフラー、手袋、といった小物の使い方・合わせ方の様々なヴァリエーションを見せていただいたことが大変勉強になりました。一年の中のほんの短い期間ですが、その時期にしかできない合わせ方を心掛けそれを上手に楽しむ。やっぱり白井さんは着こなしの“達人”なのだ、と今改めて感じています。

  



Camel colored cashmere jacket

2010-12-04 04:00:00 | 白井さん


 今回、白井さんが選ばれたのは“キャメル色のジャケット”。組み合わせのヴァリエーションが豊富で簡単そうなのに、真剣に考え始めると実は誤魔化しが効かないという意外と手強い“無地の上着”の着こなしです!今日は非常に無謀な試みですが、私が白井さんになったつもりで、今日の組み合わせの意図を考えてみたいと思います(笑)。

  

 この日の横浜は最高気温は17℃。この微妙な気温・・・。

 『やはり昔に比べるとコートを着始める時期が遅くなっているよね(苦笑)。』

 と、仰っていた白井さん。恐らく、今日の気温を考慮して、コートは未だ着れないから厚手のカシミアのジャケットあたりが妥当かな、とお考えになられたのではないかと推察します。但し、この日の白井さんの言葉では、

 『あ、最近これ着てないな・・・と思ってね。』

 とのこと。以前にも申し上げていますが、服にしろ、靴にしろ、小物にしろ、兎に角手持ちのアイテムは全て万遍無く使うのが“白井流”。白井さんは常々、

 『何しろワードローブは全部見えてないと嫌なんだよ。』

 と仰っています。ワードローブの品を“全て見える”ようにしておかなければ“万遍無く使う”ことはできません。因みに、もし仮に使わないものがあるとすれば、それが“箪笥の肥やし”になるくらいなら白井さんは躊躇無く他の人に差し上げてしまいます。

 『捨てることはまず無いね。』

 とも仰っています。実はこの“捨てない”ことも非常に大きな命題だと思っていますが、今日は触れないでおきます(苦笑)。

    

 次に選ばれたのは恐らく“ネクタイ”。ジャケットが無地ですので最初の選択肢は当然ながら“縞”や“格子”などの柄もののネクタイということになったのではないかと推察されます。

 白井さんはワードローブのネクタイは『縞』『ジャガード』『プリント』・・・といった具合に柄や素材別に、当然“全て見える”ように、分けて並べて管理されているそうです。この“ひと手間”によって毎朝のコーディネートは極めて効率的でロジカルな進行が可能になり、最終的な閃きを生むための時間と心のゆとりも作り出せるのだと思います。もちろん、白井さんは100を越える数のネクタイを所有されていますので“管理の必要上”ということがあるのは当然だとも思われますが、私などは以前このお話を伺ったときはまさに“目から鱗が落ちる”心境でした。

 ベージュから濃茶まで複数の“茶”で彩られたグレンチェックのネクタイはジャン二・カンパーニャ(伊)のもの。

 シャツにも茶の縞を使い、着こなしに更なる遊び心を加えて。オックスフォードBDはルチアーノ・バルベラ(伊)。今回、白井さんがバルベラのBDを気に入られている理由をもう一点伺いました。

 『見頃がたっぷりしているところが良いよね。襟腰も低くて襟の形も良い。特にBD(ボタンダウン)は襟腰が低くないとね。バルベラはアメリカにも進出しているから、やはりBD(ボタンダウン)はブルックス・ブラザースあたりを意識して作っているんだと思うよ。』

 とのことでした。

 

 胸元のチーフ、そして靴を決められたのはかなり最後の方ではないかな?と推察します。

 靴はジャケットの色との相性を重視して選ばれたとのこと。同じような明るい色のUティップも視野に入れたそうですが、ライトタンのキャップトウをほぼ瞬時に選ばれたようです。やはり、選ぶ靴は着る服との相性によって決まる部分が多い、と仰っていました。

 チーフについて白井さんは、

 『色が綺麗でしょ。ミラノのティンカーティで見つけたんだよ。“あ、これいいね”ってね(笑)。』

 と仰っていました。白井さんはチーフの選び方に関しては、挿し方もそうなんですが、

 『あ、こんなの適当だよ、適当。』

 と仰る場合が殆ど。そして私は、その言葉はほぼ額面通り受け取って良いと思っています。何故なら、“適当”という言葉を別の言い方に換えるならば“感覚”なのではないかな、と思っているからです。着こなしの最後を飾る“一花”=ポケットカチーフ、それすらもグズグズと考えあぐねるのは無粋の極み。感覚で挿せないなら寧ろ潔く“白”を選ぶかさもなくば何もしない方が余程マシ、と・・・こちらは白井さんがそう仰った訳ではないのですが、白井さんと接していると何となくそう感じるのです。

  

 今日の着こなしの最大のポイントはインナーにお召しになられた前開きのニットヴェストではないかな?と推察しています。柔らかい色合いの黄色いカシミアのヴェストはフェデリー(国名?)。

 『白井さんはまず人前で上着は脱がないね~“上着は人前で無闇に脱ぐもんじゃないんだよ”って(笑)。脱ぐのは別の服を試着する時とか、ボタンが取れちゃって、急いで繕ってもらわなきゃならない時に仕方なく、って時くらいじゃないかなぁ~。』と以前牧島さんが私に教えてくれました。

 そんな白井さんに、今日は上着を脱いでいただきヴェストを見せていただきました!

 昨年末にこのブログ“白井さん”を始めた当初の約3ヶ月の間、白井さんの着こなしで一番驚いたことの一つは、ジャケットスタイルの時のインナーにニットを多く用いられていて、それが何とも言えないくらいお洒落に見えたことでした。その全ては色鮮やかで、そしてそのすべてがカシミアのニットでした。

 私にとって高価なカシミアのニットは簡単には買えない品物ですが、昨冬の白井さんの着こなしが忘れられなくて、今年は安価でもなるべく色の綺麗なニットを何種類か揃えて日々のコーディネートに取り入れています。

 そんな折でもあったので、今シーズン初のニットヴェストの登場に私は余程興奮していたのでしょう、

 『ああ!ニットヴェスト撮らせて下さい!』

 と叫んでしまい、白井さんも思わずもろ肌を脱いでくださる容となりました。大変記念すべき一枚です(笑)。

 おっと!忘れてはいけません(笑)。黄色のホーズはもちろんヴェストに合わせて。靴下へのこだわりは“白井流”の大事なポイントの一つです。

   

 お帰りは濃茶のシルクマフラーで襟元を引き締めて。

 手袋は“ペッカリー”。

 『もっと黄色いのでもよかったんだけど、今日はこれ。』

 と、色を変えて数種類お持ちのペッカリーの中から今回はこちらをチョイスされたとのことでした。その手にはお馴染みのステッキを携えられて。

 ・・・いつものように完璧な着こなし~かっこいい・・・(溜息)。結局、最後の締めはいつものこの言葉になってしまいました(汗)。

 今日は私のようなド素人の意見などをダラダラと書いてしまい申し訳ありませんでした。明日また白井さんに怒られなければ良いのですが・・・(汗)。ただ、口幅ったい物言いですが、一年前では考えられないくらい、今では白井さんの着こなしから多くのことを感じられるようになったような気もして、ちょっぴり嬉しくもあるのです(笑)。
 


Window pane plaid suit

2010-12-02 04:00:00 | 白井さん


 2010年もいよいよ師走を迎えました。このブログのカテゴリー“白井さん”も今日で88回目の更新で、何となく縁起が良いです(笑)。因みに、明日12月3日は白井さんのお誕生日!

 『ワン・トゥ・スリー!(1・2・3)』(白井さん談)

 と憶えるそうです(汗)。ブログからで大変失礼ではありますが、白井さん、お誕生日おめでとうございます(笑)。

  

 日中は陽射しに暖かさが感じられ、まだオーヴァーコートを羽織るのは些か躊躇いもありながら、朝晩の冷たい空気はもう既に冬の到来を告げている今日この頃。

 秋と冬の境目、今日の“白井さん”は枯葉舞い散り始めたこの季節にぴったりの装い。それは薄枯れの芝か、はたまた翡翠の色か、ヘリンボーンの織り柄をほんのりと浮かび上がらせた淡いミックス調のグリーンに、縦と横で微妙に色調を変えた橙のウィンドウペインを配したSBスリーピースの着こなしです。

  

 ブリッグ(煉瓦色)の縞のボタンダウン、襟元は濃茶のウールタイ(小紋)、鶯色のペイズリーのチーフ、足元は中茶ロイヤルスウェードのウィングティップ、今日はホーズの色はシャツの縞に合わせて。

 細部に至るまで所謂“アースカラー”で統一しつつ色の分量にも気を配り、柄ものを巧みに取り入れて大人の遊び心も演出、これぞ“白井流の真骨頂”ともいえる“晩秋の着こなし”。

 今日のシャツはルチアーノ・バルベラ(伊)。白井さんは“手持ちのバルベラのシャツは全部BD(ボタンダウン)”と仰るほどなので、当然秀逸なパターンを持つシャツであろうことは想像に難くないですが、白井さんは特に肩付け根部分に2本の“タック”が入っていることを評価されていました。白井さんからの又聞きですが、ルチアーノ氏曰く、氏の祖父が着ていたシャツにそのような意匠が施されていたのだとか。

     

 “ハッ!?中折れ!?すわ!オーヴァーコートが遂に今期初登場か!?”

 と思いきや、今日の白井さんは“白井流コート5点セット”のコート抜き!!つまり、帽子、手袋、マフラー、ステッキの4点セットです。

 分厚く上質なファーフェルトを使用した中折れは、白井さんが40年以上前にイタリーのボルサリーノに特注で作らせた逸品。本体の色・素材のみならず、リボン・ライニング・すべり革に至るまで色及び素材を指定したという完全別注品。

 帽子の色に合わせて他の二点も濃茶のアイテム。マフラーは“フワッフワ”ガーゼ織りのカシミア、そして、手袋は“カルピンチョ”、巷では“カピバラ”の呼び名で知られる齧歯目(ネズミ目)最大の動物の革を用いたノーライニング仕様。

 私は初めて見ましたが、“カルピンチョ”の革の表面には、小さめで比較的はっきりとした“斑”が浮いており、柔らかさはペッカリーに、表面の質感はカーフのスウェードに近いかもしれません。

 これまで見たことのない例外的な合わせ方に驚いた私に白井さんは、

 『全然“アリ”だよ。』

 と一言(笑)。よく考えればこの時期だけにしかできないある意味“贅沢”な着こなしなのかもしれませんね!

  

 さて、来る12月16日(木)、今年も信濃屋さんのクリスマスパーティーが開催されるそうです!

 今年は更にパーティーのプレイベントとして、白井さんが所有されている古き良きアメリカ靴を皮切りに、その時代時代の紳士の足元を彩った信濃屋オリジナルシューズの数々など、合計数十足が信濃屋馬車道店さんの紳士フロアで一同に会し、12月11日(土)~16日(木)の期間中、陳列されるとのこと!素晴らしい!!



Vested tweed jacket

2010-11-27 04:00:00 | 白井さん


 秋の深まりとともに我が住まいの周りの木々も次第に色づき始めてきました。現在、11月26日13時28分。

 ♪~静かな 静かな 里の秋 栗の実煮てます いろりばた~♪

 といった風情です(笑)。

 例えば、天高く澄み渡った青空の下、一面黄色に彩られた銀杏並木をその落ち葉を踏みしめながら歩く時、最も相応しい男の装いの一つはやはりツイードの服ではないでしょうか・・・。

 今回の“白井さん”は深みある青が実に印象的な一着。遂に、フランネルと並ぶ紡毛系素材のもう一方の雄“ツイード”が今シーズン初登場を迎えました。

 更にインナーには共生地のヴェストを配した“Vested jacket style”。白井さんのお話では、今日のような合わせ方に“Mixed suit”という表現を使っていたことも以前はあったそうです。限りある男の装いの範囲で如何にお洒落を楽しむか、という先達の智慧・ミクストスーツ・・・実に洒落ています(笑)。


  

 

 Oxford BD stripe shirt,  “Royal Stewart”tartan tie,  paisley pocketkerchief,  Gray flannel trousers,  Blue hose,  Brown suede semi-brogue shoes.

   

 カントリースタイルを楽しみたくなる晩秋の装いにはツイードのジャケットは欠かせませんが、私などは季節を意識しするあまり、ついついアースカラーを多用し過ぎて野暮ったい合わせ方になりがちです。まぁ、それ以前にセンスの問題があるのかも(苦笑)。

 またまた色の話で恐縮ですが、白井さんは、例えツイードの着こなしであっても、鮮やかな色を巧みに織り交ぜて、都会的で洗練された雰囲気を決して失いません。もちろん、白井さんなら仮に全身を茶系で纏めたとしてもそれは変らないのですけれど(笑)。

 『もっと明るい色にしたら?』

 白井さんが私によく仰る言葉です。やり過ぎは良くないですが、やらなさ過ぎもまた然り。ネクタイの色を迷った時、私は白井さんの言葉を必ず思い出しています。その言葉に背中を押され、今までできなかった合わせ方を発見したことがたくさんありました。私の勝手な解釈ですが、白井さんの言葉には“お洒落にはちょっとした冒険心も欠かせないよ”という意味が含まれているような気がしています。

 

 

 “CANARY YELLOW” cashmere muffler.

 

 そして、この日のお帰りは“カナリーイエロー”のカシミアのマフラーを巻いて。英国製のこちらのマフラー、なんと“50年モノ”とのこと!白井さんは簡単にさらっと仰っていましたが、ちょっと俄かには信じられないほど綺麗な状態が保たれていました。ご自身ではあまり仰ることはありませんが、白井さんは服であれ小物であれ、その使い方はとても丁寧で、綺麗な状態を保つための“ひと手間”を惜しまない、と感じることが多々あります。

 “ワードローブは見えるようにしておく”

 “小物は長く使える”

 白井さんがそう仰ることができるのはその“ひと手間”あってこそ!なのではないのかな、とも思っています。



Glen plaid over saxe blue pane suit

2010-11-25 04:00:00 | 白井さん


 今日はまず二つのニュースから・・・。一つ目は前回の更新について。

 おかげさまで、『A SHOE-SHINE MAN』は多くの皆様に関心を寄せていただき、11月23日には訪問者数(IP)639名、閲覧回数(PV)1,743回、アクセスランキングは1,498,744ブログ中、805位(gooブログ調べ)と、当ブログの過去最高アクセス数を記録しました。

 動画の撮影については、50年超のキャリアを誇る白井さんのシューシャイン以外は全てが初めての試みでしたので撮影前は不安だらけでしたが、今はやらせて頂いて良かったと、ほっと胸を撫で下ろしています(笑)。改めまして、白井さん、皆様、ありがとうございました。

  
 

 もう一つのニュースは当ブログのカテゴリー“白井さん”について。

 昨年の12月から始めさせていただいたこの項“白井さん”ですが、今年内を以って終了させていただくこととなりました。先日、白井さんにその旨をお話させていただきご了承も頂きました。

 これまで約11ヶ月間続けさせていただいた中で、勿論、思うところは多々ありましたが、やはり当初決めていた通り一年間で完結するのが最善と判断しました。今は明鏡止水の心境です。

 残すところ一月余りですが、全身全霊を傾けて“白井さん”撮影とブログ製作に臨みたいと思います。
 
     

 前置きが長くなり申し訳ありませんでした。

 今日の“白井さん”は『Glen plaid over saxe blue pane suit』。前回のリラックスしたカジュアルスタイルから一転して、今日はまことにオーセンティックな着こなしです。

 紳士のワードローブには欠かせない伝統的な柄であると同時に、“まだまだおまえではとても着こなせまい”と経験の浅い者を容易に近づけない“大人の風格”を漂わせるサックスのペインが入った白黒のグレンチェックは、男の髪がロマンスグレーに染まる頃からそれを纏う者の魅力をさらに引き立たせる魅惑的な素材ではないでしょうか。私見ながら、そのダブルブレスト3ピースは白井さんの代名詞的存在ともいえる一着。

 遠目は全身グレーに見える今日の装いに色味を加えているのはロイヤルブルーが鏤められたのハウンドトゥースのタイ。そして、タイと色合わせたホーズの先にはスウェードのセミブローグ“Benti Vegna”。今回はまさに“白井流”の代名詞的着こなしともいえる組み合わせ方ではないでしょうか。

 更にお帰りにさっと襟元に巻かれたマフラーにも青を合わせた白井さん。サックスブルーのマフラーは“フワッフワ”のカシミア・ガーゼ織りです。真冬は勿論のこと、オーバーコート直前といえるこの時期にも活躍するのがこのアイテム。小物類をこよなく愛される白井さんは巻物も大変お好きで、ワードローブの中にはカシミア、シルクを中心に30本を越すマフラー類をお持ちだそうです。マフラーは大切な“冬の名脇役”、私も毎年少しずつ増やしていきたいと思っています。

   

 この日は“シューシャイン”の余熱がまだ残っていました。動画のBGMに使わせていただいたカントリーの名曲から話題は自然とその方向へ進みます(笑)。失礼ながら、やはりカントリーには白井さんを熱くさせる大きな魅力があるようです。そろそろ師走。2年前の信濃屋さんのクリスマスパーティーで拝聴した白井さんの歌声が思い出されます(笑)。



“ A SHOE- SHINE MAN ”

2010-11-23 00:09:00 | 白井さん

 
 先日、“白井さんの靴磨き”を動画で撮影させていただきました。

 何はともあれまず上の写真をクリックしてみてください!

 動画サイト『You Tube』にリンクします。

 全編ノーカットです!





 “白井さんの靴磨きが見たい!!”

 今回の試みは、この項“白井さん”を始めた当初からずっと私の中で密かに暖めていたアイディアでした。その想いをようやく実現でき、そして初めて白井さんの靴磨きを拝見でき感無量です。まずは何よりも、この不躾なお願いを快く受けてくださり、撮影に際してはこれ以上無いほどの“シューシャイン”をご披露してくださった白井さんに、この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。白井さん、ありがとうございました。

 左の写真は信濃屋さんのHP『信濃屋オリジナルシューズ予約会のご案内』(2006年11月17日掲載)に載ってる一枚。数年前、雰囲気のあるこの一枚の写真を見て“かっこいいなぁ~”と思ったその想いが今回のアイディアの源泉でした。

 今回の試みでも、上掲の写真のように上着を脱いで、愛用の靴を手に軽やかな手つきで磨く白井さんの姿が撮影できれば、との想いでいたところ、意外にも白井さんはかなりカジュアルな装いで撮影に臨まれました。なかなか拝見できない白井さんのプライヴェート・スタイルに初めは戸惑いましたが、その装いを選ばれた理由はすぐその後にわかりました。

 なんと、驚いたことに、白井さんはまさに本職のシューシャイナーさながらのやり方で靴磨きをされると仰るではありませんか!確かにスリーピース姿では無理な試みです(汗)。そして、私に白井さんが1960年代から長年愛用されてきたジョンストン・マーフィー(米)の最上位モデル“クラウン・アリストクラフト”シリーズのサドルシューズを履くように促され、その私の足元を磨くと仰るのです!

 これほど恐縮したのは生まれて初めてというくらいにビビッてしまった私でしたが、これほどの幸運もまた滅多にあることではありません。私は恐る恐る、白井さんが用意してくださった台の上に足を置きました。緊張で固まった身体はむしろ靴を磨くには都合が良かったのかも(苦笑)。

 『こうやってやらないと力が入らないでしょ。新しい靴なんかは特にそうなんだけど、最初にちょっと硬いキャンバスで思いっきり力を入れてこすらないとダメなんだよ。そうしないとワックスがすぐに剥がれてくるし、その後の光り方だって変わってくるんだよ。とにかく“基礎作り”が大事。』

 白井さんは新しい靴を購入された時は、ご自分で靴を履かれた後、台の上に足を置き、力いっぱい磨いて最初の“基礎作り”をされるのだそうです。まさに驚嘆すべき事実!
  


 白井さんは靴磨きにKIWIのワックスを愛用されています。使うのはそれのみ。他には硬めのキャンバス地、綿ネル、柔らかいネル、の3種の生地、そして水だけです。ワックスはたっぷり使うそうです。

 前述の“基礎作り”の手順は、まず最初にブラシにワックスをたっぷり塗りつけて靴全体に馴染ませます。その後硬めのキャバスで力をこめて“パンパン!”と小気味よく磨きます。

 ワックスをふき取る感じで磨いた後、今度は指にワックスを取り靴全体に塗りつけていきます。ここで“水”の出番。『ピッ、ピッ』と指で水を弾きながら靴に乗せ、再びキャンバスで磨きます。と、ここまでが大事な“基礎作り”。革の表面の毛穴を埋めていくイメージのようです。女性がお化粧で行う“下地作り”と全く一緒ですね!そういえば、あのIKKOさんも同じようなことを言ってたような・・・。

 その後は綿ネルを中指にきつく巻きつけ、人差し指を上から添えてワックスを丹念に丁寧にゆっくりと、トウ、足の甲、コバ付近、踵周り、履き皺の中にいたるまで全体に万遍無く塗りこんでいきます。ワックスの加減、水の加減、ちから加減、は経験で感覚的に憶えるものなので言葉では伝えられない、とのことです。

 『トウは最初に力を入れてこするから革の色が次第に剥げて白っぽくなってくるけど、反対に踵の方は色が濃くなってくるんだよね。あと、高い革使ってるからって光るって訳じゃないんだよね。意外と安くて質の悪い革のほうがよく光ったりするんだよ(笑)。』

 仕上げは、再び指で水を弾いて乗せた後、今度は柔らかいネル生地でやさしく包むように磨きます。

 そして、最後に親指で足先を“ピンッ!”と弾いて終了(笑)。この所作は、白井さんが“世界一上手い”と今もなお称え続けている靴磨きのお兄さんの真似なのだそうです。

  その後、白井さんは靴を手にとって再び綿ネルで磨き始められましたが、それは白井さん曰く“普段の手入れ”とのことです。

 『ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、ね。自分でやる時は納得いくまで磨くから時間掛かっちゃって“商売”にはならないよ(笑)。』



 今回白井さんがご披露してくださった磨き方は、戦後、伊勢佐木町で進駐軍の兵隊さん達を相手に靴磨きをしていたシューシャイナーたちのやり方そのまま。当時高校生だった白井さんは、唯一持っていたという黒の革靴を履いてせっせと足を運び、その技を見よう見真似で憶えたそうなのです。1回で30円、米兵達はちょうど朝鮮戦争で景気が良く、100円とか、中には1$ポンっと置いていく者もいた、そういう時代だったとか。

 『米兵達は私服で磨きに来るんだけど、皆おしゃれして恰好つけてさ、中でも黒人の兵隊はさらにカッコつけてるんだよ。チャコールのフランネルのスーツに、鏡みたいに光らせたピッカピカの黒い靴履いてさ、もうそれ以上磨けないんじゃないかってくらいのね(笑)。それにピンクの靴下を履いたりしてさ、何処かにないかなって方々探したけど、当時そんなもんある訳ないよな(笑笑)。』

 シューシャイナーは5人ほど居られたそうで、5台くらいのシューシャインスタンドが並んでいたそうです。その中でも“世界一上手かったお兄さん”が白井さんのお目当てで、そのお兄さんに当たるように、と思いながら順番待ちの列に並んていたとか(笑)。

 『靴を磨いている間は米兵は新聞や雑誌を読んだりしているんだけど、その足元でシューシャイナーたちが日本語で米兵の悪口言ってたりしてさ(笑)。キャンバスをこうやって“パンッパンッ!”ってやりながらカッコつけて磨いてたよ。』



 『高校時代になると、さらにアメリカは未知なる憧れとなり、映画で見るシカゴのギャングのちょっと悪だけれどエレガンスなファッションに心ときめき、伊勢佐木町を流れるカントリー&ウエスタンと闊歩するアメリカ兵を羨望し、その魅惑的な空気が私のファッションへの興味へとつながっていきました。』(信濃屋さんHP・白井俊夫のおしゃれ談義より)

 当時の情景を想像してみますが、それを結像させるにはあまりに縁少なく、当時の写真なぞ何かないかとネットを検索しても、なかなかこれといったものは見当たりませんでした。せめて動画の中だけでも当時の雰囲気を少しでも出せたらと、BGMには白井さんが大好きなカントリー&ウェスタンの、その中でも“神様”と讃えられている“ハンク・ウィリアムス”の名曲の数々を使わせていただきました。

 白井さんの10代から20代の頃はカントリー&ウェスタン華やかなりし時。以前ちょっとだけ白井さんから伺ったのですが、白井さんがカントリー&ウェスタンが好きになったのは、やはり当時の時代背景が大きく影響しているそうです。その後様々な音楽が日本に現れ続けても、白井さんはカントリー&ウェスタン一筋。着こなしや靴磨きと同じで、白井さんは些かも“ブレ”ません

 『僕のやり方はただただ単純に光らせるだけ。革に良いとか悪いとかも全然考えないよ(笑)。でもこのやり方で50年以上履けてる靴があるんだからそれで充分でしょ。どんな靴でも、それが一万円の靴でも十万円の靴であっても、手入れしていれば綺麗に履けるんだから。』



 最後になってしまいましたが、今日の着こなしを。今回はかなりカジュアルな装いでしたので、流石の白井さんも撮影を躊躇されていましたが、これこそ貴重な機会なので私は迷うことなく撮影させていただきました。動画でばっちり写っちゃいますしね(笑)。

 今回の靴磨きにあたり白井さんが選ばれたのは、普段着として使われているマロ(Malo伊)のカシミア・スウェーター。このブログ初のピンクです(笑)!以前、
 
 『俺はね、“俺は何色だって似合うんだ”と思ってず~っとやってきたよ。』

 と仰っていた白井さん。でも、今までピンクは一度も出番が無く、私は“さすがにピンクだけはお嫌いなのかなぁ・・・”と思っていたのですが、やはり白井流。これで主だった色は全て登場したことになりました。

 スリップオンはバス(米)のウィージャン。こちらも“ご近所までちょっと”という時に履かれる普段着用だそうですが、それでもピカピカです(汗)。

 そして初のジーンズはこだわりのラングラー(Wranglar 米)。

 『ジーンズといったら“ラングラー”(笑)。カントリーといったら“ラングラー”、テキサスといえば“ラングラー”。リーヴァイスとかも何本かあるけど、やっぱりラングラーしか履かないね。』

 とのこと!お帰りは軽めのダッフルにキャプテンキャップとカシミアのガーゼ織りのマフラー。

 靴磨きも、カントリーも、そしてラフでカジュアルな着こなしでも、やっぱり一本の筋が“ビシッ”と通っている、それが“白井流”なんですよね。



Glen plaid over red pane suit

2010-11-18 04:00:00 | 白井さん


 『あれはチョークストライプじゃないね。』

 久々の前回訂正からスタートです(笑)。前回の濃茶のフランネルスーツのストライプを、私は“チョークストライプ”と書いてしまいましたが、これは誤りで、

 『まぁ、“ペンシルストライプ”ってところじゃないかな。』

 と、白井さんからご指摘がありました。フランネルといえばチョークストライプ!という私の思い込みがいけませんでした。謹んで訂正させていただきます。

 因みに、前回のスーツに使われていた生地はカルロ・バルベラ(伊)のもので、1998年、白井さんがミラノのテーラーでスーツを仕立てられるにあたり、その年のピッティ・ウォモの会場でルチアーノ・バルベラ氏に“何か良い生地はないの?”と聞かれたところ、その翌日、ヴィエラ本社からルチアーノ氏のご子息・コラードさんが生地見本を携えて白井さんを訪れ、その見本の中から“じゃあこれでいいや”と、白井さんがかの生地を選び、後日、今度は父上のルチアーノ氏がヴィエラからミラノのテーラーに生地を運び入れる、というたいへん大掛かりな手間がかかった“ちょっといわく付き”な生地、そして服なのだそうです。う~ん・・・それってある意味かなりの“贅沢”!(笑)

  

 さて、今回は白黒のグレンチェックにはっきりした赤いオーバーペインが入ったダブルのスーツ。白井さん曰く、

 『ルチアーノが好きで同じような服をよく着ていたよ。』

 という今回の生地もやはり“カルロ・バルベラ”とのこと。私にとって赤(もしくは青)のペインが入った白黒グレンチェックのスーツは、大人の落ち着きと洒落者の遊び心、という二つの性格を併せ持つ、経験ある紳士のための一着、というイメージ。ただ、以前白井さんが仰っていましたが、色、柄の大きさ、ペインの入り方などなど、ご自身のイメージにぴたりと合う“これは!”というものは簡単には見つからないそうで、これは例えばツィードのグレーのヘリンボーンやグレーフランネルなども同様で、伝統あるオーソドックスな色・柄ほどいざ選ぶとなるとこれがなかなか難しいのだそうです。でも、そう仰る時の白井さんはいつも嬉しそうですが(笑)。

   

 サックスの縞のシャツはフライ(伊)。フライはこのブログに最も多く登場している“Camiceria”の一つですが、今日の1枚は白井さんが愛用されている多くのフライの中でも最も初期のもの。白井さんが1986年にイタリア・ボローニャにあるフライの工場を初めて訪れた際に購入された一枚なのだそうです。ご存知の方も多いと思いますが、フライを最初に日本に紹介されたのは白井さん。それはつまり、この一枚に白井さんが袖を通された時から始まった、ということになるのかもしれません。

 縞のタイは“セッテ・ピエゲ”。この言葉も今では私ですら知るほどに広く認知されていますが、白井さんがイタリーでこのタイを購入された当時(’90前後)の日本では全く知られていなかったそうです。

 『ちょっと締めにくいんだけどね(苦笑)。』

 とのことでしたが、シャツ同様、こちらも“ちょっといわく付き”な品のようでした。

   

 さて、この日は、柔らかな物腰と穏やかなお話のされ方でいつも私にお声をかけてくださり、このブログにもコメントを頂いたことがあるLechner様がご来店されていて、私もLechner様と白井さんとの服飾談義に割り込ませていただきました。寒さも次第に厳しくなり始めた折ですので、話題は自然とコートについてのあれやこれやに。

 確固たるご自身のスタイルをお持ちのLechner様は、

 『僕は今の時期はギャバディン、そして春先にはコットンを着たくなるんですよね。』

 と仰りつつ、

 『贅沢してます(笑)。』

 とご謙遜されていましたが、白井さんは、

 『それは贅沢というより“こだわり”ですよ。』

 と称えておられました。信濃屋さんのお客様と白井さんの服飾談義には何気ない会話の端々にもお洒落の“要諦”が鏤められていて私には勉強になることばかり。

 一方私は、この日紺のブレザーに紺地の縞のネクタイを合わせるという暴挙に打って出てしまい、

 『もっと明るい色を選ばないと。』

 と白井さんからすかさずダメ出し(汗)。これは例えば、生成り色のジャケットに似たような色の替えズボンを合わせる(これも私が今夏に犯した悪例ですが汗)のと同じで、およそコーディネートとは呼ぶに値しない、

 『最もやっちゃいけないこと。』(白井さん談)

 なのです(涙)。以前、白井さんから“紺の服に紺のネクタイって色合わせが相当難しいから滅多にしない合わせ方だね”と伺っていたにもかかわらず、“やっぱりやるんじゃなかった”としばし反省・・・。

 でも、こうして白井さんから直接教えていただけることがどれほど価値あることかは言うまでも無いことですし、最近はたまにですが、

 『それ良い色だね。』

 と、ネクタイの色を褒めていただくことも、まだまだかなりピンポイントではありますが(汗)、あるんですよ(笑)。



Dark brown stripe suit

2010-11-13 04:00:00 | 白井さん


 “あなたの性格を一言で言いなさい!”

 と、問われた時、あなたなら何と答えますか?私は、

 『男サザエさんです。』

 と答えるようにしています。サザエさんは架空の人物ながら、特にその“そそっかしいさ”においては私と瓜二つでとても他人とは思えません(サザエさんを愛する皆さんご免なさい)。

 そんな私、今日も“さて、ブログの更新をするぞ!”とパソコンに向うと、鞄の中に白井さん用の取材手帳が見当たりません。

 『ハッ!?』

 そうです、昨日の取材で信濃屋さんに忘れているのです。今日の更新はまず、APECで厳戒態勢下の横浜に忘れ物の手帳を取りに行くところから始まりました。因みに私、マスオさんの物真似も得意です。

 

 今日の白井さんは思わず“ミッドナイトブラウン”と形容したくなるような濃茶のフランネルスーツ! 

 その柔らかな質感はあらゆる光を吸収しそれらが他へ転ずることを拒絶するかの如き深沈とした静けさを湛えていますが、そこに走るペンシルストライプの絶妙な色・幅・擦れ具合・間隔には人の知性を感じる、私如きが申すのは生意気ながら、まさに服を知り尽くした大人の男のための一着といえる服ではないでしょうか。
 
 

 『この服にはこのネクタイを合わせたくなるんだよね。』(白井さん談)

 と仰る千鳥格子のタイは色の構成に、茶、ベージュ、そしてネイビーが用いられたもの。

 『遠目は茶に見えるでしょ(笑)。』(白井さん談)

 縞の服、白のシャツ、格子のタイ、ペイズリーのチーフ、畝の靴下(注・今日は焦げ茶です)、キャップトウ・・・文字にすればたったこれだけの、そして20代の青年であれ半世紀を越える経験を持つ熟練の紳士であれ、文字だけで見れば誰もが試みるであろう組み合わせ。男の服とはなんとシンプルなのだろう。しかしその簡潔さは、故に大小無数の決断を絶えず男達に求めます。真の洒落者とは豊富な経験と研ぎ澄まされた勘により、常に慎重で正確な、また時には神をも恐れぬ大胆で型破りな決断をする人々のことなのでしょう。

   

 今日、今回白井さんがお召しのこのスーツをご紹介できて嬉しく、また、ホッとしています。

 何故なら、冒頭ご説明しました私のそそっかしさが理由で撮影ができなかった、このブログの“幻の2回目”に白井さんがお召しになられていたのが今日のスーツだったからです。その詳細についてはこちらに書きましたので今回は割愛しますが、なんと驚くべきことに!今日の白井さんの組み合わせが件の幻の回の時と靴以外はほぼ同じなのです(因みに前回はチャーチのコンビネーションでした)。

 偶然かはたまた・・・無論、真意は白井さんのみぞ知るところですが、冒頭ご説明しました私の性格上、ここはもちろんオプティミスティック、に私は考えているのです(笑)。

 白井さん、ありがとうございました。