ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

青いブレザー&カシミアのダッフルコート

2010-02-27 04:00:00 | 白井さん




 一昨日は5月上旬並の気温を記録し春一番が関東地方を席捲。もうこのまま春になるのかな?・・・コートを着ようか着まいか・・・もう少し冬の装いを楽しみたいのになぁ~・・・でも柔らかな日差しに合うような明るい色のネクタイを新調しようかなぁ~・・・etc. この時期になるとあれこれ心惑い浮き立ちます。

 今日の白井さんは“春を意識した”着こなし。色鮮やかな青いブレザー&薄手のカシミア・ダッフルコートです。

   

 毎回思うことですが、言葉で色を表現するのはとても難しいことだと今日も改めて痛感しています。青い、といっても正確にはややネイビー寄りの青、もしくは濃いめの青、またはもう少し詩的に“春の海の色”と云うべきでしょうか、ダブルブレストのブレザーはちょっと凸凹感のある(織り方の名前が解らなくて恐縮です・汗)ウール素材を使ったダリオ・ザファーニ(伊)製。薄水色BDシャツにレジメンタルストライプ(フランコ・バッシ伊)、少し織り柄のある白地に大きめの青いドットが入ったシルクチーフ、パンツは今までで一番明るいグレーフランネル。白井さんは『強いて云うなら、ブレザーとネクタイの色の合わせを意識した。』と仰っていました。

 一つ一つは取り立てて特異な点など何も無い至って“普通”の品ばかりですが、これらが白井さんの感覚を通して纏められると、素材同士が共鳴し合い全体で“春”を表現し始めます。“どうしてそうなるのか?”これもまた言葉で表わすのは極めて困難な作業で、こればかりは“感じる”以外仕方が無いと思っていますし、私としては今のところは“ブレザーはこういう風に着こなすものなんだな”という基本的な部分をより重視して自分の糧にしたいと思っています。

 因みに、前回白井さんにお薦めしていただいた『炎のランナー』、1924年に行われたパリ五輪に出場した実在の2人の陸上ランナーを描いたこの作品を今日観たところ、英国代表選手が着用していた遠征用のユニフォームが、今日の白井さんのブレザースタイルによく似ていて、色んな意味でタイムリーだったのでちょっと可笑しかったです。その他の衣装についても、さすが白井さんお薦めの映画、目を見張るシーンの連続で、前回の『コットンクラブ』がアメリカ合衆国、今回が英国、ともに1920年代を描いた作品ということで両国の違いも比べることができ、大変有意義な映画鑑賞2本立てとなりました。

   

 この日の白井さんは、服よりもどちらかというとこの靴についての方が比較的多くの言葉数を費やされていたかもしれません(といってもベラベラたくさんという訳ではありません笑)。

 『ナンブッシュ(米)の確か“エドガートン”だったかな、だいたい40年位前だね。上野のアメ横で買ったやつで、当時で1,350円・・・じゃなくて13,500円(笑)だったなぁ。革はあんまり良くはないんだけどね。といっても昔の革はちゃんと時間を掛けてタンニンなめしをするから丈夫だよ。今みたいに薬品を使って短時間でなめした革は、きっと組織が荒いんだろうなぁ、底革なんか昔よりも今の方が減りが早い気がする。』

 専門家の皆さんの間では、なかなか良い革が手に入らなくなってきた、と言われている昨今のようですが、私のような素人はそういう時代に生きていることを素直に享受するしかないと思っています。もちろん専門の方々にはより良い品を生み出して欲しいとは強く願いますが、私には白井さんが40年かけてこの靴を愛用してきた事実の方が重要に感じられます。『エイジングは自分でするもの。』白井さんはそう仰っていました。

  

 今日のお帰りはダッフルコート。2007年の秋冬に信濃屋オリジナルとして発売されたダッフルコートの試作品として軽めのカシミア生地を使って作製したもの。暖かかったこの日は軽めのコートに合わせて帽子、マフラー、手袋、ステッキも無し。“ああ~そろそろ冬の終わりが近づいているんだなぁ~”と実感してちょっと寂しい気持ちになってしまいました(涙)。

※前回訂正・・・と言うよりは、補足とでも言いましょうか、一昨年のクリスマスパーティーの時の白井さんの装い、チョークストライプのフランネルスーツにテンガロンハット、ウェスタンブーツという着こなしについて、私は『余人では真似のできない着こなし』と書かせていただきました。ところがこれは私の知識不足による大袈裟な表現だったようで、白井さんから『昔のカントリーウェスタンの世界ではよく見られた着こなしだよ。』とご説明を頂きました。白井さんはあくまでそれに倣って装われたとのことですので、もし私の表現で“白井さんが奇を衒っていた”といった印象を与えていたようでしたら、この場をお借りして補足させて頂き誤解を招いてしまったことをお詫びいたします。

※おまけ・・・“今回は短いな!”そう思われた方のために、先日、白井さんと、白井さんのお散歩お友達のKさん(Kさんも服飾には大変造詣が深い方で、書きたいエピソードがたくさんあるのですがいづれ機会をみて。因みにこちらはKさんのブログです。)と、私の3人で鞄職人・藤井 幸弘さんの個展を見学に行ったときの白井さんの画像です。



  

 といっても藤井さんの個展会場は撮影禁止。と言う訳で上の写真は、この日藤井さんの個展に行く前に寄らせていただいたいつもお馴染み銀座天神山さんの店内での撮影です。

 この日一番の収穫は、以前から見てみたい!と思っていた白井さんのエルメスのシルクマフラーを初めて拝見できたことです。天神山Iさんから『春先にジャケットの襟元にふわりと巻いた姿は惚れ惚れするほど』と伺っていた噂のマフラーだったので感激!でした。



 最後に、私が『折角ですから!』と言ってちょっと強引に撮影させていただいた白井さんと藤井さんのツーショットです。私と藤井さんとのご縁は白井さんから頂いたものでしたが、藤井さんと白井さんのご縁は、かつて白井さんのご近所にお住まいだった白井さんを敬愛して已まないSさんという方が、藤井さんの古くからのご友人でもあったというご縁が始まりで、かれこれもう10何年になるお付き合いなのだそうです。藤井さんがこの日お召しになっていたのは信濃屋オリジナルのタッターソールシャツ。藤井さんはそんなことは一言も仰ってはいませんでしたがこの日訪ねて来られる白井さんを意識されていたことは間違いありません。画廊からの帰り道、白井さんが『藤井さんあのシャツ着てたな。昔信濃屋からプレゼントしたシャツなんだよ。』と仰っていましたから。

 私が目指すべき大人の男達。お二人のツーショット写真は私の貴重な宝となりました。



 
 

チョークストライプのフランネルスーツ&カシミアのポロコート

2010-02-23 04:00:00 | 白井さん




 ときはなる 松の緑も 春くれば 今ひとしほの 色まさりけり

 朝晩の冷え込みの厳しさは続いていますが、日中、空気の密度が微かに緩んでその隙間を初春の陽射しが少しずつ暖め始めているように感じる今日この頃。皆様大変お待たせいたしました。一週間ぶりの“白井さん”更新、2週間ぶりの“お仕事スタイル”、テンポ良く参りたいと思います。

 今日の白井さんの装いは冬の定番、チョークストライプのフランネルスーツとカシミアのポロコートを使いながらも、合わせた小物で春の風物詩“霞”を連想させる、そんな着こなしです。

  
     

 この日の横浜は冬らしい西高東低の気圧配置ながら、最高気温が10日振りに2桁を記録し、澄み切った青空から明るい日差しが降り注ぐ爽やかな、もし春と冬の境目が何時かと問われればこの日がそうだと答えたくなる、そんな陽気でした。

 微妙な季節の変わり目、きっと何か捻ってこられるに違いない、そう予測していた私でしたが、この日白井さんにお会いして、まず目に最初に飛び込んできたのはこの鮮やかなシャツの色。著名な紳士服飾評論家の影響か、近年つとに巷でもてはやされているサックス無地のシャツですが、このブログでは初登場。“フリャア(白井さん談、伊FRAYですね・笑・・・でももしかしたらFRYAというバッタもん!?ありえませんね・汗)”のピンホール。ネクタイは写真ではグレーにも見えますが、極々淡いブルーに同系色のグレンチェック柄を配したもの。ポケットチーフはやはり同系色、ブルーのドットがあしらわれた白いシルクを柔らかくパフで挿して。

 胸から上を全てブルー系統の色で、柄と色調を変えながら纏めるというちょっと余人では真似のできない超々高度な合わせ。白井さんは鏡をご覧になりながら『今日はボケちゃってるなぁ~。』と仰っていましたが間違いなく“敢えて”だと思います。無難に纏め過ぎても破綻を来たしても、有言不言問わず人の謗りを免れぬVゾーンのコーディネート。第一印象を左右すると云われるこの魔のトライアングルに、白井さんは日々挑戦し続けているのですね。

 おっと、主役を後回しにしてはいけませんね。チョークストライプのフランネルスーツはミディアムグレー。ガエターノ・アロイジオ氏の手によるス・ミズーラです。『最初はゴージがこ~んなに高くってさ、ダメだよこんなのって作り直させたら今度はこんなに低くなっちゃった。』と些かお嘆きのご様子でしたが、実はこのスーツは一昨年暮れの信濃屋さんのクリスマスパーティーでお召しになっていたもの。その時のテンガロンハットにウェスタンブーツという型破りなコーディネートには度肝を抜かれましたが、カントリーウェスタンをこよなく愛する白井さんならではのお茶目な着こなしでした。



 

 今日のシャツはフレンチカフ。カフリンクはクレメンツ(kremetz)製。クレメンツは1866年創業で『うち(信濃屋)と同い年』(白井さん談)のアメリカ合衆国のカフリンク専門メーカーで、タイバーや、タキシードスタイルの時に用いるスタッズなんかも作っているそうです。展示用のロゴマークも見せて頂きました。“14KT. GOLD OVERLAY”との表記を見て、『あ、これが住所ですか?』と言ってしまった粗忽な私に、白井さんすかさず『違う違う!“14金の張り”って意味だよ。メッキとはまた違うやつね。』と教えて下さいました。化学変化を応用した金属装飾技術である“鍍金(メッキ・plating)とは一味違う“張り”という技術や言葉があることを教わりました。この時のお話で“藤田商店さん”という輸入元のお名前が登場しましたが、こちらの初代の社長さんが、日本マクドナルドの創業者としてあまりに有名な藤田 田さん。白井さんが50年前にフローシャイムのロングウィングティップをご購入したされた時のお話でも藤田さんのお名前が出てきましたので、白井さんにとっても特別な方のようです。

 このブログでは初登場のフレンチカフ&カフリンクですが、実は白井さんはこれまでにも数回程スーツスタイルの時にはお召しになっていました。私がフレンチカフのシャツを全く着用しないのでこれまではスルーしていたのが原因です。カフリンクフリークの皆様申し訳ありませんでした(汗)。これからは気をつけて意識するよう心掛けます! 私、『フレンチカフの時は時計は腕に直接巻かれるんですね~。』白井さん、『そうそう、シャツの上からじゃ巻きにくいからね。』そんな余りに初歩的な私の疑問を遠くで聞いていた牧島さんは呆れて笑っていました(笑)。

 

 靴は今年最初の更新以来2度目の登場、白井さんが『何にでも合わせ易く履き心地がとても気に入っていて、新橋の大塚製靴でオールソールリペアしてもらったくらい。』と仰っていたシルヴァーノ・ラッタンツィ(伊)の一文字スウェード。『これもスウェードが剥げてきて良い感じになってきた。』とのこと。

 余談ですが、今日のネクタイはスイスの“a.mouley(ムーレイ)”のもの。私も同社のレジメンタルタイを一本所有していて、タグに確か“Paris”と表記されていたのを思い出したので、白井さんからこの名を伺ったときに『あ、フランスの!』と唱えたのですが、白井さん曰く『元々はスイスなんだよ。』とのこと。因みに、私が所有しているa.mouleyのネクタイは、数年前に初めて白井さんにお会いした時に“記念に”と見立てていただいた、実は思い出深い品です。このブログをお読みいただいている諸兄の中にもきっと同じようなご経験をなさっていて共感される方もいらっしゃるのでは?(笑)。

 今を去ること数年前、数多の洒落者が通った威厳漂う門扉を抜け、一階婦人服フロアに居並ぶ信濃屋撫子の皆さんの視線を掻い潜り、やっとの思いで辿り着いたエレベーターの中でほっとしたのも束の間。地階に降りた私を、『いらっしゃいませ。』と最初に迎えてくださったのは、紳士服飾会にその名を轟かせる白井さんでした。いきなりの邂逅に私の緊張がピークに達したのは言うまでもありません。兎に角白井さんから逃げなければ!と思った私が最初に向かったのはネクタイが陳列されたコーナー。ですが、この時は運悪くお客様は私一人。白井さんはお仕事柄私を背後から追いかけてきます(汗)。白井さんの気配を背中に感じ背筋が凍る私。

 『この辺が縞です。』と白井さん。

 “ストライプじゃなくて“縞”って言うんだぁ~かっこいい~!”と心の中で呟く私。

 思い切って『すみません、チャコールグレイのスーツ(当時の私の一張羅)に合わせるネクタイを探しているのですが選んでいただけますでしょうか?』とお願いすると、白井さんは『これとこれなんかどうでしょう。あとはお好みでよろしいと思います。』と仰って2本のネクタイを並べてくださいました。私は“こんな小僧にもきちっとした丁寧な接客をなさるんだなぁ”と驚きつつ、ちょっと悩んでからボルドー地にネイビーの両脇に細いシルバーが入った縞のほうのネクタイを選びました。今考えると藪から棒なお願いをしたもんだと恥ずかしいのですが、それがa.mouleyのネクタイで、私が信濃屋さんで買った最初の品でした。白井さんは勿論覚えていらっしゃらないでしょうけど、私には一生忘れられない思い出の詰まった一本です。

  
   

 お帰りはルチアーノ・バルベラのポロコート。今では到底お目にかかれない分厚い織りのしっかりとしたカシミアを使用した極上の逸品。手袋はエルメスのペッカリー。チェック柄のマフラーはフランコ・バッシのカシミア。ステッキはお馴染みの銀の握りの一本で、この度確認したところやはりスネークウッド使用のこれまた極上の逸品です。因みに、前回記憶が曖昧だった“魔法の”ステッキについては『ルートブライアーだよ。パイプによく使われるやつだね。』と再び教えていただきました。『腕に引っ掛けるところが無いからちょっと使いにくいんだけど、古美術商をしていたおじが亡くなって形見分けにいとこから“俊ちゃん使う?”“おう!使う使う!”って譲り受けたんだよ。生涯洋服を着たことが無かったおじでね。テレビはおろか電話も家に置かなかった人でね、相手の都合構わずいきなり呼び出すなんて失礼だってね。』とエピソードも交えていただきました。

 私見ですが、今日のコートスタイルのポイントは擦れたグレンチェック柄が印象的だったボルサリーノ(伊)の八枚剥ぎのハンチング。これまでポロコートには必ずソフト帽を合わせてきた白井さんでしたが、帽子一つ変るだけでガラッと雰囲気が違ってきますね。重厚なポロコートスタイルがほんの少し軽やかな印象に変ります。牧島さん曰く『白井さんは一枚天井より八枚剥ぎがお好きだね。“皆んな一枚天井が好きだよな~。八枚剥ぎのほうがクラシックで良いんだけどな”ってよく言ってるよ。』とのこと。

 白井さんからは『昔の映画なんかにはスーツにハンチングを被った男達がいっぱい出てくるよ。“コットンクラブ”とか“炎のランナー”とか観てごらんよ。衣装は“ミレーネ・カノネロ”が担当だから素晴らしいよ。時代考証がしっかりしてるから。ラストシーンでリチャード・ギアが着ているヘリンボーンのコートなんて俺が持ってるバルベラとそっくりだから。』とも教えていただいたので、今日早速“コットンクラブ”のDVDを借りて観てみました。“コットンクラブ”は1920年代の禁酒法時代のニューヨークハーレム地区に実在した高級ナイトクラブを舞台にした映画。監督はフランシス・F・コッポラ、主演リチャード・ギア。もちろん映画の内容話はここでは控えますが、昨年末からこうして白井さんを見続けていたからこそ“なるほどなぁ~”と目から鱗なシーンのオンパレード!という映画でした。

 そろそろ冬の終わりが近づいてきています。コートを脱ぐ季節になる前に、白井さんから帽子の所作について、ステッキの使い方、など冬の着こなしについて、余人では決して語れない奥深いお話をもっともっと伺わねばなりません。白井さんの美的センスに影響を与えたルーツについて、白井さんが見てきた内外の洒落者列伝などについてもまた然り、まだまだ知りたいことは山ほどあります。私はこのブログ上での“フランシス・F・コッポラ”にならねばならないのだと(コッポラ監督が知ったらさぞ不愉快でしょうが・汗)、そんなことばかり考えながら映画を観ていました。もちろん主演と衣装担当は不世出の洒落者・白井俊夫さんです。次は“炎のランナー”にも挑戦してみたいと思います。

 ※前回訂正・・・バランタインについて『(伊)』と表記していましたがこれはとんでもない誤りで、正しくは『(蘇格蘭)』つまりスコットランドが正解でした。この場をお借りして訂正とお詫びに替えさせていただきます。

 ※更新のタイミング変更について・・・毎週月・金曜日に更新してきたこのカテゴリー“白井さん”ですが、これまでは私の都合上更新時間にバラツキがあったため、“もう更新されたかな。あれ、まだだ。”と、折角ご愛読頂いている皆様の貴重なお時間を無駄にし“がっかり”されたことが多々あったと思います。もちろん撮影については白井さんのご都合を最優先としますが、更新時間については今回から、基本的にですが、火・土曜日の深夜4:00に固定したいと思っています。 
 

 

 

天神山と信濃屋

2010-02-19 21:17:14 | お気に入り
 

 白井さんの着こなしを楽しみにしていた諸兄には大変申し訳ありませんが、前回お知らせしていた通り今週木曜日の“白井さん”撮影はお休み。ならば今日は箸休めとして、次第に去り行こうとしている冬を惜しみつつ、今シーズン新たに私のワードローブに加わった服をアップしてみたいと思います。

 毎度お馴染みの銀座天神山さんでお願いしたダイヤゴナルのジャケットです。



 しっとりとした肌触りと英国風カントリーテイストの微妙な枯れ芝色の生地は、カルロ・バルベラ(伊)のウールにカシミア5%混紡のダイヤゴナル柄。シングルブレスト3ボタン段返り、バルカの胸ポケット、腰ポケットはフラップでややスラント、チェンジポケット付き、サイドベンツ、袖のボタンはやや重ねて4つ。

    

 今回も、天神山さんの幾つかあるモデルの中の一つ“CRCS(カラチェニ)”モデル。ナチュラルショルダー、広めの肩幅、ゆったりとした肩周り、緩やかな弧を描く大き目のラペルが特徴で、私のガッチリした体型に最も合っている愛すべきモデルです。

 コーディネートは、生成り色のBDシャツにチェックのウールタイを締め、インナーに前開きの黄色いニットベスト、深めのグリーンのシルクチーフを挿し、パンツはグレーフランネル、靴は明るい茶のスウェード・セミブローグ、で纏めてみました。ネクタイ・ニットベスト・ポケットチーフは私の私物で、その他は天神山さんにお借りしました。特に靴は、いつもお馴染みの天神山Iさんが信濃屋さんに在籍されていた頃から培ってきた拘りが随所に鏤められている天神山オリジナルの力作。今回のコーディネートに華を添えていただいた形となり感謝感謝です。

 

 さて、斜め一方向に走るはっきりとした綾目が特徴のこのダイヤゴナル柄のジャケット。購入に至る経緯にはちょっとしたエピソードがありました。

 このジャケットが今秋冬シーズンのおすすめとして天神山さんのブログに登場したのが昨年の7月。私もIさんから強くおすすめしていただいたのですが、その時は正直言って、“なんか地味ぃ~な色”、それから“なんかヘンテコリンな柄”という印象しかなく、特に気になったのが襟に走るダイヤゴナルの綾目の角度が左右の襟で違う点でした。私は思ったことがはっきり顔に出る未熟者なので判り易かったのでしょう、その後Iさんからこの生地をお薦めして頂くことはありませんでした。

 それから数ヶ月が過ぎ、12月になってこのブログのカテゴリー“白井さん”の撮影を始めた頃のことです。告白しますが、実はこのカテゴリーの1回目と2回目の間には“幻の回”が存在していました。何故“幻の回”なのかというと、なんと私がデジカメのバッテリーを忘れてしまい撮影ができなかったからなのです。今思い返しても赤面するほど恥ずかしく、白井さんには無礼千万なビッグミステイクでした。ただ、幸いにもその日は、白井さんがたまたまコンパクト・デジカメを、最近撮影された写真を現像する為に持参されていて、それをお借りして撮影させていただいた秘蔵の2枚があります。後日データを分けていただきこっそり保管していましたが、それがこちら!ジャン!

 

 この日の私は唯々恐縮の体で頭の中は真っ白、小さくなってシャッターを切り、メモも執り忘れ記憶が定かではないのですが、ダブルブレストのチョークストライプ・フランネルスーツ(伊、A・カラチェニ製)に千鳥格子のタイという渋い装いながら、足元には敢えてチャーチのコンビネーションを軽やかに合わせるという超ハイグレードな着こなしでした。くぅ~今もって口惜しい記憶ですが、そのお陰というと変な言い方になりますが、その時、白井さんのデジカメの中に収められていた写真を何枚か拝見させていただきました。それは白井さんがご家族の皆様と馬車道のリストランテで食事会をされたとき写真だったのですが、その実に楽しげで穏やかな雰囲気の中、白井さんがお召しになっていたジャケットが、なんと今日のダイヤゴナルと瓜二つだったのです!

 ご家族での食事会ですからそんなに気張る必要はありません。白井さんはジャケットの色を拾ったスカーフをさらりと襟元にあしらってアクセントにし、私が第一印象で“地味ぃ~”と捉えたこのジャケットを使って“大人の男の休日スタイル”をものの見事に演出されていました。“なるほど!あのジャケットはこういう風に着こなすものだったのか!”・・・まさに目から鱗の瞬間でした。ただ“細かいことが気になるのが僕の悪い癖(杉下右京風)”。ラペルの綾目の角度の違いだけはどうしても気になったので、その点を白井さんに伺うと、『あれはそういうもの。あれが自然な形。』という明快なお答え。私がその日直ぐに天神山さんに電話をして在庫の確認をしたのは言うまでもありません。

 このダイヤゴナルのジャケットは、私に服選びと着こなしの奥深さを教えてくれた大切な一着になりました。

  

 さて、今更改まって言うのも些か気恥ずかしいのですが、私が紳士服の魅力に目覚めたのは数年前の天神山さんとの出会いがきっかけでした。以来、私の体型に合わせて少しずつ補正を重ね、今日のダイヤゴナルで天神山製は全てマシンメイド(天神山さんではマシンメイドとハンドメイドの両方扱っています)のジャケットで都合9着目となりました。今はその9着を、まだまだお恥ずかしい着数ながら、なんとかやり繰りして私なりに着こなしを楽しんでいます。

 もちろん、それ以前にも必要に迫られてスーツやジャケットを何着か揃えてはいましたが、今それらは完全に箪笥の肥しになっています。それがあまり良いことでないのは分かってはいるのですが、天神山さんのジャケットと比べると素人の私でもはっきり判るくらい、その着心地とプロポーションの差は歴然としていて、以前の服にはとても袖を通す気にはなれません。もう一つ、私は極端に幅が広いイカリ肩なので、以前の既製服では首の後ろに所謂“ツキ皺”が出てしまいます。ですから、天神山さんに出会ってからは、街で見かけた服がどんなに素晴らしいものであっても、それが既製服である以上、私にとっては手の届かない服でしかありませんでした。例えそれが信濃屋さんのウィンドウに飾られた一目惚れするほどの素敵な服だったとしても・・・。

  

 記念すべき10着目は、今まで指を咥えて見ているしかなかった憧れの信濃屋さんの既製服。信濃屋流を志してからは初めてのスーツ、そして憧れの伊ダリオ・ザファーニ(セントアンドリュース製)、初めてのハンドメイド服です。

   

 肩幅と襟幅が広めでゴージ、ボタン位置があまり高くないオーソドックスなスタイルを強く押し出したシングルブレスト3ボタン段返り、控えめにほんの少しだけバルカの胸ポケット、腰ポケットはフラップ、チェンジポケット付き、サイドベンツ、小さめの袖のボタンはやや重ねて4つ。パンツは渡り幅と股上をゆったり目にとり、当然ツープリーツ(これも初)でサスペンダー釦付き、信濃屋テイスト溢れる完全別注の逸品です。

 コーディネートは、白抜きのクレリックのピンホールシャツ(これは信濃屋さんでお借りしました。)に、白井さんに頂いた虎の子のルチアーノ・バルベラのレジメンタルストライプ、迷った時は白い麻のポケットチーフ、真っ赤なサスペンダー(これもお借りしたもの)、靴は信濃屋オリジナルのUチップ。

 白井さんが『色が良いんだよこれは。』と仰っていましたが、私がまず最初に魅かれたのもこの服の色でした。柔らかい茶色のグレンチェック柄に淡いベージュのペインが入った大人しく品のある色。まさか最初に買うスーツが茶のグレンチェックになるとは予測もしていませんでしたが、良い服との出会いはこういうものなのかもしれません。

 次に魅かれたのは、素人の私がこんなことを言うのは憚りながら、その秀逸なパターン。10年後20年後も決して色褪せることは無いであろう普遍的なフォルム。何処に着て行っても恥ずかしくない服。英国的な雰囲気の服作りを信条とするセントアンドリュースと、真の大人の男の服を提案し続けている信濃屋さん、その両者のコラボレートの面目躍如といった観があります。また決定打となったのは信濃屋さんで初めてちゃんと“肩が入った”ことでした。

 

 先月末のある日のことでした。実は白井さんの撮影の日はそれに集中するため、なかなか自分の買い物はできないもの。そんな訳で、私は撮影日を外して信濃屋さんを訪れたことがありました。私は小物を中心に久しぶりにゆっくりと買い物を堪能していました。上述の理由もあって、私は今まで一度も信濃屋さんで服を買ったことは無かったのですが、その日はたまたま他のお客様もいらっしゃらなかったので、どうせ着られないけど試すだけならと、いつも私のお相手をしてくださる牧島さんといろんな上着を着比べて遊んでいました(笑)。

 そのとき、以前から“綺麗な服だな~。あんな服が着れたら良いのにな~。”と思っていたこの服に何気なく袖を通してみたところ、“カポッ”と肩が綺麗に収まったのです。“既製服の肩が綺麗に収まる”そんな経験は初めてだったので驚きました。肩が嵌ったのはセントアンドリュースのパターンの素晴らしさが一因だったのは言うまでもありませんが、実は私の体重が、昨年末に白井さんの撮影を始めてから6kg落ちていたことも理由の一つだったのかもしれません。これは心労が祟って、という訳ではなく(笑)、上手く言えませんが、“気引き締まって身も引き締まる”とでも云いますか、白井さんの着こなしを見続けることによって私の中の何らかの“意識”が変ってきたことによるものでした。ただ、私などには分不相応な服であるのは変りません。それからも白井さんの目を盗んでは(笑)この服を羽織って一人悦に入っていたのですが、遂に白井さんの目にするところとなり敢え無く“御用”。この服との巡り合せも白井さんが導いてくれたもの、と観念して今日に至りました。

 私には10年早い服かもしれませんが、着こなせた時の喜びは如何ばかりかと胸躍ります。

 最後に、天神山のIさん、信濃屋の牧島さん、撮影ご協力ありがとうございました。今日も何だかんだで白井さんに持っていかれた観がありますが、そうは言ってもお二人の介添えが無ければ今回のアップは存在しませんし、今日私のワードローブが、余計な回り道をせず最短距離で充実できているのもお二人の日頃のアドヴァイスあったればこそ。本当に感謝しています。ありがとうございました。


手編みのカシミアスウェーター&粗羅紗のダッフルコート

2010-02-15 18:57:01 | 白井さん




 一週間ぶりの更新となりました。これには理由がありまして、実はこの時期、信濃屋の皆さんは来るべき春夏シーズンに向け大変お忙しく、白井さんも出張などでお店を留守にされるため、このブログ撮影も今週末までお休みを頂いています。しかし先日、そんなご多忙の最中にもかかわらず、白井さんのご好意で特別にお時間をいただき、大変貴重な“白井さんの休日スタイル”の撮影をさせていただくという僥倖を得ることができました!!以下いきなりですが、事の顛末についての余談からスタートです(長いです笑)。

 毎週、白井さんが出勤される木・土曜日に撮影し、私のお休みに合わせて月・金曜日に更新してきたこのカテゴリー“白井さん”でしたが、上述の理由で先週金曜日の更新はお休み。ならば替わってと、今シーズン銀座天神山さんで新しく作ったジャケットについてのアップを予定していたのですが、ここ数週間、実は結構動きが多い白井さんの撮影に慣れてしまっていたからなのか、前もって天神山さんの店内で撮影していた写真の殆どが、トルソーに固定されたジャケットの撮影にもかかわらず何故か殆どがピンボケ(汗)。“目にも止まらないパンチを紙一重で見切るボクサーがゆっくり投げられたピンポン球は避けられないと謂われるが、これがそれか!”と一人合点しつつ、さてどうしたものかと悩んでいました。

 そんな折、このブログで何度かご紹介した西麻布にある私のお気に入りのバーのオーナーバーテンダーSさんから『次の金曜日にランチをご一緒しません?』とお誘いを受けたので、“これは一旦ブログからは離れて気晴らしをしなさいとの神の啓示か?”とこれまた一人合点し、この日、先週の金曜日は新宿にある“パークハイアット東京”の52階にあるレストラン『ニューヨーク・グリル』に向かいました。

 パークハイアット東京は1994年オープン。当時はフォーシーズンズホテル椿山荘東京、ウェスティンホテル東京と並んで“東京外資系ホテル御三家”などと呼ばれていてたスモール・ラグジュアリホテル。客室を178室に限定し実にきめ細かなサービスを受けられることでつとに有名です。海外での評価も大変高いそうで、世界のトップ500の企業のCEOにアンケートしたところ、このパークハイアット東京は堂々の世界第2位に輝いたことがあるほどだそうです。丹下健三設計による『新宿パークタワー』の39階から52階に入居していて、ホテル正面玄関から専用エレベーターでまずはフロントレセプションのある41階に直行。さらに上層階に位置する客室やレストランへは、同フロアでも最も奥まった場所にあるフロント・デスク付近から別のエレベーターに乗り継ぐ必要があります。利用客が各セクションやフロアを通過するごとに少しずつ日常から離れていくように緻密に計算され、客室階のプライバシーが完璧に保たれた設計はまさに“大都会の喧噪を離れた大人の隠れ家”というこのホテルのコンセプトのため。

 ですが上述の薀蓄をSさんから伺うまでは、そんな素晴らしいコンセプトのホテルだとは露知らなかった私は、52階にあるレストランまで行き着くのにやたら迷ってしまい、クロークの方に『ここまで来るのにもの凄く時間が掛かりました笑。』と軽く嫌味を言う始末。無粋ここに極まれりという有様で、パークハイアットの皆さんごめんなさい(汗)。高い天井の店内は居心地が良く、窓からの眺めは素晴らしく、その日は夕食が食べれなかったほどお腹一杯になるまで美味しい食事をゆっくりと楽しみました。Sさんとは先日、西麻布のお店で美容師のW君、天神山仲間のT君と共に白井さんの話題で盛り上がったばかりだったので、ここでの話題ももっぱら白井さんについてでした(笑)。

 因みにSさんは実に独特なライフスタイルをお持ちの方なのですが、都内のラグジュアリホテルはほぼ完全制覇されていて、このパークハイアット東京もSさんお気に入りの“常宿”。この日もハイアットグループが世界中で営む多くのホテルの中でも数人しか存在しないという特別なバッジを付けたマネージャーが、『いらっしゃいませ、お待ちしておりましたS様。』とイの一番に挨拶に出向いてきたり、ここには書けませんが、ちょっと普通ではあり得ない特別なサービスも受けることができたりと束の間のセレブ気分も味わうことができました。私も憚りながら張り切って白井さん流の着こなしを実践していたお陰さまで、なんとかSさんに恥を欠かせないという最低限の振る舞いはできたと思います。

 さて無茶苦茶余談が長くなりましたがここからが本題。食事を終えた私が携帯電話を見るとなんとそこに白井さんの携帯から直々に着信&留守録のメッセージが(もちろん白井さんの貴重な肉声は永久保存済み)!!聞くとご丁寧にも撮影お休みについて白井さんから再度確認していただくという内容でしたが、兎に角取り急ぎ折り返しの電話をさせていただきました。この時の時刻は16時30分。

 私、『こんにちは。わざわざお電話ありがとうございます。今新宿にいるのですが、さっきまで友人と食事をしていましてお電話に気が付かずに申し訳ありませんでした。』

 白井さん、『そう、今日はお休みなんだけど、今ね、お店に居るんだよ。』

 私、『ええ!そうなんですか!ああ~残念!もう少しお電話に気が付くのが早ければ良かったんですが、今から自宅に戻ってカメラを取ってきて横浜に向かっても、白井さんがお帰りになる時間(18時)には間に合わないと思うんです。』

 白井さん、『そう、それは残念。今日はちょっと面白い恰好してるんだよ。』

 私、『ええ~!そうなんですか!ああ~本当に残念です(涙)』

 白井さん、『ちょっとくらいなら待っててもいいんだけどね。』

 私、『本当ですか!?わかりました!直ぐ伺います!』

 白井さんにそこまで仰っていただいて『行かない』と言うのは大逆の徒の所業。あんなに走ったのは学生時代の部活動以来。私は、秀吉の中国大返し並の大急ぎで、まず自宅に戻ってカメラをピックアップ。一旦自宅の最寄り駅で白井さんに電話をして『18時10分にはそちらに着けます。なんとかなるもんですね(笑)』と息も絶え絶えにお伝えすると、電話の向こうで白井さんは、静かに声を出して笑っていらっしゃいました(笑)。JR桜木町駅で電車を降り、馬車道を駆け抜け、転がるように信濃屋さんに入った私を待ってくれていたのは本当に貴重な、ご自身もまずお店ではあり得ないと仰っていたスウェーター姿の白井さんでした。
 
 白井さん、『早かったね~!いや、本当だ、18時10分ピッタリだ(笑)』

 私、『“なせばなる”ですね(笑)』

 白井さん、『“なせばなる、なさねばならぬ何事も・・・”』

 そして二人で『“ナセルはアラブの大統領”!』と唱和して、余談が異常に長くなって申し訳ありませんでしたが、今回の撮影開始となりました。



    

 日頃お店で、頭の天辺から爪先まで、完璧なスーツもしくはジャケットスタイルでお客様をお迎えする白井さんが“まず滅多に無いね”と仰っていたスウェーター姿だった訳は、この後プライベートで日頃親しくされている方々との集まりがあるため。分厚くしっかりとした織りの真っ赤なカシミアのスウェーターは、白井さんが『これは4着くらいしかなかったね。』と仰るかつて信濃屋さんで扱ったマーロ(伊)のカシミアで、驚くことになんと手編み!その下、オフホワイトのタートルネックのスウェーターはバランタイン(蘇格蘭)で当然カシミア。グレンチェック柄のパンツはアットリーニ(伊)。私が『カラチェニですか?』と伺うと、『違う違う、この色はアットリーニだね。』と仰っていましたが、何故かツープリーツが鉄則の“白井流”では珍しいワンプリーツ。『ダブルのスーツを作った時にアットリーニが間違えたんだよ。直ぐにツープリーツでもう一本作り直させたけどね、まったく!』と怒ってました(笑)。

 靴はオールデンのコードヴァン。『これは“雨靴”。買ったのはフィレンツェだったかな?アメリカの靴を何もイタリアで買うことも無いんだけどね。』と仰っていましたが、この日の天気は朝から厳しい寒さの中、小雪交じりの雨が断続的に降るというものだったのでこの靴をお選びになったのでしょう。因みに以前、白井さんはお客様との会話の中で『雨でも靴は革底が一番良いよ。』と仰っていました。それから銀座天神山のIさん曰く『わざわざ雨用に新しい靴を揃えるよりは、お気に入りの靴を新たに購入して、今使っている靴の中で一番お気に入り度が低い靴を雨用に転化した方が良いよね。』と仰っていました。Iさんのお師匠である白井さんですから、確認はしていませんが、もしかしたらこのオールデンもそういう経緯で“雨靴”になったのかもしれませんね。

 折角の機会なので、白井さんにニットの着こなしで特に気をつけていらっしゃることはありますか?とお伺いしたところ、『柄物は着ないな~昔は持っていたけど、みんな人にあげちゃったよ。』とのこと。『お腹が出てきちゃって・・・』と気にされていた白井さんですが、変な柄物の悪趣味なニットで体型を誤魔化すよりは、今日の白井さんのように綺麗な色のシンプルなスウェーターをあっさりと着こなす方がよっぽどカッコいい大人の“休日スタイル”だと私は思います。



     

 『 映画「ナバロンの要塞」(1961米国映画)のグレゴリー・ペック、デヴィッド・ニーブンの二人が甲板上で着用している。「第三の男」(1949英国映画)では少佐役のトレバー・ハワードが、その他にも色々な戦争映画でジェネラル モンゴメリーに扮した役者がしばしば着用。因みにイタリーではモンゴメリーコートと呼んでいる。
 
 そもそも元はノルウェーの漁師が着ていたものをイギリスのモンゴメリー将軍が貰い、後に海軍の制服に採用したと云う説がある。本物はCASEYと呼ばれる粗羅紗を使用。重量があって小柄な日本人にはやや不向き。まるで厚手の毛布を纏っているようで、暖かい事この上ないのではあるが。1945年大戦後放出品として世に出回った。

 40年後の1985年、倉庫に眠っていた当時の生地でグローバーオール社が復刻版を作製。750着が世に出た。 勿論エディショナル・ナンバー入り。それ以前には60年代のアイビーブームの折り多少の改良が加えられ若者達の人気を集めた。当時、銀座のメンズウエアーでは店の奥に断ち台を置きオリジナルを製作していた。私も学生時代に購入している。

 現在は85年の復刻版を持っているが何しろ重くてめったに着る機会もない。何年か前に一時ブームが再燃し、その時に流行ったものは、革だかビニールだか分からないループと水牛の角だかプラスティックだかわからない、なにやら猪の入れ歯の様なトッグル?との組み合わせ、大の大人が着るには少々はづかしい代物であった。』(信濃屋HP“信濃屋オリジナル・ダッフルコート”より)

 上述は2007年8月21日に信濃屋さんのHPに寄せた白井さんの一文。そこにはこのコートについての全てが綴られていますので私の説明など不要です。文字だけで知っていた白井さん所有の粗羅紗を使ったダッフルコートを遂にこの日この目で見ることが叶いました。“CASEY(カージー)”と呼ばれる粗羅紗を使った、これぞ大人の男のための“本物の”ダッフルコート。『ほら、持ってごらん。もの凄く重いから年に一回、雪の日に着るか着ないかだけどこれは良いよ~(笑)』と仰っていましたが、確かにど~んと重かったです(汗)。コートの内側に刻まれたエディショナルナンバーは“476”。

 ターコイズ、もしくはスカイブルーのカシミアマフラー。形の呼び名はわかりませんが、古の海軍士官風のネイビーの帽子は英国の“JamesLock(ジェームス・ロック)”。一瞬“白井さんが軍手!?”と我が目を疑い、どこのものか伺い忘れてしまった暖かそうな手袋も手編みのもの。更に“魔法の杖か!?”とハリー・ポッターもびっくりのステッキは薔薇の根っこを使った一本。白井さんからは『○ート・ブライ○○だよ。』と教えていただいたのですが、私の記憶力の低さとメモした字の汚さが原因で○の部分が不明です(汗)。次回、チャンスがあれば今日の小物についてもう少し伺ってみますが、今日はそれぞれが実に“個性的”なアイテムばかりで、白井さんをご存じ無い、服飾についての興味が一般的な方が、今日の帰り道の白井さんの装いを見たら“一体何をしている人で、これから何処へ行くのか??”ときっと驚かれたことでしょうね(それは今回に限ったことではありませんが笑)。

 前回訂正分については、白井さんから『訂正はほぼ無かったね。』とお褒めの言葉をいただきました。本当は細かい部分で気になることはたくさんあると思いますが、白井さんのさりげないお心遣いに感謝しつつホッとしています。ただ白井さんと、前回登場した“グランド・ホテル”についてもう少し調べてみる約束をしましたので、横浜の近代建築に詳しい以下のURLをリンクさせていただきます→横浜近代建築アーカイブクラブ

 しかし、それにしてもあの白井さんが私の携帯に気軽にお電話をしてくださり、普通に会話をされているのが不思議で、更に、私の来着を待ってくださるなんて今でもちょっと信じられないようなシチュエーションで、その日ランチタイムに過ごした贅沢な時間も重なり、なんだか夢を見ているみたいな休日でした。               

                  

 

 さて、最後に、私などが余計なお節介ながら、ご紹介をさせてください。白井さんがその手縫いの技術と作りの確かさを『今のエルメスよりずっと良い。』と褒め称えつつご愛用し、世の数多の拘りある紳士諸兄をも唸らせる『Fugee』の鞄職人・藤井 幸弘さん の個展が、『Fugeeのしごと 16点の鞄展』と題し、過去25年に渡って、藤井さんが製作し、それぞれがお客様の手によって経年変化を遂げた16点の鞄を展示するという趣向で、明日、2月16日から28日までの2週間、近年恵比寿にオープンした『ギャラリープラーナ』にて開催されます。以下詳細は、

 場所       ギャラリープラーナ(恵比寿)

 期間       2月16日~2月28日(22日・月曜日はお休み)

 開廊時間     11時~19時(最終日は11時~18時)

 藤井さん在廊日  16日(火)18日(木)20日(土)21日(日)

           23日(火)25日(木)27日(土)28日(日)

 となっています。不肖、私もその芸術的な美しさに一瞬で魅了され、“奇貨おくべし”と清水の舞台から飛び降りるつもりで購入したスウェードの抱え鞄は、愛着を抱くのはもちろん、今では所有することそのものが誇りにもなっています。長年その美しき鞄を手にする者にそんな喜びを感じさせ続けてきた『Fugee鞄』16点が一堂に会する。私も白井さんにお誘いいただいて(嬉しい!)珠玉の名品を鑑賞させていただく予定になっており、今からとても楽しみです! 



チョークストライプのフランネルスーツ&カシミアのチェスターフィールドコート

2010-02-08 20:51:57 | 白井さん




 冒頭からいきなり余談で恐縮ですが、先日、このブログで何度かご紹介したこともある美容師のW君と、一年ほど前から親しくさせていただいている銀座天神山さんのお仲間T君、それから私と男三人連れ立って、これまた以前このブログでご紹介した西麻布にある私のお気に入りのバーで楽しいひと時を過ごす機会がありました。有難いことでお二人にはこのブログをいつもご覧いただいており、“白井さん流”に憧れる私はそれにふさわしい新たな髪形に挑戦すべくW君と打ち合わせをしたり、その横で“白井さんが所有しているようなお宝コート(T君命名)が欲しい!”と鼻息荒いT君をなだめたり、とここでも話題の中心は“白井さん”について。我々の会話を聞いていたオーナーバーテンダーのSさんも『機会があれば是非お会いしてみたいですね。』と白井さんに興味津々といった様子で、いつしかT君が、職業柄多くの紳士を見てきているSさんから『やはり帽子を被られた方が良いですよ。折角素敵な服をお召しになられているのですから。』と白井さんばりに強く勧められて困惑するという場面もありました(笑)。因みに私がT君と知り合ったのは一昨年の冬、このブログでご紹介したローデンコートの記事をネット上で発見してくれたT君が銀座天神山さんを訪れるようになったことでいただいた御縁でした。そんな行動力溢れるT君は『僕もミラノのA・カラチェニに行って服を作った方が良いかなぁ』と半ば本気の(でも些か無謀な)悩みを抱く若き大望溢れる紳士です。

 また、その日の夕方、3人で東京メトロ恵比寿駅のホームで電車を待っていた時、件のローデンコートにボルサリーノを被り、白井さんに見立てていただいたシルクマフラーを巻いていた私に通りすがりの外国の方が『スゴイオシャレネ~』と声を掛けてくれました。そんな経験は人生初だったので本当にびっくり!でも、外国の方にとっては日常的な振る舞い(白井さん談)ですし、もしかしたら単に普段から100m歩く毎に出会った通りすがりの人に『スゴイオシャレネ~』と声を掛けるという奇癖をお持ちの方だったのかもしれませんが、真相はどうであれやはり褒められれば嬉しくなるのが人情というもの。慣れないことに戸惑いながらもいつもよりちょっぴり美味くお酒をいただきつつ、善き友人達と時の経つのも忘れて服飾談義に花を咲かせた夜でした。それもこれもここ数週間こうして白井さんを追っかけ続けてきたことへのちょっとした“ご褒美”なのかもしれません。

 今日の白井さんの着こなしは、ライトグレーのチョークストライプ、“白井さん流”にベストを加えたダブルブレストのスリーピース。そしてこのブログ初登場、チェスターフィールドコートは濃紺のダブルブレストという装いです。

  
     

 明るめのグレーに幅広のチョークストライプのフランネルスーツはルチアーノ・バルベラ(伊)で前々回のネイビーから少し後の頃のもの。初登場のタブカラーシャツとポケットチーフは白、ネクタイは写真ではネイビーにも見えますがブルー。

 この日は白井さんから『靴の写真が少ないね。服なんてどうでもいいんだから。』とお叱りを受けてしまいましたので、今回は靴の写真を多めに(笑)。因みに“服なんてどうでもいいんだから”というのは白井さんが日頃よく仰る言葉で、これは字面通りに受けとると“エエ~!!どうでもいいんですか??”と驚いてしまう台詞ですが、私が思うに恐らく“服は勿論着こなしの重要な部分を占めているけれども、如何せん時代ごとの流行や体型の変化の影響が大きいのが難点。服より一見目立たない靴や小物の類はつい忘れがちだが息の長いアイテムだからもっと刮目して見なさい”という意味だと理解しています。本当はもっと深~い意味があるのだと思うのですが、私のレベルではこれ位の解釈が精一杯で、今はひたすら行間を読み、ニュアンスを掴み取るしかありません(でも単に“靴の写真が少ない!”と強調して仰りたかっただけなのかも・・・汗)。

 いつものようにピッカピカに磨きこまれた中茶のパンチドキャップトウはシルヴァーノ・ラッタンツィ(伊)。セブンアイレッツ、アッパーの革の切り返し部分は手間の掛かるリボルターテ(革の切り目を薄く梳いて内側に織り込んで縫う)仕様。『リボルターテなんてどうでもいいんだよ。ここ、ここ、この角度がポイント。わからないだろうな~。』と仰って指差していらっしゃったのが、コバ内側の土踏まずに向けて角度が切り替わる部分。どうやら余程重要なディティールのようでしたのでなんとか接写を試みたのですが、残念ながらピンボケになってしまってお見せできる写真が残せず忸怩たる思いです。毎回お馴染みラッタンツィ氏直筆の文字は、以前ご紹介したときと若干異なり“Shiray”です(汗)。

 この日の私はポカが多く、“今日の着こなしのポイント”もうっかり伺い忘れてしまいました。ただ、これはあくまで私見ですが、白井さんが教えてくださる“ポイント”と私が白井さんにお会いした瞬間に受ける第一印象は、表現する言葉に違いはあれど、実は毎回かなりの確立で重なります。因みにこの日の第一印象は“今日の白井さんは軽やかな着こなしだなぁ”というものでした。そういえば、昨年発売された紳士服飾雑誌の巻頭でルチアーノ・バルベラ氏が今日の白井さんのスーツと色が近いグレーフランネル・チョークストライプのダブルブレストスーツを着ていて、『ダブルはスリムに見える』という言葉を残していましたね。白井さんは『今日のは渡りがちょっと狭いんだよね。』とパンツについてちょっと気にされていましたが、そんなこんなを思い合わせて今日の写真をじっくり拝見すると、ライトグレーという色やストライプという柄、ブルーのネクタイや明るく輝く靴から受けるイメージも重なり、“清々しさ”や“若々しさ”も表現されているような気がして、この日受けた第一印象についても成る程あながち間違ってはいなかったのかなと思います。私如きがこんなことを言うのは生意気ながら、もしかしたら白井さんの着こなしのポイントの“ポイント”は“第一印象”と深い関係があるのかもしれません。

  

 さて、普段は手ぶら主義の白井さんですが、この日はわざわざこのブログのために私蔵の古い名品をご自宅からお持ちくださって、『今日はいっぱい持ってきたよ~。』とご愛用の鞄の中から取り出して披露してくださいました。

 まず上掲1枚目の写真は古いバンチサンプル。上から『Fox & Bros Co』、中央は『John Cooper & Son Ltd』、下『HUNT & WINTERBOTHAM』、いづれも英国製の、白井さん曰く“これが本当のフランネル” という分厚くしっかりとした織りの生地。素人の私でもはっきりと判るほど現代のフランネルとは明らかに違う極上品で、昔の生地職人はいったいどれほどの手間と時間を掛けていたのか、写真と私の拙い文章ではその違いっぷりは到底お伝えできず大変残念でなりません。

 2~3枚目の写真は予てお約束いただいていた『コックスムーア』のアーガイルソックス。左から約40年前、20年前、15年前と並んでいますが、時代を遡るごとにどんどん分厚く織り目の詰まったしっかりとした生地になっていきます。こちらも先のフランネル同様写真と文字では表現しきれませんが、40年前と20年前では織り目の隙間の大きさが違うのが拡大写真でなんとかご確認いただけたら幸いです。それから足裏部分には“HAND EMBROIDERED”と表記されていました。これは“アーガイル模様の点線部分は手仕事で仕上げていますよ”という意味だそうで、今ではちょっとあまり聞かれないディティールだそうです。またこちらも古くなるほどステッチのピッチが細かくなっていて、まさに“これが本当のアーガイルソックス”という逸品でした。他にも同じコックスムーアでかつてルチアーノ・バルベラ氏が“俺も同じもの持ってる”と白井さんと張り合ったという懐かしのミッドカーフレングス(ソックスとロングホーズの中間で、ふくらはぎまでの長さ)や、ヘンリーのホワイトソックス、ニナ・リッチのソックスなども見せていただきました。いづれの品も現代では何処へ行って探しても絶対に見つからない逸品ばかりで、眼福に与るとは斯くの如しという貴重な経験でした。

  
       

 お帰りのコートはこのブログでは初登場となるチェスターフィールドコート。『ゼニアでね、珍しくちゃんと注文したやつ。』と白井さんはさらっと仰っていましたが、あまり意味が良く分からず、後で牧島さんとYさんに確認したところ『ス・ミズーラだよ。』と説明していただきました。こっそり触らせていただいた濃紺のカシミア生地は滑らかでしっとりとしていて、控えめで上品な艶感には“正装”という言葉がぴったり当てはまります。帽子はボルサリーノの毛足の長いグレーのファーフェルト、以前登場した白井さんお気に入りの黄色いカシミアマフラーはメイドインジャパンの逸品、銀の握りのステッキ、マフラーの色に合わせたイエローの手袋はデンツ(英)のディアスキン(鹿革)、でしたがお帰りは、3つの手袋が写っている写真の一番右にある、今ではあり得ないほど極厚のペッカリー革を使ったガンペラン(仏)で気分を変えて。因みにディアスキンは一般的には正装用にグレーが使われるのだそうで、白井さんから『今度見せてあげるよ。』と言っていただきました。銀座天神山Iさんのブログで教えていただいていたグレーのディアスキン、今から楽しみです(笑)。

 それから、デンツのディアスキンの写真でちらっと写っている黒い小冊子は、信濃屋さんの120周年記念の際に発行された『CORRECT FORMAL ATTIRE』。こちらも以前天神山さんにてIさんに見せていただいたことがあって、内容は白井さん直筆の文字とイラストや、解り易い一覧表で正装時の着こなしについてのアドヴァイスてんこ盛りといったもの。私は密かに“フォーマルの着こなし虎の巻”と名付けていましたが、今回白井さんにお願いして一部譲っていただきました。この虎の巻が活躍することはあまり無いかもしれませんが、もしもの場合に備えてこれほど心強い一冊もありますまい(笑)。因みに以下白井さんからの余談・・・『120周年はニューグランド(ホテル)でやったんだけど、あれ何で“ニュー”って付くか知ってる?今は無いけど昔はちゃんと“グランドホテル”もあったんだよ、だからニューって付いてるんだ。確か16番地だったかなぁ。昔の住所は英何番とか米何番っていう呼び方で通ってて、英一番は今のシルクセンターがある場所でかつて“ジャーデン・マセソン”があった所。今の人はそういうこと全然知らないからな~ちゃんと教えていかないと。』・・・服飾のみならず歴史の勉強までできるとは・・・奥が深すぎます信濃屋さん&白井さん(汗)。

 今日は最後になりましたが恒例の前回訂正です。

 1.『アルパカのアルスターコート』と表記していましたが、これは『アルパカのポロコート』の誤りでした。

 2. 帽子のハーバート・ジョンソンについて『白井さんのロンドンのお土産か?』と書きましたが、こちらも誤りで、ハーバート・ジョンソンは暦とした信濃屋さん取り扱いの品でした。

 3. 手袋についての記述で『恐らくディアスキンでチェスター・ジェフリーズ(英)のもの』と書きましたが、ディアスキンではなくスウェードでした。

 4. アイケルバーガー中将との思い出の件で、当時の本牧の描写で誤りがありました。『海側は“エリア1”と言って兵卒の住まいがあったところ。“エリア2”と呼ばれていた山側は将校の住まいがあったところ。それから朝鮮戦争でなくなったもう一人の中将の名は“ウォーカー中将”です。』と白井さんから改めてご説明いただきました。

 そして更にもう1点。白井さんが『これは強調してくれて構わないよ。』と仰っていた重大な誤りがありました。それはシャツについて。前回のブログ作成中に私は画像から何となく判断して白井さんがお召しになられていたシャツを“ダイヤゴナル柄”などと書いてしまったのですが、これを白井さんは強く否定されて『白いシャツで変な織り柄が入ったものなんて“生理的に”嫌い。白いシャツはオックスフォードかブロード以外は絶対に着ません。だから前回のシャツはオックスフォードのBDが正解。』とたいへん丁寧に詳しくご説明いただきました。瓢箪から駒とはこのことか、有難いことに白井流鉄の掟をまた一つ新たに知ることができましたが、ご自分の着こなしやそのこだわりについて多くの言葉数を白井さんに費やさせてしまい慙愧に耐えません。不確実な情報や思い込みで下手なことを書いてはいけないぞ、私の不注意で白井さんのお名前に傷が付きかねないんだぞ、と今回は深く反省しています。また、こう訂正が多すぎてはせっかく読んでくださる方々にも負担になってしまいますね。白井さん、皆様、たいへん申し訳ありませんでした。



ウィンドウペインのツイードジャケット&アルパカのポロコート

2010-02-05 10:01:10 | 白井さん




 昨日2月4日は立春。暦の上では春ですが例年日本列島はこれからの一ヶ月間が真冬の厳しい寒さを迎える時期となります。この日の横浜は曇り空。空気はより乾燥の度合いを増し、これまでとは寒さの種類が違うように感じました。毎回私は信濃屋さんを訪れると最初に前回撮影分の写真を数枚白井さんにお渡しするのですが、この日は受け取られた写真の冷たさに白井さんも思わずびっくり(笑)。屋外と屋内との気温差が最も大きいのもこの季節ならではですね。

 今日の白井さんの装いは、不思議な、そしてちょっと神秘的ともいえるような深みのある色合いのブルーグレー色のウィンドウペインのツイードジャケットを主役にしてググッと“色調を抑えた”着こなし。そして肌寒い朝晩の行き帰り路には心強い見方となるアルパカのポロコートに綺麗な黄緑色のカシミアマフラーをしっかと巻いた完全防寒“SHIRAI STYLE” です。  

 さて本題に入る前に好例の前回訂正です(笑)。白井さんのスーツに関する記述の中で・・・『次の年に信濃屋さんのスタッフのお一人Yさんに奨めて同じものをバルベラで作らせたそうですが、同じ紺ストでもやはり微妙に違いがあったそうです。』・・・という一文がありましたが、“次の年”ではなくて“7~8年後”の誤りでした。『いきなり次の年でガラッと変ることはあまりないね。』とのこと(白井さん談)。ただし“同じ紺ストでもやはり微妙に違いがあったそうです”というセンテンスについて白井さんは『7~8年後の違いは“微妙に”ではなくて“はっきりと”厚さと密度が違っていた。どちらの方がしっかりした作りの生地であったかは・・・(笑)』と仰っていました。今回は私の記憶力の低さが招いた誤記でした。この場を借りて訂正させて頂きます。では本題へ・・・(笑)

   

 ’90年前後のルチアーノ・バルベラ(伊)のジャケットは2度目の登場となるツイードで、今日は寒いのでインナーにニットを合わせていますが、元々はべステッドジャケットとして作製されたそうですよ。ツイードのべステッドジャケット・・・なんて洒落てるのでしょう!茶のペインが入ったブルーグレー色の実に深みのある色合いが、ツイードのカサカサに乾いたような見た目の質感と見事に相まって、まさに大人のためのカントリージャケットといえる一着。私は個人的に青色が一番好きな色なので、今回のジャケットは(というか毎回そうなんですが汗)パーマネントコレクションとして深く記憶に留めて、いずれ同じような生地との出会いが叶えば是非自分のワードローブに加えたいと思う一着です!

 因みにジャケットの製作元は前々回登場したダリオ・ザファーニ氏のセントアンドリュース製のようです。ちょっと余談ですが、白井さんはその日お召しになっている服についていきなりべらべらと薀蓄を語ることはまずありません。そうした行為は“白井流ダンディズム”に反したこと。ですから私はまず最初にその日の服がどこのものかクイズ形式で当ててみるのが最初の関門になっています。私は必至になって穴が開くほどその日の一着をじっと睨みますが、当たったことは今まで一度も無く白井さんから正解を伺うばかり。しかし今回、控えめで上品な“感じ”がする襟の雰囲気をヒントに『セントアンドリュースですか?』と回答すると、白井さんは『まあほぼそんなところだね。』と仰って内側のバルベラのタグをそっと見せてくれました。恐らくルチアーノ・バルベラがセントアンドリュースに製作させたジャケットと解釈して良いのでしょう。記念すべき初の及第点!うれしい!(完全に自己満足)
 
 オックスフォードBDのホワイトシャツに、マニファットゥーレ・クラバッテ(伊)のシルクタイは山吹色の小紋柄。巷ではポピュラーな存在の小さな小紋柄のネクタイですが実は今回が初登場。『白井さんは小さな小紋柄のタイはお嫌いなのかな?』と密かに思っていた私の推測も見事に覆されました(汗)。信濃屋さんのセールでワゴンの中から“これいいじゃん、ひょいっ”と選んだ一本だそうです。白井さんがよく仰ることのようですが(銀座天神山Iさん談)、ネクタイを買うときに服との合わせ方を考えてあれこれ悩むよりも、色や柄などを見て“あっこれいいな”と思ったら直感で“さっと”選んで、その後合わせ方をあれこれ試してみる方が意外な発見もあってコーディネートのセンスを磨くには一番、とのことです。ところがこの“さっと”選ぶというのが実に難しい! このお話を聞いて以来私も『よし!俺も“さっと”選ぶぞ!』と心に決めてネクタイ売り場の前に立つのですが、たくさんのネクタイを前にすると次第にあれこれ考え始め、最後の方は“で?結局俺はどの色柄がいいなって思うんだ?”と自分自身の好みが判らなくなり、ぐったりと疲れ果てた挙句に結局何も買わず仕舞いというパターンが殆どです。Iさんには『まぁ、そんな高度な買い方ができるのは白井さんだけだから。』と慰めていただいています(涙)。写真ではグレーに見えますが、インナーのニット(恐らくカシミア)はダークオリーブ。ペイズリーのチーフの色はタイとニットの中間色を選ばれてのことでしょうか今日は黄土色。パンツは白井さんのジャケットスタイルの大定番グレーフランネルです。
 
 実は以前、銀座天神山のIさんから『白井さんにはまず“今日の着こなしのポイント”を伺ったほうが良いよ。』とアドヴァイスをいただいた私は、最近必ず白井さんにこの質問をするようにしています。今回のポイントは“トーン(色調)を抑えたような・・・?”着こなしだそうですが、そう改まって聞かれると白井さんも答えに窮されていつもちょっとお困りのご様子です(笑)。きっと白井さんは今日もワードローブの前であれこれ考えたりせずに、どのアイテムもささっと直感で選ばれたのでしょう。それでもまるで緻密に計算し尽くされたような白井さんの着こなしを拝見するたびに、やはり“毎日の積み重ね”が大事なのだな~と思います。

   

 お帰りのコートはアニョーナ(伊)の濃茶のアルパカ・ポロコート。前回は同色系のチェック柄のマフラーを合わせていらっしゃいましたが、今回は色鮮やかなライトグリーンのカシミアマフラー。フェルトの毛足が短く細めのリボンが巻かれた“巻き”の帽子は初登場のハーバート・ジョンソン(英)。ライナー無しのソフト帽はくるくる巻いて収納できるので信濃屋さんの先代の社長さんはこういう呼び方をされていたそうです。かつて信濃屋さんで取り扱いがあった帽子メーカーだそうでネットで調べてみると、映画“インディー・ジョーンズ”でジョーンズ博士が被っていた帽子を作ったメーカーとしても知られているみたいですね。手袋も初登場、スウェード革でチェスター・ジェフリーズ(英)のものだそうですが『よく知らない』とのこと。お手元のステッキは久しぶりの登場、スポーティーな装いではこれ!ラヴァリーニ(伊)。寒い冬の夜もこれで安心の完全防寒&エレガントなコートスタイル5点セットでのお帰りでした。

   

 『あれ?靴の紹介は?』と思われた方!ご安心下さい(笑)。今回は余談を絡めつつご紹介したいために最後にもってきました。“最後に控えしは~”(服部 晋さん風)フローシャイム(米)スコッチグレイン(揉み革)のロングウィングティップ。『これは正真正銘の50年選手。銀座のフタバヤで当時2万5千円だったなあ。“うわっ、かっこいい~、でも高ぇ~!”って思ったよ。初任給が1万6千円の時代だったからね。』と白井さんが懐かしむまさに珠玉の逸品の登場です。私もこの日この靴を白井さんが履かれているのを発見した時は“うお!遂にフローシャイムの登場だ!”と胴が震えました。白井さんの私物の名品コレクションが収められているキャビネットに常時陳列されているこの靴が放つ存在感は、この信濃屋さんが、そして所有者である白井さんが他とは懸絶した存在であることの、まさに無言の証明ともいえるのですが、その美術品のような静かな佇まいから一転、白井さんの足元に納まると生命を甦らせたかの如く活き活きとし、輝きは一層増し、出番を与えられた喜びを謳歌しているように感じられ、やはり靴は履くものなのだ!そう一人合点してしまいました。

 さて、いつもよりやや興奮ぎみで靴の撮影をしていた私の頭をよぎったのは、このブログを応援してくださっている皆様のお一人で、昔のアメリカ靴を筆頭に銘靴をこよなく愛する『おじおじさん』のお名前でした。すると『ああ~きっとこの靴の写真には喜んでくださるだろうな~。』と考えていた私の背後になんとご来店されたおじおじさんが姿を現されたのです!お足元には思い出のボストニアンを履かれて(笑)これには本当にびっくりしました。白井さんも最初は状況が掴めないご様子でしたが、おじおじさんとは銀座天神山さんで面識があった私が不調法ながら間に入らせていただき、お名刺の交換も無事済まされると、やはりお二人が大好きな往年のアメリカ靴談義に花が咲いて、初心者の私などには全くついていけないお話ながら、初対面に近いはずのお二人が実に楽しげにお話されている様子を肴に私も至福の時間を共有することができました。白井さんも乗ってこられたのか、白井さんが若かりし頃、古いアメリカ靴の絵や写真をスクラップした“ネタ帳”や、シルヴァーノ・ラッタンツィ氏にオリジナルシューズの発注をする際に渡した白井さん直筆の靴のイラスト集などを『普段はなかなか見せないんだよ。』と仰って見せてくれたり、横浜出身のお二人が出身高校のお話をされる段になった時に『そうだ!Today’s episode!』と仰って、今日は私が大好きな戦後のお話をご披露してくださいました。

 『高校生当時、本牧の海側の兵卒が住むエリア1から山側の将校が住むエリア2至る道は日本人は通れなくて、ハウジングの門番には日本人の嫌なオヤジが二人いたりしたんだけど我々の高校の生徒は特別に通学路として通行できたんだ。ある日雨が酷くて友達3~4人とバスストップで雨宿りしていると“ビック”(ビュイック。当時は皆“ビック”と呼んでいたのだそうです笑)に乗った将校が通りがかって乗ってけてってくれたんだよ。ナンバープレートがキャンバス地で覆われていたのを不思議に思っていたんだけど、まいっかってな感じでそんなことが2回か3回くらいあったのかなぁ。そしたら後日オフィシャルでその車が行進するのを見たときはびっくりしたよ。ば~っと6台くらいのバイクに先導されてさ、後ろにもば~っと。で、キャンバス地が取り払われたナンバープレートを見るとバ~ンと星が3つ!そうジェネラル、中将の車だったんだよ。当時のオクタゴン(第8軍)は中将が最高位で確か二人居たんだけど、そのうちの一人、ウォーカー中将は朝鮮戦争で戦死しちゃったから、残ってたのはもう一人の“アイケルバーガー”。恐らく間違いないと思うよ。かの有名な、マッカーサーが1945年8月30日に専用機「バターン号」で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着した時の、写真でマッカーサーの隣に立っていたのがアイケルバーガー。そんな偉い人だなんて知らなかったからさ、すっかり友達になっちゃって。“ハロ~”なんて言ってさ(笑)。』

 白井さんらしい微笑ましいエピソードですね(笑)。至福の時間はあっという間に過ぎるもの。おじおじさんはご自身のブログ『本格靴コレクター・おじおじの日記』でこの体験を忘れないように早速その日の晩にこの日の出来事を綴ったそうです。おじおじさんは心血を注がれた靴コレクションに合わせる為に数年前から服選びにも力を入れ始められたそうです。きっと珠玉の銘靴たちとの素晴らしいコラボレイションを積み重ねていかれるのでしょうね。

 最後に、おじおじさんはブログで『hitoさん、本当に横入りすみませんでした。何卒ご容赦ください。』と綴られていましたが、何を仰いますか、決してそのようなことはありません。実は、私は白井さんと二人きりになると、白井さんは基本的に無駄口は少ない方ですし、何を喋って良いのやら未だに見当がつかず、阿呆のようにぼ~っと白井さんを眺めている時間ばかりで、今日などは肝心の服の話は何処へやら、何故か落語の話を白井さんに振る始末。お隣におじおじさんのような見識の深い方が居てくださればこれほど心強いことはありません(シャッターチャンスも増えますし笑)。先日、信濃屋顧客列伝中のお一人で、このブログでもご紹介した“N様”が私に『あなたのブログが触媒になって、白井さん中心に信濃屋さんに服好きの紳士諸兄が集う“サロン”のような場ができると良いね。』と仰ってくださったことがありました。私の拙いブログなど何程のこともありませんが、もし自然と今日のような場面がもっともっと増えたなら私にとってこれほど心楽しくわくわくすることはありません。


 

 

 

チョークストライプのフランネルスーツ&キャメルのポロコート

2010-02-01 19:19:43 | 白井さん




 “着て更に着る”・・・“如月”の呼び名の由来だそうです。その名が示すとおりか今日から寒さもいよいよ本格的に厳しさを増し、東京近郊は今夜にも初雪が観測されそうな勢いです。さてこの日、私がいつものように横浜のJR桜木町駅から馬車道へと歩いていましたところ、キャメルのポロコートに鮮やかなグリーンのマフラー、頭上にボルサリーノ姿の紳士がこちらに向かって歩いて来られました。手には信濃屋さんの紙包みを携えて(笑)。弊ブログ1月18日アップの白井さんと瓜二つだったその着こなしは横浜の街の風景によく映えておられました。私はコートの襟を立て直し、少し心弾ませて信濃屋さんへと向かいました。

 今日の白井さんの装いはこのブログいよいよ初登場の“紺”。チョークストライプのフランネルスーツに、これまた白井さんもキャメルのポロコートという着こなしです。もしかしたら来秋冬シーズンはキャメルのポロコートブームが巷を席捲するかもしれませんね(笑)!
 
 今回も冒頭より白井さんからご指摘を戴いた前回更新分についての訂正があります。

 まず、“ガンクラブチェックのスパンカシミアジャケット”と表記していましたが、前回のジャケットの柄については白井さんも名前はよく分からないとのことでした。それからスパンカシミアという表記も誤りで『普通に“カシミア”と表記しなさい』とのこと。
 
 次にペッカリーグローブのくだりで、革の色を“コルク色”と表記しましたがこれも『ジャロ、否、デンツは英語圏だから“イエロー”としなさい』とご指導いただきました。更に『現行品よりも“肉厚”と書かないと。肝心なこと!』とお叱りを(涙)。白井さんは小さなことはお気になさらない方ですが、不正確なことはお嫌いです。これらの誤りは全て私の勝手な解釈が原因ですので、皆様にはこの場を借りてお詫び申し上げます。

 でも、この日は信濃屋さんのセール最終日ということで店内は大いに賑わい、白井さんもお客様との服飾談義にお忙しかったにもかかわらず、手製のメモ用紙にちゃんと指摘事項を書いて私の来着をお待ちいただいていたことが、お叱りを受けた身で不謹慎とは思いつつも、本当にありがたく嬉しいことでした。また翻ってポジティブに考えれば、天下の白井さんが厳しくチェックしてくださるのですから(白井さんにとっては迷惑千万な話ですが汗)、これほど安心してのびのび書ける贅沢な紳士服飾ブログも他に無いのではないでしょうか(笑)。では、今日も張り切ってスタートです!

  

 “紺地のストライプ柄、いわゆる「紺スト」は現代ではビジネススーツの定番になりつつある。それだけに着る人の個性がキラリと光る着こなしを楽しみたい。”・・・信濃屋HP『Shirai Textbook』より

 “紺スト”と一口に言っても、生地の種類、色の明暗・色味、ストライプの種類・幅、これらの違いで様々なバリエーションがあり、最も無難であるが実は着る人の個性がもろに表れ、最も着こなしが難しい服地の一つなのかもしれませんね。信濃屋の牧島さんが以前仰っていましたが、『白井さんも同じようなことを言ってたけど、お客様に“紺のスーツに合うネクタイを選んでください”と言われた時は実は結構大変なんです(汗)。』とのこと。白井さんは特にその色味を、“赤み”のある紺、“青み”のある紺、という表現をされていましたが、紺を選ぶ時の重要な基準にされているようで、白井さんは青みがかった紺を好まれているそうです。これは私の勝手な解釈ですが、別の言い方をすれば他の色を混ぜないで青色をそのまま濃くした“濁りの無い紺”という意味なのかな、と思っています。また日本人の、欧米人と比べ若干くすんだ肌色に明るめの紺を合わせるのは、着る人それぞれの肌色、好み、着こなしの違いという諸前提はあれど、少し難しいのでは、とも以前仰っていたことがありました。これらのことは着こなしを語る上で必要不可欠でありながら非常に高度な、ややもすると色彩学、果ては芸術の領域に触れるような極めて難しい命題で、私の拙い筆ではこれ以上上手くお伝えできません。また、白井さんは服選びにしても着こなしにしても“感覚”をとても重んじる方ですので、それらのあれこれについて無駄な言葉数を弄して説明するといった愚をおかすことは一切ありませんので、これ以上のことは自分で経験し学んでいく以外にありません。

  
  『ファッションに関する情報も、昔とは違いとても豊富になっていますから、最近のお客様は、スーツなどを選ぶとき、ブランド名や、値段をその基準にされる方が多いのは当然のことでしょう。しかし私はまず、その商品そのものを純粋な気持ちで見ていただきたいと思っています。デザイナーの名前や値段にとらわれるのではなく、自分の気持ちに触れるものをぜひ手にとって欲しい。仕立てのよさ、素材の良さも含めて、本当にいいものには人を惹きつける輝きがあります。その魅力があなたの心に共鳴するような、そんな出会いをしていただきたいと思います。』・・・信濃屋HP『白井俊夫のおしゃれ談義』より

 
    

 さて、お話が少し難しくなってしまいましたが、今日の白井さん。貫禄の“紺スト”は23~24年前のルチアーノ・バルベラ(伊)。第一印象で溜息が出るほど美しい青みがかった紺地に、文字通り白墨でひいた様な消え入りそうな擦れ具合が上品な幅広のチョークストライプのしっかりとしたフランネル生地。7~8年後に信濃屋さんのスタッフのお一人Yさんに奨めて同じものをバルベラで作らせたそうですが、同じ紺ストでも両者の間には厚さと密度にはっきりとした違いがあったそうです。『なんだか見せびらかしてるみたいで嫌なんだよね。』と仰りつつ内側のタグも見せていただきました。今では扱われていない懐かしいものだそうですよ。数十年の時を経たスーツに『最近きつくなってきちゃって。』とお嘆きの白井さん。『小さくなったんですね。』と応えた私に『服が小さくなったんじゃなくて僕が大きくなったの。』とおどけた白井さんでしたが、そこは去年のクリスマスのトークイベントで『服は洒落た人ほど“タイトめ”に着るもの。細身の服を着るって意味じゃなくてね。』と仰っていた白井さんですので、今日はスリーピースのベストは外してさらりと着こなしていらっしゃいました。

 クレリックシャツは以前このブログでご紹介した、白井さんが『フライよりずっと良い』と仰っていたロッカーループの施されたシャツと同じく、今はなき横浜のシャツ屋さんで誂えたもの。光沢控えめの臙脂に可愛らしくもクラシカルなオーバル模様のタイはフランコ・バッシ(伊)、チーフは潔く白。『だいぶスウェードが剥げてきたね。ルチアーノも全く同じものを持っているよ。』と仰っていた“ベンティ・ヴェーニア仕様”フルブローグのスウェード靴は前回のノルベジェーゼと同時期のラッタンツィ。信濃屋さんでの別注が始まる以前のものですので前回に引き続きこちらも5アイレッツですね。私は以前“スウェードは剥げてきたくらいの頃が味が出て良い”と銀座天神山のIさんから伺っていたことがありました。でも、この“スウェードが剥げる”という意味があまりよくわからずイメージもできずにいたのですが、今回こうして具体的に理解することができました(笑)。


 
 少し閑話休題。白井さんの後ろでおどけたお姿で写っているのは信濃屋さんの女性スタッフのお一人で確かお名前はOさん(間違っていたらごめんなさい汗)。私が3年前信濃屋さんに初めて訪れた時、最初に受けた衝撃はまずその立派な門構え!。小心者の私はこれだけで脱兎の如く逃げ出しそうになりましたが、何度か前を行き来した後、意を決して入った私を待ち受けていた衝撃の第二波は、紳士フロアが地階にあって、そこへ辿り着くためには一階の婦人フロアを女性スタッフの皆さんに迎えていただきながら通らねばならない事実!(これ信濃屋さんをご存知の皆さんの中には結構共感される方も多いのでは笑)。初めの頃はこれが実に恥ずかしくて(今でもちょっと恥ずかしい)右手と右足が一緒に出てしまわないか確認しながら歩かねばならないほど。でも今ではいつも温かい笑顔で出迎えてくださる皆さんにお会いする度、私はそのいつも変らぬもてなしの姿勢にとても上質な癒しを感じます。ただし皆さん長年に渡って、来店するつわものの紳士諸兄を最初にチェックされてきた撫子方ですので油断は禁物。でもそんな心地好い緊張感を持たせてくれるのも信濃屋さんの老舗たるゆえんで、私の大いに好むところです。

 
 
 スーツ同様貫禄のポロコート姿はお馴染みのキャメル。3回目の登場ルチアーノ・バルベラですね。ソフト帽はジェームズ・ロック(英)のターンダウン(鍔の後ろが跳ね上がっていない型)、ステッキはヒッコリー、手袋は左のポケットにさりげなく差し込まれた手で隠れて見えませんが恐らくエルメスのペッカリーではなかったでしょうか。因みに白井さんはいつも左のポケットに手袋を入れています(右の時もあるかもですが汗)。今日のコートスタイルのポイントは、私の勝手な所見ですが、白井さんが『これはグログラン織りのようなものだね。』と仰るフランコ・バッシの臙脂の地に黄(特にこの黄色が素晴らしい色合いです)と紺であしらわれたクラシックなペイズリー柄がまことに素晴らしいシルクストール。以前ご紹介したチェスター・バリーのキャメルのアルスターコートが、紳士服雑誌上のインタビューで掲載されていた時に白井さんが巻いていたのがこのストール。つわもの紳士諸兄のお一人で、このブログにもお名前を出させていただいたW様が『僕も同じものが是非欲しい。』と羨ましがっていて、私もいつか現物を見たいと思っていた逸品を今日やっと拝見することができました。以前白井さんは『ポロコートの大本命はキャメル。合わせるマフラーはシルクがより良いね。』と仰っていましたが、今日はまさにポロコートスタイルの王道といえる着こなしではないでしょうか。

 また余談ですが、今日のシルクストールや、以前、天神山Iさんのお話で聞かせていただいていた白井さん所有のエルメスの大判シルクマフラーには、私も以前からずっと憧れていて、是非購入したい旨を白井さんにもお伝えしていました。ただ製作が難しい大判のシルクマフラーについては現在扱いが無く、私もならば仕方が無いと諦めていたのですが、後日、なんと幸運なことに白井さんが元町店で在庫があった中盤(といっても首に掛ければ膝まで届かんばかりで普通なら充分に“大判”です汗)のシルクマフラーを取り寄せ、『これはなかなか良い色だよ。これくらいの大きさの方が扱い易いよ。』と見立ててくださったのです。濃茶の地に赤と黄のペイズリー柄でこれもフランコ・バッシ。ただ最初見せていただいた時は、長いこと私の頭の中にあった白井さん所有のマフラー達のイメージとは若干違ったせいか正直『おお~まさにこれ!!』という感じにはならなかったのですが、白井さんがわざわざお取り寄せしてくれた品ですし、そこは迷わず購入を決めました。ところがこれが首にふわりと巻いてみると実に、本当に良い色で、広げて置いてある時とは印象ががらりと変りました!つまりなんだかんだで唯々白井さんの慧眼に恐れ入るばかりという結果になったのです。起毛系のマフラーと違い、巻いたとき少し冷やりとして柔らかい肌触りや、暖冬傾向の昨今には丁度良い暖かさ、そして着る人のお洒落度をぐんと上げる上品な佇まい。それら全ては巻いてみて初めて判るものでした。