恐らく、狩猟採取、漁労文化としては世界最先端を行った縄文文化なのであろうが、不思議なことに文字が無かったというのが定説のようだ(証明はされていないが)。また、日本は火山が多く火山灰が酸性なため、縄文時代の遺物はかなり限られている。恐らく美しい着物や木製品などあったのだろうが残念だ。
今日は文字について考えている。
古ヨーロッパ文字のことはまだよく判ってないので、将来書き改められるかもしれないが、文字は約5000年前のメソポタミア文明からはじまる(それ以前16000年前から縄文時代が始まるのだが)。そして、勿論、教科書でお馴染みのエジプト、インド、黄河文明のような文字を持った文明が続く。それなのに日本はずっと持ってないようだ。
文字があることで、複雑なシステム(法律、経済、戦争・・・)をつくることが可能となったようだ。その恩恵ははかりしれないようにも思う。私も、文字なしの世界など想像もつかない。こうしてブログを空気のように書いていたりする毎日が無くなるなんて。
しかし、実は今日は自己実現のことを考えていたのだが、自己実現は文字である程度表現できるかもしれないが、それより五感・体感と繋がりやすいイメージの方が大事かなと。話が発散するが、人生で大事な真善美。これについて、どのくらい文字が表現できるか。意外と限られているように私には思えてならない。意外と芸術の分野のが貢献できるのでは?
縄文時代には、芸術があった。美しい土偶や土器の文様。装飾性も凄かったようである。多分縄文時代の人は、そういうイメージをもって、厳しい時代を生き抜いてきたと思う。もちろん戦争などでは、文字をもつ文化のほうが優位だ。縄文末期は弥生系の文化と戦った可能性が高い。しかし、文字を持った文化と並行して、縄文時代の人たちは立派に生き抜いてきている事実があるのだ。このあたりは、もう少し研究しても良いと思う。
自分の自己実現を考えるとき、普通は文字をつかって表現することが多い。しかし、ちょっと縄文人を見習って、たまにはイメージで表現したらどうか。U先生の「生き甲斐の心理学」の3Vの法則も、イメージは大切な働きをしている。
縄文からの風⑤ 1/10