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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

文字は本当に必要なの?イメージの力を考える!(縄文からの風 ⑤ 1/10)

2015-02-23 | 第九章「愛」

 恐らく、狩猟採取、漁労文化としては世界最先端を行った縄文文化なのであろうが、不思議なことに文字が無かったというのが定説のようだ(証明はされていないが)。また、日本は火山が多く火山灰が酸性なため、縄文時代の遺物はかなり限られている。恐らく美しい着物や木製品などあったのだろうが残念だ。

 今日は文字について考えている。

 古ヨーロッパ文字のことはまだよく判ってないので、将来書き改められるかもしれないが、文字は約5000年前のメソポタミア文明からはじまる(それ以前16000年前から縄文時代が始まるのだが)。そして、勿論、教科書でお馴染みのエジプト、インド、黄河文明のような文字を持った文明が続く。それなのに日本はずっと持ってないようだ。

 文字があることで、複雑なシステム(法律、経済、戦争・・・)をつくることが可能となったようだ。その恩恵ははかりしれないようにも思う。私も、文字なしの世界など想像もつかない。こうしてブログを空気のように書いていたりする毎日が無くなるなんて。

 しかし、実は今日は自己実現のことを考えていたのだが、自己実現は文字である程度表現できるかもしれないが、それより五感・体感と繋がりやすいイメージの方が大事かなと。話が発散するが、人生で大事な真善美。これについて、どのくらい文字が表現できるか。意外と限られているように私には思えてならない。意外と芸術の分野のが貢献できるのでは?

 縄文時代には、芸術があった。美しい土偶や土器の文様。装飾性も凄かったようである。多分縄文時代の人は、そういうイメージをもって、厳しい時代を生き抜いてきたと思う。もちろん戦争などでは、文字をもつ文化のほうが優位だ。縄文末期は弥生系の文化と戦った可能性が高い。しかし、文字を持った文化と並行して、縄文時代の人たちは立派に生き抜いてきている事実があるのだ。このあたりは、もう少し研究しても良いと思う。

 自分の自己実現を考えるとき、普通は文字をつかって表現することが多い。しかし、ちょっと縄文人を見習って、たまにはイメージで表現したらどうか。U先生の「生き甲斐の心理学」の3Vの法則も、イメージは大切な働きをしている。

縄文からの風⑤ 1/10

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「和解と平和」のカギは傾聴でしょうね!(縄文からの風 ④ 10/10)

2015-02-22 | 第五章「和解と平和」

 縄文時代は、どう考えても弥生時代や奈良・・・もちろん現代と比べても和解と平和の時代だったように思う。そのノウハウは残念ながら伝わっていないが、「生き甲斐の心理学」を学んできた私にとっては、和解と平和が傾聴力と密接につながることが浮かんでくる。

 自分の経験で恐縮だが、傾聴は最低ちょっとした訓練を必要とするが(奥が深いので一生ものの訓練になるのだろうが)、それを知っているのと知らないのでは雲殿の差がでる。泳ぎも身を助けるが、傾聴も身を助けると私は思う。

 実際、今振り返っても傾聴のいろはで救われた経験をした。本当に役に立つ知恵だ。

 今日は、具体的に傾聴を次のような例で、ご紹介したい。

 私は、幸か不幸か30年くらい前から胃カメラ検査を何回かした。最近は管も細くなり、しかも傾聴的なのだろうか検査技術も格段よくなったように思う。一番初めに検査したときは、モニターなしで今何をしているかも把握することもできず。自分が単なる物体と化して検査をされた。検査途中も、先生が、「あれヘンだ」とかぼそりと言われ無言で生体検査をされたりも。こんな時はいよいよダメかなど緊張し、さらに検査が終わってからも後味が悪く、結果が判るまで真っ青だった。

 それが、今は気の利いた先生は検査のときは、リラックスできるように冗談の一つも言われ、何をするかも丁寧に説明され、しかも看護師さんに手を握ってもらったり。検査中もいろいろ声をかけて頂いたり快適だ。生体検査をするときも、ちゃんと丁寧に説明して、後で寝られなくなるようなことを言わない・・・

 この雰囲気の違いは傾聴を考えるときにとても参考になる。まあ、相手に対する暖かい想いがあり、それをきちっと表明するという基本が似ている。

 一言こちらが言うと、上から目線でとうとうと説教されたり、実に理詰めに責められたりでは、こちらも何も言えなくなる。言えないだけでなく、思考も閉じてしまい、良いアイデアなども全く浮かばない。

 ところが、傾聴が上手であれば、何を言っても親身に聴いてくれ、しかも暖かいこころでの話はうきうきするようで、自分のこんがらがった頭が終わりのころには整理整頓、時には実にすばらしアイデアが湧苦経験も。

 縄文時代も今より生活の中に様々な危険があり、ちょっと間違えば怪我をしたり亡くなったりするリスクは高かっただろう。その中にあっても、せかせか緊張するのではなく、リラックスして傾聴。これはちょっとヘンに感じるが、実に理にかなっている。縄文時代にはきっとそんな傾聴があったと思うのだが・・・

縄文からの風④ 10/10

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命を大事にしているだろうか?(縄文からの風 ④ 9/10)

2015-02-21 | 第五章「和解と平和」

 今の時代は犬や猫、動物をどこまで大事にしているのだろうか?そんなことを、今日は考えている。例えば5000年後に考古学者は今の時代をどう判断するのだろうか?

 犬は、一番先に家畜化された動物と言われる。いろいろな説があるが、ネアンデルタール人が生きていた3万年前ごろにも家畜化されたという学説もあるらしい。

 日本では縄文時代から家畜化され、人間のよき存在であったことは確実なようだ。縄文時代は犬の墓まで存在し、家族の一員として大事にされていたらしい。先日述べたが、障害を持った人に対しても実に大切に扱った時代だった。

 弥生時代は、一転して犬は食べられることが多かったようだ。そして、人に対しても戦争等厳しい時代だったようだ。

 有史時代になっても、いろいろあった。どちらかというと弥生時代に近く、あるいはそれ以上に犬にとっては厳しい時代だったようだ。

 これらは、環境考古学の知見のようであるが、何となく判る。動物と人との在り方は、人間社会の投影といったことがあるように思う。今の時代は将来の考古学者はどう判断するだろうか?

 そして、時代というような抽象的な言葉を使うより、自分はどうなのか素朴に考えてみる。春の、復活祭や花祭りの前のこの季節は原点に戻って考える大事な季節だと思う。

縄文からの風④ 9/10

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忘れな草をみると思いだす!(縄文からの風④ 8/10)

2015-02-20 | 第二章「五感と体感」

 今朝のマッサンは、エリーさんがスパイ容疑で逮捕されるが、素晴らしい異議申し立ての発言に涙がでた。

 最近の遺伝子研究の成果で日本人が単一民族ではなく、世界まれにみる多様性のある民族であることが定説になり、また、5-6万年さかのぼれば、現世人類はみな兄弟というような学説も信憑性を増している。かつての人種差別の理論的基盤は殆ど無くなっているように感じるが如何なものだろうか。

 しかし、エリーさんの悲劇には到底及ばないが、この自分にもちょっとした被差別の経験がある。

 7歳の時に両親と共にやく1年アラスカ南西部のシトカというところで暮らしたが、戦後間もないころの米国は公民権運動の前であり、酷くはないものの微妙な人種差別はあったようだ。もちろん、偏見を持たない人も沢山いて、今考えると概して楽しく貴重な経験だったが。

 さて、アラスカには、先住民がすんでいて、日本人の肌の色に似ていて親しみを感じたものだ。そして、食べるものも日本人の食する生のいくらだったか?を売りに来る人もいて、父はネイティブ(ハイダ族、クリンギット族)は日本から黒潮に乗って流された人たちではないかと言っていた(最近の学説もベーリング海陸橋説だけでなくなったようだが)。

 南西アラスカは黒潮の影響で温暖で雨が多く、そして、海や川や山の幸が満載だった。私も父に連れられて釣りにいったりしたが、釣り針にろくな餌をつけないでもどんどん釣れたし、時には巨大なヒラメ?が食いついたりした(惜しくも?逃がした)。そういえば、最近の環境考古学の発達のせいで、縄文時代にどんな魚を食べたりしていたかの研究も進んでいるようだが、私の経験するアラスカに似て、巨大な真鯛とかを普段食していたようである。そして、こうしたハイダ族の文化では、ポトラッチなど、現代人が考えられない不思議な富の分配方法もあったようだ。

 縄文文化と北米のネイティブの文化(特に西海岸のハイダ族など)は最近よく比較研究されているようである。三内丸山遺跡が500人を越える村だったこともあり、そのリファレンスに使われているようだ。私の過去の意図しない経験が、今縄文と関わりを持つ。これも実に不思議だ。

 7歳の時に行ったアラスカ。その思い出はその前後の思い出と比べて実に深く大きい。それは、私の五感を実に刺激し、人生を左右するような原体験も含まれているようだ。五感は単なるセンサーではなく、もっと深く魂の世界にも繋がっているのではないか・・・そんなことを今日も元気で妄想している。

写真はアラスカの洲花でもある忘れな草。私はアラスカを忘れない。

縄文からの風④ 8/10

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縄文という視点を持ってると退屈する暇がない!(縄文からの風 ④7/10)

2015-02-19 | 第一章「意識と知覚」

 最近、縄文オジサンと呼ばれたりするが、かなりのめり込んでいる。そして、冗談ではなく縄文時代を背景にした歴史小説を試作してみようかと。。。

 そんな風になってしまうと、何となく眼付がおかしくなり、普通の景色をみても5000年前とかの世界がちらつく(笑)。この道路は縄文海進のときは河のそこだったのだろうか・・・とか。この川(小さな川でも)は何処から何処に流れていくのか・・・とか。縄文時代の交通手段としては、舟が発掘されているので、やはり川と海が移動のポイントだと思っている。

 そんなことで、近くの川を変な眼で観る。今日の発見(よくぞ還暦すぎまで知らないで生きていたねといわれるかもしれないが)は、山中湖が水源で、相模川になり相模湾に流入していること(いったん北上して南下するのを地図で見て驚いた)。諏訪湖が天竜川と繋がっていること。

 それから、こんなこともある。内陸部で縄文時代は塩をどのように入手したのか。もちろん海からという考えもあるが、ネットで調べると山塩というものが今でもあり、温泉から塩分を抽出し味が良いということで販売したりしている。温泉考古学でも研究されているようだが、まずは研究より味わいたい!

 富士吉田市の火祭りも、単に昔からの奇祭ね・・・で済ませず、諏訪神社との関係とかいろいろ気になることを調べたりする。縄文時代の文化は、どうも記紀から意図的に排除されたようで、多分文字のなかった縄文文化の多くは普通に記録されることなく闇の中に・・・。しかし、研究者はいろいろあの手この手で炙り出そうとしていて大変なだけに楽しみである。

 同じ場所を見たり、通過したり・・・そんな時は記憶にも残らないことが多い。ただ、時間を変えて視点を変えると物事は全く違ってみえてくるものだ!

*写真は勝坂遺跡公園の竪穴住居。

縄文からの風④ 6/10

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