縄文時代の文化は土器や土偶だけではなく、美しい着物や木製品もある美しい文化だったと想像しているのだが、発掘現場からは殆どが朽ちてしまい、土器など残りやすいものが残っているようだ。
そして、昨日の中里貝塚の時代(縄文中期中葉から後期)の土器や土偶も関東や信州方面などで沢山見つかっている。写真は先日行った府中市郷土の森博物館の土偶である。土偶は通常は頭部、胴体、手足などがバラバラになって発見される。これは植物の年ごとの再生という世界共通と言ってよい神話と関係をもっているようだ。
日本書紀、古事記にはイザナキの冥界くだりの話がある。私にとっては日本神話の中で一番心に残るイチオシの神話だ。あらすじは、火の神カグツチを産むことでイザナミ(女神)が冥界に行く(死ぬ)。そして、冥界でその食物を食べてしまい冥界の住人になってしまう。一方妻の死を嘆いたイザナキ(男神)が冥界に妻を奪還しに行く。しかし、妻との約束をやぶり妻を見てしまったために、妻の怒りに触れ妻(イザナミ)に追われるはめに。杖を投げたり、御帯を解いたりして無事逃げ帰り(呪力の行使なのだろう)死者の国との境に千引の石を置く。そこでイザナミとイザナギが死する人の数と産まれる人の数を決め、無事和解にこぎ着ける。農耕に関わる四季の話にも関係するようにも読み解ける。
この話に酷似する話に、メソポタミアのイシュタルの冥界くだりがある。男女が入れ替わり、男神タンムーズをイシュタルが連れ戻す話なのだ。呪力の行使も7つの門のメの話に通じるようだ。そして、この話はギリシャ神話にも変容しつつも受け継がれている。
(参考:「ギルガメッシュ叙事詩 付 イシュタルの冥界くだり」 矢島文雄著 ちくま学芸文庫
「最古の宗教」 ジャン・ボテロ著 りぶらりあ選書/法政大学出版局)
冥界くだりの話の外にも、巨大な女神の死体から宇宙をつくるという神話もある。当然メソポタミアにも日本にも・・・
私は、遺伝子人類学の知見から、5-6万年前には私たちの祖先は一つの言語、一つの宗教でいっしょに暮らしていたという仮説をもっている。一見ばらばらで違うように見える、日本、中国、メソポタミア、西アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの宗教も古層には同じ原型があるのではないか。例えば、地母神崇拝は、世界の遺跡でも古くなれば古くなるほど、土偶等から盛んだったように類推される。
今の時代は、和解と平和に苦しむ世界である。そんな中、温故知新で縄文(10000年以上戦争の無かった社会)や世界の新石器文化(これまた戦争が無かった旧石器時代を引き継ぐ)を学ぶことは大事な気がする。そして、これは社会の問題だけでなく、個人の愛とゆるしの世界にも通じるとも思う。
縄文からの風③ 7/10