マッサンも、戦時下の中生きるのは大変そうだ。私たちの住んでいる日本も、これからどうなるか不安でもある。しかし、温故知新で縄文時代を考えると、海進が進んだ縄文中期から厳しい時代が、つまり右肩下がりの時代が数千年続くようだ。そのため、人口も激減する。しかし、こうした状況下で祖先はこれに耐えて、私たちに命のバトンをつないでくれたのである。
何故、それができたのだろうか?おそらく愛の原型とか、生きる上でのイメージづくりが上手だったのではないかと思う。
さて、昨日から論文もあるが、自分の生育史と対話をしている。生育史は過去のもので考えても変わらない。そんな風に昔は思っていたふしがあった。たしかに事実というか、変わらないものも多い。しかし、生育史はその都度、その時点で自分で解釈をして記憶されるようだ。4歳の時のあることは4歳の時の自分が解釈して記憶される。4歳の時のあることを60歳の自分が再度解釈しなおすということは、意識しないとしないだろう。
しかし、再解釈は人生を豊かにする上でとても大事だと思う。縄文人の祖先も、ひょっとすると生育史や伝説や神話をいろいろ解釈しつづけ、それが生きるエネルギーになっていたのかもしれないと思う。
縄文オジサンのわたしではあるが、昨日はもう十年以上前に亡くなった現代詩の作家 吉原幸子さんの詩を読み感動していた。
ここには、生育史(幼年時代もそうだ)を宝にするポイントが魂の叫びのように伝わってくる。その一部を引用させていだく。
幼年連禱三
Ⅰ喪失ではなく
大きくなって
小さかったことのいみを知ったとき
わたしは”えうねん”を
ふたたび もった
こんどこそ ほんとうに
はじめて もった
・・・・・
吉原幸子詩集 現代詩文庫56 思潮社 31ページより
勿論、嫌なできごとの詰まったある時期の生育史は触れるのも嫌な時がある。それはそれで触れないのも大切。しかし、時期というものもある。ある日、そのころを思い出し、その意味を考える。意外な発見もあるようだ。当時はわからなかった世界が見えて心が豊かになることも。
縄文からの風⑤ 1/10