イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

霧が晴れて眺望がひらけるとき!(魂で感じる ① 6/10)

2014-11-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

 このところの晴天続きで富士山を堪能する毎日である。ちょうど数日前に諏訪方面に行き、霧や雨の中で諏訪湖をちょっと眺めたりしたものだが、実に対称的だ。縄文時代は、この富士山から諏訪湖までは富士眉月弧文化圏として一つの文化圏を形作っていた。陰の諏訪湖と陽の富士山。何かイザナミ(女神)を追って黄泉の国を探索してきたあとのイザナギ(男神)のような感じ?かもしれない。

 この写真は昨日、八王子で勉強会を終えて、帰り際に大栗川周辺から撮った富士山である。このところ愛宕神社裏山ばかり行っていたが、大栗川(多摩川の上流)と富士は実に似合う。そして、思うのだが、川は海に通じる。私の例えば約200代前の縄文中期の祖先は、日本の人口が40万人くらいとも言われているが、山の方に住んでいた祖先もいるが、海を生活の糧としていた祖先もいただろう。

 昨日は、市ヶ谷加賀町2丁目遺跡の動画をたまたま見つけて拝見することができたが、実に3000年~4000年前の人骨から得られた奇跡的な情報が得られたようだ。何を食べていたかも類推でき、海産物を食べている人もいたことが判る。また12号個体が大陸のバイカル湖周辺からやってきたことも判ったり(たぶんミトコンドリアからC1とかC3が検出できたのだろう)、イルカの副葬品などもありビックリした。東を向いて遺体が埋葬されたとのことから、太陽を意識した宗教だったのかもしれない。

 また、黒潮を母として暮らしている縄文人も凄い文化を残しているので、海に近いところに住んでいた縄文人の話から、そちらへの興味がますます湧いてきた。縄文の舟はいくつか見つかっているが、まだ観たことがない。来週に上野の博物館に再訪する際にも、是非寄ってみてみたい(飛鳥山だったか?)。私の父系の祖先は瀬戸内海の海民だったようなので興味深々!

 さて、今日の「マッサン」、幸子さんがお母さんに「お母さん」と呼べた感動のシーン。思わず涙が出てしまった。幸子さんのもつジレンマというか不安、新しいお母さんに「お母さん」というと、亡くなったお母さんが悲しむーという考えが、亡くなったお母さんも喜ぶに変わることで解消されたようだ。昨日の八王子勉強会でも、こうしたストレス曲線を幸福曲線に変える勉強をフォーカシングを使ってやった。

 悩みの解消の過程では、まずは感情の把握が実に重要だ。それが、こうした社会に生きていると意外にできない。ドラマの幸子さんのお父さんのように、問題を抽象的に考えてしまい、幸子さんの感情を問題解決の原点にするなど考えもしない。私も、かつてはそうだったように思う。この臨床心理学的な知見は重要なので学校教育や職場でも教えればいいのにと思うが。

 昨日の勉強会では、感情を表す言葉をいろいろ思索した。意外にヤマト言葉や擬音語・擬態語をつかうとなまなましい感情表現ができることも確認できた。

 感情をまずはしっかりと把握し実感し、その意味(臨床心理学的には、背景の理想と現実を思索したりするが)を考える。そして、感情の背景の考え方を自分で変えることができたとき、感情は劇的に明るく変化するものだ。不安は平安。怒りは友好的感情。身体症状は健康感。ウツは幸福感。錯乱は統御感。・・・

 私の、縄文の旅も霧が晴れて綺麗な富士山が見えたように、お蔭様で何かが変わる旅だったようだ。しかし、生ななましい動画の縄文の祖先。復元された顔は、どこかで見かけたような顔。きっと、私たちと同じように感情生活を送ったのだろう。霧のような不安感が、突然晴れて富士山が観えるような体験もあっただろう。

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魂で感じる ③ 6/10

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体験の解釈が世界を変える!(魂で感じる ① 5/10)

2014-11-14 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今日の「マッサン」エリーさんが優しく幸子さんと接する様子に感動。幸子さんのこころの深層を理解し、優しい言葉かけをするのはカウンセラーのよう・・・ちょっと体験の解釈を変えることで、ストレス(理想と現実のギャップ)が幸福曲線に移行し、世界が激変する。もう少しで、幸子さんの問題もクリアしていくのだろう。

 私も、小学校1年のときに、友達が交通事故死をした苦い経験があったが、エリーさんのような方?がいなかったので、幸子さんが写真を焼こうとしたように、その思い出をどこかで抑圧し、後をひいてしまった経験があった。今日のドラマにあるように、優しく接してくれる暮らしのカウンセラーのような人がいれば随分ちがったろう。しかし、そのために、心理学の学びを深めたという大きなプラス面があったが。

 さて、今日は小学校1年のときの苦い思い出の地のそば、最近亡くなられた赤瀬川原平さんが名づけた四ツ谷階段のことを思い出していた。赤瀬川原平さんの死を知ったのは、先日の守矢資料館に行った時で、その建物が藤森照信さんの設計であり赤瀬川原平とも関係の深かったということを教えていただいたからだ。

 赤瀬川原平さんの「老人力」はベストセラーで素晴らしかったが、一番最初に知ったのは名著「トマソン」で、その冒頭に四ツ谷階段の写真があった。この四ツ谷階段は私が幼稚園、小学校のころ何度も登ったり下りたりした思い出深い階段だ。登ったり下りたりすることで無用というより、子供の健康に一役かっていたのだ。

 これは祥平館という旅館の階段であったが、この旅館にはよく野球の広島カーブが宿泊していた。昭和初期を知っている母によると、以前歯医者さんがあって、その時にできた玄関だそうだが、旅館となってから玄関位置が変わり、このような超芸術(無用の長物)となったようだ。残念ながら、今はこの四ツ谷階段は撤去されてなくなってしまった。

    

 しかし、無用の長物と殆どの人には観えるものも、赤瀬川原平さんの手で超芸術とされ、多くの人が嬉々として眺めたりするようになる。

 体験の解釈が世界を変えるはホントだと思う。

 今日も快晴。美しい富士が観える。大栗川で写真を撮ろうか?

魂で感じる ③ 5/10

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相手の感情を理解すると違ってくる!(魂で感じる ① 4/10)

2014-11-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

今日の「マッサン」は、幸子さんのお父さんの迷走というか、娘への理解のちぐはぐさがテーマだったようだ。

U先生の「生き甲斐の心理学」で学ぶのだが、人を理解するときに感情を理解することの大切さである。私も陥りやすいが、自ら作った基準に照らして人を理知的に判断すると、とかく何かちぐはぐな対応になりがちなのだ。まず、相手の感情、悲しんでいるのか、どんな感情なのか・・・・そして、それを因数分解のように理想と現実のギャップまで分解してみると何かが観えてくる。そんな感情理解のプロセスが大事なようだ。

 さて、今日は富士山と月のツーショットの写真を撮った。確か10月の十三夜が今年は名月であったが、雲に隠れて良く見えなかったが、その時、何故十三夜の月が名月とされているのか不思議だった。それから、満月を経過して昨晩、久しぶりに夜更けに登っていく月を観たのだ。風流に宵月というらしい。

 ところで縄文の勉強をしていたら、日本の古層の月の愛で方は十五夜ではなく十三夜だったそうで驚いた。十五夜は中国から入った習慣だそうで、十三夜が古来の日本の習慣だったらしい。ちょうど正月に小正月があり、小正月が古層になるように。

 十五夜の満月は景気が良くて愛でるのもわかるが、何故十三夜を縄文の人々は愛でたのだろうか。いろいろな解釈がありそうだが、私は最近カメラで十五夜をよく撮ったりして気づくのだが、肉眼では観にくいが十五夜お月さんも、よく見ると、欠けつつあったり満ちていく満月もあるのだ。本当の満月はある一瞬にすぎないので当たり前だが、確かに観る場合に感情は微妙だ。

 そして、思うのだが縄文の人々の視力や五感は今より遥かに研ぎ澄まされていたということもあるかもしれない。そして、その感受性は欠けつつある満月の不吉さを感じたかもしれない。それ故、まだ満ちるに余裕のある十三夜のお月さんが選ばれた・・・そんな想像もなりたつのではないか。

 月と、それを観るひとの感受性は様々、生育史にまで遡ったりするのだろう。そして、人の理解の鍵はやはり感情なのだろう。

魂で感じる ① 4/10

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魂で感じる縄文の旅3/3!(魂で感じる① 3/10)

2014-11-12 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今日の 「マッサン」も、ウィスキー造りからちょっと遠のいて迷走するマッサンを描いていた。ついにパン作りになるのだろうか?しかし、自分の胸に手をあててみると決して笑えない。U先生の「生き甲斐の心理学」に出会い、臨床心理学をいろいろ学んだが、自分の悔いのない人生を選ぶ過程は今のマッサンにとても似ている。心の防衛機制(抑圧、抑制、逃避、感情転移、…等14くらい)があることもあり、意外に自分の道は自分でも見つけにくい。大事な自分のミッションともいえる仕事や配偶者の選択でも。

 自分のことで恐縮だが、人生の後半戦の今、前半戦の試行錯誤で得た柱は感じるものの、やはり防衛機制もあり、自分の道は実に暗中模索のところがある。特に私の場合、生育史の関係もあり、これで良いのか?という疑惑感が心の基調にあるようで、今回の杖突峠で濃霧が日常の中でよく顔をだすように感じる。しかし、そんな私であっても、不思議な出会いや周りの方々のお蔭で、いつの間にか今に到達した。そして、前にもお話したが、何となく日本文化の中で違和感を感じる自分を振り返る旅に出たのだ。

 今回の旅は、井戸尻遺跡などの縄文中期(今から5000年くらい前)ごろを意識した旅であった。一世代25歳とすると、200代前である。200代というとピンとこないが、祖先の数は理論的には2の階乗で数えられるので(両親は2、祖父母は2X2=4、曽祖父は2X2X2=8・・・)計算すると、33世代前で現在の世界人口の72億人を越えてしまう。825年くらいでだ。当然、当時の日本の人口は今よりずっと少ないので、祖父母が重なるなどしていたことが判るが、自分の祖先は古い時代ほど、より時代そのもののように関わり、しかも、どんな時代の瞬間にも祖先は生き続けていることに気付く。

 それにしても200代というのは、その時代に生きていた祖父母たちが自分の血と繋がる可能性は高いこともあり、そのゆかりの地は身内の地のように感じてならない。もちろん、血のつながりだけでなく、それに関わる多くの人たちの働きのことまで考えると、自分の今も実に不思議に想える。

 さまざまな不思議な関わりの中で、自分の悔いのない道を探していく、マッサンのように、いろいろ暗中模索をして他者からはへんに思われることもあると思うが、他者に支えられ、そして結局は自分で選ぶ道だが、なんとなく自分の方向を見出してくる。そんなことかな。

 さて、旅の二日目を追っていきましょう。

 二日目は、前日の晩に読んでいた、田中基さんの「縄文のメドゥーサ」の影響もあり、諏訪大社の特に上社にも関わりがあると思われるいくつかの地を訪問しました。あいにく雨と霧でしたが、これも不思議なもので自分にとっては良い経験になったかもしれません(やせ我慢?)。

 早朝は、蓼科の自由農園で、東京ではあまり買えない信州の野菜やおやきなどの買い物。食材は豊富で、様々なマメ類、根菜類、そば、イナゴやハチの子など、イノシシやシカの肉まで。縄文時代からの文化は今でも息づいているようだった。

 そして、前日に探してもわからなかった阿久遺跡を探し当て、その見物を。遺跡のある原村はペンションや別荘で有名なリゾート地のようだが、縄文時代の遺跡が集中する場所でもある。縄文遺跡のあるところは住みやすいという知恵は確かかも。

 阿久(あきゅう)遺跡は縄文前期(5,6千年前)の大規模な環状配石(ストーンサークル)等の遺跡で、大規模な祭儀が行われたようで、縄文時代のイメージを完全に覆すような発見だったようだ。諏訪大社の古層の神とのつながりを考える研究者もいて、今とつながる縄文時代を考えるには最高の遺跡かもしれない。

 また、阿久遺跡は縄文前期の遺跡であり、日本で有名な大湯遺跡を含めストーンサークル遺跡で最古の一つであり、規模も大きく驚きです。ちなみにイギリスやスペインのストーンサークルと比べてもひけをとらないようです。

 場所は、中央道の原PAのごく近くで阿久川と大早川に挟まれた丘陵。中央に直径約100mの環状配石群があるそうですが、現在は埋め戻され、今後公園化も考えられているそうですが、現在は不思議な動物の彫刻などが、何となく雰囲気を出していますが普段は人気もない場所のようだ。

  

   

  

  

短い動画も撮りました、どうぞ! https://www.youtube.com/watch?v=rvZTXaDkWmQ&index=1&list=UUmPicDdA_iDtdKvWleSoREQ

 雨が降り、遠くの山々は雲に覆われてしまっていたが、誰もいない遺跡に佇んでいると、とても穏やかな気分になってくる。7歳の時にアラスカに約1年住んだことがあるが、その時に家の近くの公園のトーテムポールの前に佇んでいたことを思い出す。カラスとか動物が掘られたポールの前に一人立っていると何か心が穏やかになってくる。そんな原型と繋がったようだ。雨の中で不思議な時間を経験することで、ふと何か悲しみが湧き起こってきた。「もののあわれ」を味わったようで、自分の防衛機制がいくつか外れ、こころの奥の何かが顔を出したのかもしれない。

 皆様もお時間があれば、一度訪れたらと思う。場所は判りにくいが、中央道の原PAをめざし、見つけたら、PAを諏訪方面に数百メートル中央道沿いに行く阿久遺跡だ。こんもりとした林と立て看板が目印だ。

 そのあと、やはり聖地でもある諏訪湖の近くの杖突峠に国道152号線で登った。生憎の霧で何も見えず、蕎麦屋さんの展望説明写真で景色を妄想しただけであった。今回の旅は、日本の東西を文化的にも寸断するフォッサマグナ(中央地溝帯)と日本の背骨ともいわれる、中央構造線(メディアムライン)が交差する特異なところで、地政学的にも重要な場所だ。そして、その特異点が杖突峠あたりで、そこに立つと何かが判るかとも思いやってきたのだ。

 しかし、車で楽に登ったのがいけなかったのか、景色を眺望できなかったのは残念。今度は心を入れ替えて、今まで、大和三山、三輪山、二上山と徒歩で登ったように、気持ちを新たにして杖突峠や守屋山に挑む必要があるようだ!

  

 次に、諏訪市博物館に行った。博物館は上社本宮のそばで、阿久遺跡からも車で20分程度であった。御柱祭のビデオをはじめ湖の海底の縄文遺跡の展示など興味ある展示が行われていた。当日は宮大工さんの講演があったが、時間の都合で聴けなかったのが残念だった。しかし、諏訪の御柱祭を理解することで、夏から訪問してきた諏訪大社、霧ヶ峰や八島湿原、茅野市の遺跡群が繋がってきて嬉しかった。前の晩に「縄文のメドゥーサ」を読切ったこともよかったようだ。

 そして、上社本宮と前宮の間にある茅野市神長守矢資料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)に寄った。入場料100円で、素晴らしい建築(藤森照信氏)も見学できるし、諏訪大社の古層の神であるミシャクチを祀る社、社叢が見物できる(ご神体は守矢山)。ここで、館の方に実に詳しく説明をいただき、雨の中で訪問したことを感謝した(人が多ければ、こんな説明も受けられなかったろう)。因みに、この館に日ユ同祖論を信じて見学にくる人の雑談も聴かせてもらった。旧約聖書のモリヤやイサクの話が御頭祭などの不思議な神事と繋がるということで、私もかつて何冊か興味深く読んだことがある論である。まあ、私は最近の遺伝子人類学で、5-6万年前は現生人類は全てアフリカに居たという単元説が定説になったこともあり、興味はあるものの、以前ほど関心がなくなってしまった。

 我々の祖先である縄文の人が作った土器の図像が、その同時代で世界的に観てもかなり似通っており、もともと5-6万年前の宗教が土台にあったのか、不便な時代とはいえ交易等で相互の文化交流があり宗教が似通ったのだろう。次の写真は井戸尻考古館で観たものだが、それを雄弁に物語っており私は感動してしまった。日本の古層(少なくとも5,6千年前)は世界的にみれば殆ど同じ、月の文化(死と再生)の文化だったのだ。

 

 さて、守矢記念館での写真をいくつか・・・

 

    信玄の必勝祈願をした場所

    ミシャクチ社

 鹿の頭蓋骨が捧げられていました

 ミシャグチ者から記念館を望む

   写真ではちょっと異様な建物に観えますが、現代建築としても有名です。

    今でも祭りで・・・

日本人は米作の文化もあるが、狩猟採集、漁労・・・いろいろな文化の集合体であることに気付かされる。

最後に、守矢資料館で日本の古層を実感したあとで、諏訪湖畔にある片倉館に寄った。十年前に一度寄った温泉であったが、最近知人に教えられたこともあり再訪した。何か誤解をしていたようで、昔の工場を改築したような印象をもっていたが、昭和3年に建設された浴場で外国での地域福祉の現状を視察旅行でしった片倉氏が、地域福祉を目的に作った浴場だった。湯船は勿論腰かけるところもあるが、110cmと深く、温泉を堪能するには最適であった。感謝・感謝!

今回の旅、アースフィーリングを感じたり、本をむさぼり読んだり、いろいろしたが、縄文文化の理解を深めることで、自分自身への変な不安感、私の信仰は日本人としてちょっとヘンではないか?に一つの回答・解決を与えてくれたようだ。勿論、エリアーデの宗教学や縄文文化などの歴史をより知ることへの好奇心はますます旺盛である。

魂で感じる ③ 3/10

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魂で感じる縄文の旅2/3!(魂で感じる① 2/10)

2014-11-11 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今日の「マッサン」は実母を亡くして、継母になつけない幸子さんをエリーさんが心のケアする話で考えさせられた。特に、エリーさんも自分の生育史を思い出したりしケアする側の自分の生育史理解の大切さも考えさせられた。

 先日の諏訪方面の小旅行も、私にとっては生育史を大事にする旅だったなと改めて思った。縄文への興味ということが一番だったが、実は信州の蓼科には小学校のころよく泊りがけの旅行をした思い出の地で、それが深いところで旅を思い立った原動力になっているかもしれない。もう40年くらい前だが母の親友が蓼科に別荘を持っていたこともあり、誘われて私も毎年のように行ったことがあったのだ。当時は縄文など全く興味がなく、親湯の温泉プールで泳いだり、民家で少人数でカトリックのミサにあずかったり、焼き物を焼いたり、車山などに登ったりの楽しい思い出だ。

 しかし、今考えると、豊かな森や湖のある自然は7歳の時に一年住んだアラスカにどこか似ていて、ふしぎと落ち着くところがあったようにも思う。諏訪に近い信州の地には、何か不思議な世界が息づいている。そんな感覚を、今回の旅行で実感した(脳の錯覚かもしれないが)。

懐かしい土地に行き、そこで、今まで意識したこともない生育史の意味に新たな光を当てる。そんな楽しみが、今回の旅行にもあったようだ。

 それでは、旅の初日から振り返ってみよう。

    

中央高速の釈迦堂PAは、釈迦堂遺跡博物館にPAで見学できる不思議なスポットである。しかも、ここは縄文時代の土偶が、あの三内丸山遺跡に匹敵するほど発掘された有名な場所である。今回は開館前に到着したこともあり、入館する前に併設されている縄文公園で実際の遺跡を楽しんだ。

    

縄文遺跡は、だいたい縄文海進の関係もあり、普通風光明媚で今でも住みやすい(高級住宅地)場所にあることが多い。この博物館のある場所も、扇状地を上から見渡せる、実にすばらしいスポットにある。しかも、PAは混雑の極みであっても、若干登って行く高台にあるためか人が少なく縄文を静かに五感で体感するには絶好。

館内は、土偶や土器など実に豊富であり、素晴らしいの一言である。しかし、余りに情報が沢山あるので、その良さを味わうためには、事前に縄文関係の本を少しは読んだりして、勉強していくと目からウロコ。感動が格段に違う。今、上野で国宝展があり、今後6つの素晴らしい国宝の土偶が展示されるが、ご興味が湧いたら、ここの土偶等も一式で国の重要文化財になっているので、是非ご覧になったらと思う。

 沢山の土偶

 大英博物館で展示された土偶も

 可愛い女神の顔の裏は、この時代の常で恐ろしい顔が!死と再生の祭儀で使われたのだろうか?

 当時の信じられないような国内の交易を知る資料も

 重要文化財の水煙文土器 

 縄文の女性の髪形や装飾品。律令制になってから禁じられてきた女性の装飾は、着物文化に昇華されたりし、さらに明治以降は開放されて、世界有数のデザインや宝飾文化にいたったようでもあります。

 

次に、長野県に入り、小淵沢ICを下りて井戸尻歴史館に寄った。館の庭には、当時の岩石なども展示されていたが、興味を引いたのは向原配石遺跡で、ちょうど先日、多摩境の田端遺跡を見学したこともあり、楽しませていただいた。この見学で、阿久遺跡にもよりたくなった。

  

  

  

   

   

   縄文の竪穴住居の内部展示、素晴らしい!有孔鍔付土器(酒を保存)もリアルに再現!

 

公園では、実際の縄文住居跡でのんびり座って、縄文のアースフィーリングを楽しんだが、何とも豊かに気持ちになった。残念ながら富士山は観えなかったが遥かに八ヶ岳等が望めた。

館内は、ビデオがあり、初めての人にも親切で判りやすい展示。尖石歴史博物館のようにお金をかけたメジャーな展示ではないが、私にとって興味の尽きぬ場所であった。尚、次の動画は、YouTubeに公開されている井戸尻考古館の動画で、とても参考になる、時間があれば是非ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=eYl2YNnigYM

次に、縄文遺跡の多い原村を通り尖石遺跡へ。今回は、館内展示は観ず(前回に寄った)、尖石史跡公園を散策した。因みに国宝の縄文ビーナスと仮面の女神は上野の博物館の国宝展に展示されているようだ。

さて尖石縄文考古館は、小学生のころ、バスで茅野駅から知人の別荘に行く途中にあったように思う。うっすらとした記憶で、定かでないが設立が1955年なのでそうかもしれない。しかし、そんな殆ど意識に登らない場所に年をとってから興味を持つなどふしぎだ。

  尖石遺跡の広大なスペース。住居跡が沢山!

   尖石の先端は縄文時代に磨石として使われたとか、いろいろな説があるが、今でも大事にされ、信仰の対象にもなっている。

    

何気ない縄文の竪穴式住居の復元であるが、貧しい住居というかつてのイメージは遠ざかり今に通じる技術も感じる。床暖で、煙で燻製をつくったり防虫効果も・・・当時であっても優れた住環境であったと今では思っている。

そして、尖石縄文遺跡公園を去ってから近くの縄文の湯でゆったりと地元の方に混じって温泉を楽しみ、それから、懐かしい蓼科高原のそばの宿で寛がせていただいた。

母の親友で蓼科を知るきっかけを作ったBさんは、何年か前に既に亡くなってしまったが、縄文の死と再生の文化が今も息づく信州の地で寛いでいると、不思議に優しく声をかけてくれるようだった。

 

明日につづく。

魂で感じる ③ 2/10

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