イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「しょんぼり」から脱失する方法!(時の旅③ 7/10)

2013-10-26 | 第七章「光と復活体」

 心に傷を負うと(原因が無意識の領域で自覚されないときなど・・)、人は愛の孤独を感じ、しょんぼりしてきます。そして、ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)に走り出すものです。こんな時に、ちょっとへんと気づくだけでも良いですが、さらに生き甲斐の心理学の知識で、急回復(幸福曲線へ)ということも。

 「しょんぼり」している時、親しい人に声をかけ自分の心の「ココ」に触れてと、求愛?するのがポイント。人それぞれ心の「ココ」は違うようですが、優しい眼差しだったり、ちょっとした冗談だったり、・・・そんな何か自分の愛の原型に触れてもらうことだけで、「しょんぼり」が一気に幸福曲線になることも。

 自問自答でへんな不安から逃げるとか昨日のシャガールのブログも、しょんぼり解決に役立ちますが、この心の「ココ」を触って!という知恵も大事です。日本の文化か、なかなか求愛?が慣れないかもしれませんが・・・

 時の旅③ 7/10

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シャガールさん、ありがとう!(時の旅③ 6/10)

2013-10-25 | 第七章「光と復活体」

最近、シャガールの画集を引っ張り出し、時々のんびりと絵を眺めることが多くなった。U先生のブログやKさんのブログに触発されたようだ。

 実は、生き甲斐の心理学を学び始めてから、絵画観賞療法としてシャガールをU先生のもとで勉強をしたことがあった。欧米では絵画はシャガール、音楽はモーツアルトが心理療法の世界では定番ということだった。私は日本人だけど、どうかなと思いつつ勉強をしたのだが、実に不思議な経験をしたように思う。

 勉強仲間にも恵まれ、暖かい雰囲気の中での勉強で、かなり自分の生育史上の問題や栄光が湧き出てきた。それからもう十年近くの時間が経過したが、あの時の何というか無意識の意識化は随分大きかったように思う。

 小学校1年の時に、友達二人と登校中に一人が交通事故で亡くなったのだが、そのときの体験の捉え方が問題で、当時は笑ってすますような一見大した問題ではなかった事件が、結構後を引いていたのを今は感じてしまう。それを解していったのは、シャガールの絵だったようだ。何か無意識の世界を整理統合するパワーがあるようで、同じ絵の中に6歳の事件や16歳の心の開放などが繋がってくるようだった。

 季節ハズレの台風のおかげで、家の中でくすぶる感じなのだが、好きな絵を決めて、湧き起る感情をノートに書き留めてみようか。その中から何か新しく生まれ変わる何かを見つけることもできるかもしれない。皆様もお試しください。

 時の旅③ 6/10

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電子書籍「平将門」を読みつつ生き甲斐を考える!(時の旅③ 5/10)

2013-10-24 | 第七章「光と復活体」

 人生のどん底にいる人が、突然ある体験をして、同じ状況の中であってもイキイキとして生き甲斐をもって生きるようになる。こういうことは、古今東西に多くの事例があり、宗教家や心理学者などの大きな関心を呼ぶ。例えば新約聖書のサマリアの女などは良い例ではないだろうか。

 こうした、極端な事例もあるが、もっと穏やかに自分の生き甲斐を見出し前向きに生きる人も多い。突然、大復活する人もいれば、日々少しずつ、それこそ息をするごとに、心臓の鼓動一つで復活する人もいるのだろう。

 そして、生き甲斐をもつポイントは哲学的な柱と、現実的な生き甲斐ある生活のありかたのように思う。ただ、その探し方や実践の仕方は、人それぞれが自分で見出す意外はないとは思うが、それでも共通性があるようにも思う。

 今、電子書籍(Kindle)で吉川英治の「平将門」を読んでいるが、その私のささやかな生き甲斐について考えてみよう。

 一つの本をよむことは考えてみればちょっとした事業である。まず、自分の貴重な時間やお金を投資して、平将門を選び購入し読み始める。そして、期待をもって読んでいくのだが、山登りに似て平坦ではない。面白くて時間を忘れるときもあるが、何となくページをめくるような退屈(頭に入らないことも)なときもある。

 こんな時、通常の本に似て、電子書籍には61%読了のような数字がでてくるのははげみになる。

 それから、物理的な本では簡単にできる、線を引いたりメモを書き込んだり、しおりをはさんだりすることも擬似的にできる。時には、辞書で不明な言葉を引く機能も。山登りで、素晴らしい光景に出会って写真を撮ったり、友達と語ったりする、そんな感じなのだろうか。

 「平将門」を読むという、「幸福の条件」の設定と監視。その中での、様々な感情や思考の流れ。今度は府中や国分寺跡といった近場ではなく、もう少し遠いところに遠足でも・・・あるいは、今度の生き甲斐の心理学の勉強会のテーマにしたら・・・などという情動も生まれてきたり。また、平将門の可愛い奥さん桔梗さんとの話で「幸福感」を感じることも。

 時の旅③ 5/10

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わたしの中の県民性を意識してみよう!(時の旅③ 4/10)

2013-10-23 | 第七章「光と復活体」

 最近、「都道府県ベスト&ワースト」というデータを教えていただき県民性について本を再読したりしている。日本の歴史に精通した武光誠著「県民性の日本地図」という良い本があり、頭が整理される。

 他人のことは良く判らないので、自分のことを書かせていただくが、私の祖父母4名は、父方祖父 広島県(瀬戸内沿岸) 父方祖母 広島県 (瀬戸内沿岸) 母方祖父 東京(葛飾生まれ) 母方祖母 京都であった。

 そして、私と両親は母方の祖父母の隣の東京に住み(サザエさん風に)、今振り返ってみると、いい意味でも悪い意味でも東京、京都、広島の県民性が適当にバランスして育ったようだ。さらに、私は7歳の時に両親と米国・アラスカに一年暮らしたこともあり、アラスカ民性も入っているかも。

 こんな私であるが、先の武光誠著「県民性の日本地図」の33Pの、次の一節が心に残った。

 「現在のこる遺跡からみて、縄文人が人間は平等だとする考えと、自然と調和した生きかたを重んじていたことが明らかにされている。これに対し、弥生人は上下の秩序を重んじ、貧富の差を当然のものとみていた。」

 日本でも東日本と西日本の文化の差は良く語られるが、私も縄文文化の濃い県民性と弥生文化の濃い県民性があるように感じている。そして、私にとって4人の祖父母のうち、東京生まれの祖父(縄文系が強いと主観的に思うが)の影響がとても大きいように感じてならない。

 祖父は仏教徒(日蓮宗)であったが、記憶にある限りお盆の時は、玄関のところで迎え火送り火(お盆の由来は縄文くらいに遡るのでは?)を炊いて祖先の魂を送り迎えした。「来年は私も煙に乗ってくるよ!」と祖父は冗談っぽく言っていたが、そのうち本当にそうなってしまった。蛇足だが、母はカトリックの信徒に若い頃なったそうだが(私も信徒)、今思うと祖父の縄文からの霊性と関係するのではと推察している。

 祖父はそんな感じであったが、私を愛してくれた両親や祖父母たちの県民性やそれからくる人間観の微妙な差で、私が青年期に入ると混乱した時期があった。結局は自分は自分で選び取る自分の県民性(アイデンティティ)なのだが、人間は他人と自分を大なり小なり混同しがちなところがある。両親や祖父母など身近な人に良い意味でも悪い意味でも影響される。自分が直接苦労して得た価値でないものを、あたかも自分の根付いた価値のように思ってしまう。そして、県民性を知らず知らず継承してしまう。

 根付いてしまったからには、自分もそうだが他人もなかなか変えられない。身近な大切な人との衝突で、何か絶望的になったとき、ふと、これは単なる県民性と思ってみることも意外に大事かもしれない。

 しかし、幼いころの祖父母との暮らしを考えていると、京都生まれの祖母は扇風機を愛用していたし(今は京都がエアコン普及率1)、東京生まれの祖父は酒屋のおじさんと気楽に庭先でのんびりお酒を飲んでいたり(食事時間1)、広島生まれの父はソースはとにかく、味付けは濃いほうだったし・・・幼い頃、祖母と喧嘩したころもあったが、祖母の細かい気配りに反発したことも。悪かったな・・・

 時の旅③ 4/10

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ハケ(崖線)の清らかさを感じつつ、恋ヶ窪の伝承を味わう!(時の旅③ 3/10)

2013-10-22 | 第七章「光と復活体」

 前の会社で府中オフィスに通っていたころ、時々一駅か二駅前で降りて、のんびり歩いてオフィスまでの散歩を楽しんだことがある。そのときに、多摩川からちょっと離れた府中崖線に沿った道の風情を楽しんだが、府中崖線に沿った周辺も歴史的な遺跡が多いことも知った。

 有名なところでは大國魂神社とか、武蔵国府跡なども。そして、府中崖線では綺麗な清水が湧いたり、崖の上からは美しい富士山も見えたりする(因みに府中本町駅の構内には富士山が綺麗に見える有名スポットが)。

 今も昔も、綺麗な水があり眺望もよい場所で生活したいと考える人は多いと思う。

 さて、今度、太極拳の仲間と遠足することになった府中、国分寺周辺には、府中崖線があるが、さらに国分寺崖線がある。崖線のことを地元ではハケと呼んでいるが、こちらは多摩川からさらに離れた崖線であり、そこで生活をしてきた人は遺跡から、縄文時代やそれ以前に及ぶことが判るそうだ。

 そして、先日は武蔵国分寺跡を下見に行ったが、国分寺を中心に見ると北の玄武の方向にはハケがあり、お鷹の道を起点に車で、貫井神社まで探索した。写真のホトトギス?は貫井神社で撮った写真。大岡昇平の武蔵野夫人の舞台もこのあたりであり、私のように縄文土器など古代史に興味を持てない人は武蔵野夫人を読まれたらと思う。

 ハケには、歴史遺跡だけでなく、伝承もある。

 昨日のように大銀杏の幸福曲線の伝承ではないが、日本人の魂観を考えさせられる話が。縄文遺跡でも有名な恋ヶ窪の悲恋の話である。畠山重忠と恋ヶ窪に住んでいた遊女、夙妻太夫(あさづまたゆう)の悲恋の話である。遊女と客の関係を超えて真心の付き合いになっていたにもかかわらず、重忠が西国に出陣してしまう。

 そのため、夙妻太夫は深い悲しみの中に落ちるが、一人の男が嫉妬から重忠が戦士したといううそをついてしまう。それで悲観した夙妻太夫はなんと姿見の池に身を投じてしまうのだ。村人は、夙妻に同情して、手厚く葬り、さらに墓のわきに松を植えたところ、その松が西国に向かって西へ西へと傾いて伸びたそうだ。その後、重忠が戻り、悲しい経緯を知り慟哭し、夙妻のために一堂を建立し、阿弥陀如来像を安置し弔ったそうだ。(国分寺市教育委員会発行 ふるさと国分寺のあゆみを参考にしました)

 辛い話と、裏腹の阿弥陀如来像の話。光と影の強い話ではあるが、天国(極楽)で二人が再会することを信じてみると、何ともいえない伝承の美しさを感じてしまう。

時の旅③ 3/10

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