イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

中央フリーウェイ妄想を楽しむ!(時の旅① 10/10)

2013-10-08 | 第七章「光と復活体」

 私が学生のころに、友達の自動車で中央自動車道で始めて聴いた歌。それがユーミンの「中央フリーウェイ」だった。都心方面から甲州街道に沿った中央フリーウェイを西の八王子方面に向かう設定だが、歌詞の中にでてくる右手に競馬場、左手にビール工場の府中周辺の場面はとても印象的だった。「中央フリーウェイ」は魔女の宅急便の主題歌にも検討されたそうだが、採用されなかったそうだ、ジブリ映画が好きな私にとっては残念である。

 さて、太極拳の仲間と11月に大人の遠足をしようと考え(旅と生き甲斐の心理学のNPOの活動としても検討)、いろいろ準備をしている。私は奈良や京都、遠野などには喜々として旅に行くが、意外な盲点で地元は手薄になりがちなのである。もちろん、多摩に住んで長いので何となく殆どの場所には行っているのだが、点と点がつながらないというか、時間をかけて思索していないので印象が薄い。今回は責任もあるので、気合を入れている。

 地元の人や国分寺周辺の歴史に詳しい方に相談したり、また実際に現地視察もしていると、様々なことが繋がって見えてきた。

 不思議なことに、ユーミンが歌った競馬場、ビール工場の周辺は府中の中心大國魂神社や国府、国衙跡地に極めて近い。さらに、Googleマップで北を辿ると武蔵国分寺跡の金堂(中世の分倍河原の戦いで消失したようだ)や講堂、七重の塔の跡もある。ここは四神に囲まれた風水的にも素晴らしい場所。さらに北にいくと縄文遺跡が多い国分寺崖線とぶつかり、東京都に珍しい国宝建造物である東村山市の正福寺阿弥陀堂も北に位置している。北は、さらに川越方面にまで進むが、眼を転じて南は、なんと聖地・江ノ島にぶつかる。中央フリーウェイは西へ続く東西の滑走路を走りながら、南北の古というか聖なるラインを教えてくれたようだ。

   (一番左が金堂跡の碑。静かで何とも言えない気分になります。国分寺は中世に分倍河原の戦いで消失されたそうです。)

 近くの大國魂神社は、写真のくらやみ祭りで有名だが、景行天皇のころ西暦111年に創建。そして、主神は出雲の大国主の命である。かつてヤマトタケルが一戦を交えた地域なのだろう。そして武蔵の国府や国衙の跡もたくさん近くに発見されている。最近では徳川家の御殿まで発見されている。武蔵国は今の東京、埼玉県、神奈川県東部を含む広大な国であり、その国府等の重要施設は府中近辺に作られたようだ。そして、最近話題になった武蔵熊野神社古墳がある。7世紀の日本の国府創建時代に武蔵野国の首長級(名前は不明)だった方の墳墓のようで素晴らしい。

 遠足ではユーミンの歌った中央フリーウェイに出てくるビール工場、大國魂神社、武蔵国分寺金堂跡、武蔵熊野神社古墳に行く予定だ。私にとっては青春時代の幸福曲線を思い出し、自分の血の中にある地元の祖先を思い出し、当時の四神を感じ、楽しくビールが飲める至福の時になればと願っている。

時の旅① 10/10

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邪眼と慈眼の知恵!(時の旅① 9/10)

2013-10-08 | 第七章「光と復活体」

 U先生の「元気に生きる」というDVDが発売され、先日の勉強会で購入させていただいた。テレビ放送の24回分の録画のDVD版である。以前拝見した内容と同じではあるが、さっそくいくつか鑑賞した。

 その中で、以前お聴きしたのと全く違うひびきで捉えることができたお話があった。「幸せをつかむ眼差し」(17話)である。

 これは、先生のイギリスでの邪気祓いのお話や貴重な体験が語られているのだが、ふと、先日訪ねた唐招提寺の鬼瓦のことが思い出したのである。ネットで調べてみると、鬼瓦はシリアのパルメアでメドゥーサの厄払いがシルクロード経由で唐に伝わり、日本にも伝来することになったそうである。写真は鑑真大和尚の御廟の門の鬼瓦であるが、なかなか味が深い。

 今では鬼瓦の風習も日本ではなくなっているようであるが、幼いころに聴いた祖父母の知恵などを思い出してみると、幸せを呼ぶ知恵というか、そんなものが邪気とが鬼瓦の話に通じるのかなと思うのである。

 自分のことだけでなく、他人のことも大事にする、そんな共存共栄の思想は松下幸之助さんが語られる前から、脈々と日本の文化の中にあったのではないかと思う。共存共栄的である場合、つまり自他肯定的なときは、自分でも慈眼になるように感じる。反対に、他者否定的な場合は邪眼になる。他者を信じることができず、どこまでも蟻地獄のように疑惑が湧く邪眼。

 自分の過去を振り返ってみると、邪眼の時期というのも確かにあったようだ。他者を信じず(信じることができない悲しい状況があったが)、そして自分を信じているようでありながら、どこか自分すら信じていないような時。そんな時は、他者は私を見て、きっとおびえたかもしれない。そんな時は、一見仕事はよくできているようであっても、自分の殻の中の仕事に過ぎず、何か貧しい。

 反対に、苦しい中でも慈眼でいると、U先生の「幸せをつかむ眼差し」ではないが、物事がとんとん好循環になるようにも思う。変な話しであるが、私はブログの写真をこの8年くらい撮り続けているが、蝶ちょなどの昆虫が慈眼の精神状態のときは逃げないでカメラに収まってくれることを発見した。まあ、最近は望遠で撮れるので、自分が邪眼かどうかを意識しなくなりつつあるが。

 昔の人は、鬼瓦を見て、自分の邪気を意識したのだと思う。そうした文化は、素晴らしいと思うし、きっと活気のある文化なのだろう。

 時の旅① 9/10

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