イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

感情と思考の不思議なつながり!(みんなの悩み解消法 9/10)

2012-10-21 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 帯状疱疹に罹ってから2週間以上たった。痛みも改善しつつあるが、時に酷くなる。この悩み解消法でも考察したが、痛みは純粋に身体からくるわけでもなく、生育史とも関係しているようで、単純ではない。

 肉体と思考はデカルトにより分けられ、その影響は現代に続くが、20世紀の終わりに脳神経学者のアントニオ・R・ダマシオにより、思考や決断は、感情等の無意識を含むフィードバックがあって初めて機能することが明らかにされた(Decartes' Error)。

 今まで、生き甲斐の心理学で語られる、ロジャースの悩み解消法の考え方を述べてきたが、感情や情動の重要性が最新の脳科学からも追認されてきたともいえるだろう。

 悩み解消法や、生き甲斐の問題に関する感情の役割は以前から心理学では大切にされてきたが、ビジネスの面でもコーチングやプレゼンテーションなどで応用が始まりつつある。感情の正当な位置づけと、心理学の応用は日本でも様々な面で大切にされて来てほしい。

 『感情と 理性が相互に 関係し 苦悩を改善 悩みを解消』

 おそまつ!

 みんなの悩み解消法 9/10

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悩みのマッピング技術も大事だが真善美も大切に!(みんなの悩み解決法 8/10)

2012-10-20 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 この約2週間の帯状疱疹との戦い。お蔭様で治りつつあるようだ。そして、この経験は私にとって得難いものになっている。健康のありがたさを実感すると共に、病気で苦しむことに、少しばかり理解を深めたようだ。

 そして、帯状疱疹の初期の心臓付近の痛みから始まる心理的な悩みについても、今回ブログ実況してきた。この自問自答で悩みを改善してきたことも、いい経験であった。

 さて、この『みんなの悩み解決法』で連載してきた、第三領域、第二領域、第一領域のポイントをロジャース流にマッピングすると次の図になる。このピンクの図が、病気当初の悩み。

 そして、次のブルーが自問自答して、悩みが軽減した図である。

『生き甲斐の心理学』111~115P, 131Pを主に今回は参考にしているので、理論に興味のある方は是非、『生き甲斐の心理学』を御求めいただき読んでいただければと思う。

 また、丁度、明日21日。14:00から16:30 八王子駅前のクリエイトホールで家庭的雰囲気で勉強会を開催する(次のURL参照)。興味がある方は、是非お問い合わせください。

http://newsite.npocull.org/wp/wp-content/uploads/2012/10/1eb34f1cd62a72895e468b2de8f172d52.pdf

 今日は、堅い話になってしまったが、自分の悩みを解決する方法を身に着けることは、極めて重要だと思う。何も専門家だけでなく、誰もにチャンスがあって良いと思う。しかし、世の中にはこうした機会が殆どない。それをNPO活動の中で広めようとしている。

 写真のシオンと蝶は、先日、昭和記念公園で撮った写真だが、その時、この世は天国かと思えるような美しさだった。今日の図を観ていただいてもお分かりだと思うが、悩み解決のポイントは第二領域と同時に第一領域でもある。この世の真善美を味わい、感謝と満足を得ることを日常の中で意識していると、どうも心の治癒力が増してくるように思える。

 『真善美 大切にする 生活が 悩み解決 治癒力増進』

 みんなの悩み解決法 8/10

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新しい発見と<感謝と満足>からの治癒力!(みんなの悩み解決法 7/10)

2012-10-19 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今、竹下節子著の『無神論』(中央公論新社)を読んでいるが、実に面白い。キリスト教の2000年の歴史の中で出てくる様々な思想の起源と多様さに驚いている。

 物事を単純に歯切れよく解説したり、批評するのは簡単だが、宗教・思想・倫理の世界は全く違うなと、読んでいて思う。〇か×かと割り切れるようなことはなく、時間と共に様々に影響しあい、変容し限りなくグレーゾーンを産んでいく。真実の世界の流れとは、そんなものかもしれない。

 さて、悩み解決法を自己事例で検討しているが、昨日の<第一領域>(感謝と満足)の大切さは、自分の過去の生育史を辿ると明白である。

 人間関係で悩む時は、例えばCさんに対して、期待すること(理想)と現実のギャップが悩みに繋がる。そして、ギャップが埋まらないためにストレス曲線で、不安->怒り->身体症状->ウツ->錯乱の階段を駆け上がったりする。

 この場合、問題は理想と現実の設定であるが、悩みの解決はCさん自身に対する自分の感情、理解の仕方にヒントがあるようだ。Cさんに対する感謝とか満足の実感(少しでも)が、理想と現実の設定を変える治癒力に繋がると思うのだ。

 悩みとは、理想と現実のギャップが足掻いても埋まらないのが特徴。今回の私の問題でも、帯状疱疹の痛みが無くなれ!と思っても無くならない。「死んだらどうなるか?」魂の問題を一刀両断に説明したくても完全回答は無理。そういう部分があるのだ。

 ある日、完全に理想(実は自分で決めた考えだが)が実現される。私も含め、どうも人間は都合が良いことを夢想するが、それは心の健康には良くない。今の理想をあきらめるか、設定しなおすか、現実の解釈を変えるかが必要なのだ。All or nothingでは事態は悪化する。

 『生き甲斐の心理学』にある第一領域の話は、グレーゾーンを違った視点で味わうことで、見えなかったことを見えるようにする治癒力に繋がると思う。

 写真の、昭和記念公園のコスモス。原っぱ東花畑は、見慣れたコスモスではなく、薄黄色のコスモスが大半で驚いた。これは、今回の新発見・実感であり。来年もまた行きたいと思う、新たな魅力になった(このところ随分ご無沙汰してきた)。

 みんなの悩み解決法 7/10

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辛いときに感謝・満足・笑いを忘れない!(みんなの悩み解決法 6/10)

2012-10-18 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日の朝は、久しぶり(帯状疱疹に罹って初めて)に爽やかな朝を迎えた。そして、爽やかな天気でもあり昭和記念公園にコスモスの写真を撮りに。

 適度の汗をかいて気分は良かったが、体力は弱っているのは明らかで、夜からまた痛くなってしまった。

 痛いことから来る不安は、他の不安と違って確実にストレス曲線(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)に人を導く(今回初めてよく判った)。そして、当たり前であるが、生き甲斐の心理学の悩み解決法も限界がある(解釈をいくら替えても痛いものは痛い)。

 そんな中、生き甲斐の心理学の定石は、第一領域と呼ばれる(感謝と満足)の領域を大切にすることがある。いくら痛いといっても、痛みが殆ど無いときもあり、昭和記念公園に行ける。コップの水のたとえでいえば、水が少なくても、まだあるじゃないという面に眼をむけるのだ。

 痛いときでも、甘えさせてくれる(これは退行現象という防衛機制ではあるが)家人はいる。優しいホームドクターが先を考えて出して頂いた治療薬や痛み止め。中には、祈っていただける人までいる(祈りが病気に効果あるとの統計的研究もある)。本当にありがたい。そういえば、痛みで今日のブログの話題もできた(笑)。

 そして、読む本も笑いを誘う本(余り笑うと痛いが・・・)とか、テレビも楽しいものを。先日は図書館で借りた落語のCDも楽しかった。

 これにより、ストレス曲線の亢進(不安->怒り->身体症状->ウツ->錯乱)をおさえることができるという理論があるのだ。そして、痛みのない、幸運な晴れ間のような時が来れば、昨日のような爽やかな時。

 『辛いとき 感謝と満足 無理にでも 思いめぐらし 明かりをつける』

 みんなの悩み解決法 5/10

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悩み解決を妨げる自分のくせを知る!(みんなの悩み解決法 5/10)

2012-10-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 持統天皇の原点、吉野について昨日は考えたが、「死んだらどうなるのか?」の問いかけから湧く不安にこたえられるような体験。最近は科学信仰?の陰で、余り表面に出てこないが、意外に多くの方が体験したりしている。

 このブログでも、小林秀雄氏の『感想』の中にある、プラットフォームから落ちた時の体験。東山魁夷氏の自伝の中の体験を取り上げたことがある。個人的な神秘的な体験は、本人にとっては掛買いの無い宝物である。それ故、それをどう扱うかが思想的にも難しいのだが。

 そして、私にも不思議な体験がある。「罪深い自分が、今ここで愛されているという実感。そして、ささやかかもしれないが、お返ししたいという想い」。その考えが降って湧いたように起こった体験が想いもかけない時にあったのだ。カトリックへの回帰とこころの自由を得た時であった。

 それにも拘わらず、『死んだらどうなるのか?』という問いに、変に理知的に対応しようとしたのだ。あれこれと、辛気臭い本を読んだ(明るい本もあったが)。そしてそれ故、何かストレス曲線のスパイラルに落ち込んだようだ。

 この変な理知的な傾向は、私の幼いころからの内弁慶的性格からかもしれない(家庭環境が大きいが)。高校2年の時の、今まで信じていたカトリックの信仰を疑った時もそうであった。その道のプロの教会の神父様に訊けば直ぐ分ったかもしれないのに、変に頑固に一人でデカルトの神の存在証明を読んだりして足掻き、最後はニーチェでノックアウト(どこまで理解していたかこれも疑問)。今考えると、遠い道のりであった。

 自分の不安を知性化という防衛機制で封じるよりは、リアルな不安を実感しつつ行動したほうがきっと速かったかもしれない。しかし、それが青春時代なのだろう。

 実は昨日、U先生主催の『生き甲斐の心理学』の勉強会に参加した。14の防衛機制がテーマだったが、私の事例もそうだが、参加者の個性的な防衛機制のお話に感動した。そして、実は自分が解決に一番近いはずなのに、それを妨げる防衛機制の不思議さを想ったのだ。防衛機制はこころを守り生き抜くために必要なのだが、何かを見えなくするのだ。

 『悩んだら 自分の癖に 気を付ける 鎧(よろい)兜(かぶと)が 悩み深める』

 みんなの悩み解決法 5/10

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