一日の中で、所属するコミュニティで難なく過ごすために、本音ではなく何か偽って過ごすのは、誰でも経験するらしい。私も、そうである。ただ、その『本物の自分』の純度が高かった時期というのがあるようだ。
小学生くらいまではかなり本物度は高かったように思う。20歳台も、それなりに高かった。40歳前後、それから会社を退職してからの50歳台からも高いようだ。
昨日の『悔いのない人生とは何か?』のマジック・ワード。これを考える時に、基盤になるのが、どうも『本物の自分』のようだ(U先生がテレビ番組で言われていた)。
残念ながら、経済的、健康的、社会的・・・様々な要素が人間にはあるので、仙人のように純度100%で過ごすことは難しい(役の小角の小説を今読んでいるが)。厳しい現実を吟味しつつ、『本物の自分』を意識し、それに近づく努力が大切なのだろう。
それから、『本物の自分』の原型をあれこれと考えることも意味があるようだ。やはり、過去の生育史は知恵の源である。私の場合は、アラスカでの異文化の中での様々に人との付き合いとか、いろいろ思い当たる。本音と本音の付き合いは宝である。他人と自分の感情の火花(暗い感情と明るい感情)の中に本物の自分が感じられるのではないか。
『本物の 自分とは何 振り返る 自分の個性 本音の付き合い』
マンネリズムに陥らない 7/10