イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

甘くはない!

2006-11-16 | 2006年度(1/13まで)

次女が唐辛子に凝っていて、写真のような唐辛子の人形を作った。辛いので、当たり前だが甘くはない!

子供の自殺が連日報道されている。報道の仕方、学校や親の対応、社会の対応を見ながら、何が一番問題なのか考えてみた。なにも子供に限っていないが、一番の問題は「孤独」とその対応なのだと思う。

だいぶ昔の話であるが、米国社会でネイティブの自殺が多いと報じられたことがあった。

競争、責任、公平、ドリーム・・・こうした米国流の価値観がどんどん浸透する中で、孤独の中で自殺をするネイティブ。人ごとではなく日本でも、最も日本的であった、「甘え」の文化がどんどん切り捨てられていくように思う。

孤独な時、どこかで子供は「甘えさせて」と叫んでいるのだと思う。

それに、応えるのは唐辛子軍団ではない。愛を重視する「暮らしの中のカウンセラー」だと思う。

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ベランダのジャングル

2006-11-15 | 2006年度(1/13まで)

「イキイキと生きる」のは結構難しい。前人未踏のジャングルに迷い込むようでもある。こっちの道に行こうと決めた後に、獣道のようで思わず引き返したくなったりする。あの時に決めたのだからと思いつつ進む時の不安。愛の孤独。

こんな時に、写真のような不思議な光景が現れる。美しい黄緑色。なにか優しい生命が息づいているようである。そして、そっと私の「愛の孤独」に触れる。怖くはない、一緒に行こう。こんな風に、呼びかけてくれている。

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夜の散歩

2006-11-14 | 2006年度(1/13まで)

愛犬と夜の散歩をする。ススキの陰がちょっと不気味なところで、所々に灯をともすビルを写す。携帯のカメラは便利である。

夜、特に私の住む周辺の森は、いい歳をとっても結構不気味である。恐怖心について思い出してみた。

小学校2年のころ、父から、家から歩いて5分のところのお豆腐屋に行って、豆腐を買って来いといわれたことがある。父も昔肝試しの経験があり、息子を鍛えようという気持ちもあったと思う。

当時は豆腐を買うというと、アルミの弁当箱を持っていくのが定番で、弁当箱を片手に外に出ると、周りの闇が本当に怖い。一目散に駆ける。お化けが後ろに居るような感覚があり必死であった。

豆腐を買って、何とか家に戻り両親に豆腐とつり銭をわたす。ところが、つり銭が間違っており、父がもう一度行ってこいという。これも親心なのだろうか。二回目は馴れもあったのか恐怖心は薄らいでいた。

お化けと一緒に走るようなあの怖さ、恐怖心との同一化の経験。そしてそれを突き抜けるという大切なことを学んでいた。

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天国へのエスカレータ

2006-11-13 | 2006年度(1/13まで)

先日の夜、家族で近くの駅前のショッピングモールに行った。夜も結構遅い時間であり、人通りも少なかった。しかし、きっと優れたデザイナーによるのだと思うが、ライトニングなどがとても綺麗で、おもわず何枚かの写真をとった。

赤い光、ブルーの光、植物の緑が綺麗に映える光、美しいなと思った。

写真の光景も、「天国へのエスカレータ」というような、どこかこの世のものでないものであった。家族で食事をした後のひと時で、都会では余り経験しないが、幸福感を味わった風景であった。

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手を握る!

2006-11-11 | 2006年度(1/13まで)

明日、八王子カウンセリング勉強会があり講師をする。今回は1月まで「生き甲斐の心理学」のテキストを使い「愛の領域」について、6回にわたってご一緒に勉強したいと思っている。

その中で、愛の孤独の自己事例をいくつか考えていただが一つ思い当たったので述べてみたい。 何年か前に、胃カメラを飲んだことがある。経験された方はご存知だと思うが、結構辛いものである。私の場合、食道にファイバーを差し込まれると激しく嘔吐感がつのり、体の緊張を招きそれが益々嘔吐感につながっていった。 その時、ベテランの看護婦さんが、「力を抜いてくださいね。」と言いながら、優しく手を握ってくれた。大の男であるのに、暖かい手を感じリラックスでき、嘔吐感を乗り越えた。

手を握ること、これは、自分の愛の原型に触れる部分があるのだろう。不思議に不安感が解消された。幼いころの母の温もりなのであろうか、肌触りなのであろうか。

 愛犬との交流も、「お手」をして犬の愛の原型を大切にすることが重要かもしれない?!

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