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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人という言葉は最近嫌いになってしまった! (ストレスを再考する! 9/10)

2015-09-11 | 旅・雑記帳

 昨日は北陸の富山県高岡をあとにし、一日かけて車で東京の多摩に帰宅した。そして、帰途も往路と同じように糸魚川を148号線で安曇野方面に遡るコースを。当然ながら縄文遺跡を寄りながら。

 さて、この旅でつくづく思ったが、縄文時代に興味のある人、観光客の少なさだ。台風の中でも兼六園では外国人観光客も沢山いたのに・・・帰途に寄った3つの遺跡(施設)では私達以外の見学者や観光客は皆無(天候も良くなかったこともあろうが)。某遺跡では記帳ノートがあったが、4日前に一団体が記帳していただけだった。

 学芸員さんをはじめ、現場の方々はいろいろ工夫をされ、見学者や子供たちに判りやすく展示をしているが・・・ふと子供向けパンフレットを観ると、「縄文人・・・」。私も昔はこの言葉を使ったりし、また縄文人になって写真を撮ったりもした・・・しかし、心理学的に考えると、明らかに防衛機制的な言葉。自分とのDNA的繋がりを縄文人ということで切断しているように感じるのだ。

 最近の遺伝子的な研究や考古学的な発見の数々から、今では弥生人、縄文人と分けて考えるより、自分達のDNAの連なりで弥生時代、縄文時代にそれぞれ苦労して生きた祖先と考えた方が良い気がする。そして、縄文時代に漆塗りの技術があったとか、ひょっとしたら歌垣の文化があったとか、最先端のひすい穿孔技術(ダイヤモンドに匹敵する翡翠に穴を穿つ技術)・・・そういった断片的な知識を私たちの血として肉として統合、調和するためには、ヘンな言葉は使わないほうが良いと思うようになった。

 写真は桜町遺跡で発見された5000年前の赤い漆塗の木星鉢の写真であるが、これなどは日本の漆器の古さの現れだと思う(因みに、若狭湾で発見された櫛をC14で分析し12600年前とされ、当然ながら世界で一番古いことが確認されている。)。因みに桜町JOMONパークでは、教科書で弥生時代の特徴的な建物とされてきた、高床式建物の縄文時代版の建物を展示している。また、今でも使う斧の原型的斧も見つかり、その判りやすい展示もしている(鉄の刃ではなく、蛇紋岩を刃として装着するが)。

  

 自分は何か?何のために生きるか?これは、こころの健康づくりでも重要な自問自答である。縄文時代の歴史教育についても、もう少し配慮したほうが良いのではないか。

 さて、豪雨もあったりする中、帰途の道中のサマリを以下に・・・

 最初は高岡市のとなりの小矢部市の桜町遺跡・桜町JOMONパーク。判りやすい展示であり感動(最近、観てから、もういつ死んでもいい・・・と感動の言葉を口にするため妻に笑われる。)。関東では酸性の土が一般的で木製品などは少ないので驚いた。瓢箪(くびれのない形)が出土されたそうだが、瓢箪の縄文時代の種かどうかは最終的に判らなかったが、瓢箪の栽培も・・・。 縄文時代の種で有名な大賀ハスもいっしょに・・・。

  

昨日のチカモリ遺跡と同様な、縄文時代のウッドサークル展示も・・・

続いて、日本海沿いに走り、富山県の東端に近い不動堂遺跡に。ここでは、縄文中期の巨大(当時の最大級)竪穴式たてものを拝見しました(写真をご覧ください、普通の住居の4-5倍は・・・)。雪の多い土地柄、ここで何をしていたのだろうか?

 

親不知では、近くの糸魚川のヒスイに因んで、ヒスイ関係のお土産なども。

  

そして、前回時間切れで行けなかった、寺地遺跡公園も・・・ヒスイ加工施設も見ました。

   

そして、古来からあったという塩の道(国道148号線)で長野県方面に。この時かなりの豪雨で心配しましたが、交通止めもなく白馬の道の駅に。

 

あとは、中央高速で、諏訪湖を見、巨大な阿久遺跡を見、八ヶ岳を眺め、富士山を眺めて帰りました。

    

今回の東京多摩から甲州、信州を経由して越の国を訪れた旅、残念ながら新幹線は利用しなかったのですが、縄文時代の徒歩での旅を偲び、車でたどることにより、ほんのちょっと祖先の苦労を感じた旅でした。そして、本日は旅で感じたちょっとしたストレスを発散させるブログでした。適度な自己主張はストレス解消にも大事なんです。

ストレスを再考する! 9/10

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