昨日はオフだったこともあり、DVDで遅ればせながらトム・フーパー監督の「レ・ミゼラブル」を見た。トム・フーパー監督は生き甲斐の心理学のU先生をはじめ、学友がほれぼれと感心した心理学の名作「英国王のスピーチ」の監督であったが、今回のレ・ミゼラブルも、それ以上に素晴らしかった。ミュジカルの威力もあり、全編が詩のようで、ものすごく感動的。
丁度、昨日は「いろは歌」を考察したが、この映画も、人の成長という面で興味深々であった。ジャン・バルジャンの司教との出会いやファンテーヌ、コゼット、マリウスの話はもちろんポジティブな成長という意味で感動したが、ジャン・バルジャンを追い詰めるシャベール警部の悲劇には別の意味で考えさせられた。
シャベール警部はジャン・バルジャンと同じキリスト教徒であるにも拘らず、従順な公僕として職務を全うする原理主義的な人なのである。ジャン・バルジャンにより奇跡的に命を助けてもらうが、それにも拘らず忠実に公務を続け、時代の悲劇に手を汚すことになる。そして、その結果として悲劇が押し寄せる。映画の中ではシャベール警部が綱渡りのように、ちょっと間違えば死が待ち受けているようなシーンが出てくる。人生紙一重というのが私の実感だが、とても象徴的だ。
私もそうだが、人は生まれながらにして自分で育ってきたかのように錯覚する存在で、若い頃に得た大切な指針や理想(年をとっても引き継がれることが多い)は、実際は自分自身が経験に基づいていなくて、親や教育による借り物であることが多い。そして、それが実人生の経験の中で揉まれると、自分自身で考えた理想に置き換えていければよいが、そうでないと理想と現実のギャップで悲劇が襲うことがある。ひどい場合はシャベール警部のような悲劇に。シャベール警部の傍にはジャン・バルジャンのような人がいてもである。
しかし、トム・フーバー監督は人が変わっていく条件(ロジャースの6条件など)を知悉している名監督だなあ。
旅と真善美③ 3/10