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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

新月の時に満月を考える!(人間を考える 2/10)

2012-12-13 | 第八章「魂と聖霊」

 今日は新月(朔)。昨日の話ではないが、昨晩時間をかけてとっていたPCのフルバックアップ作業が失敗してしまった。DVD11枚がダメに。これは、きっと新月のせいだ(笑)。

 さて、昨日から竹取物語をパラパラとめくっている。日本最古の小説とされている竹取物語。記紀には余り載ってない月(月読命の記事は少ない)とか、羽衣とか富士山の話が出ていて楽しい。しかも、かぐや姫を狙う5人の貴族の中には藤原不比等と思われる車持皇子が登場するなど、ワクワクする。登場人物から、舞台は白鳳・奈良時代のようである。

 竹取物語の最後のほうでは、美しいかぐや姫が、満月の夜に浮世を忘れるという羽衣を着て、不老不死の薬をなめ、月の世界に向かっていく。2000人の帝の部隊は、全く阻止することができない。帝を始め、翁や媼が皆悲しむ中、かぐや姫は月に行ってしまう。

 この世では月は満月であるが、天の国では反対に新月なのかもしれない(日本人はあの世をあべこべに考えるところがあるので)、そしてかぐや姫の再生が天上で始まるのだろうか。

 万葉集でも、額田王が歌った有名な歌がある。

 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

 白村江の戦いを控えた時代の歌であるが、最近読んだ藤村由加の「額田王の暗号」(新潮社)によれば、当時の言語を研究した結果、次のような解釈をされている。

 熟田津の湯に立ちのぼる湯気のように、

 天路を行く船に乗って上仙しようと

 満月を待っていると満潮をむかえた

 今はただこぎ出そう    (101ページより)

 この歌は、持統天皇の祖母、皇極天皇が病を押して、持統天皇を含めた皇族総出で九州に向かう中で、四国の伊予の国(天香久山の片割れの天山がある。また道後温泉の近くとの説が有力)に寄航したころの歌であり、当時の死生観が織り込まれているように思う。

 地上で死んでも、あの世で生きる。不死の魂の存在を信じてたのだろう。魂の存在は、縄文時代から、あるいはそれ以前からほとんどの日本人が信じている。今でも、日本人の多くは特定の宗教を持たないが魂の存在は信じているようだ。

 内憂外患の7-8世紀の日本は、今の日本に似ている。そして、古代の政治家は厳しい現実のなか、しっかりした宗教的アイデンティティを持って生き抜いたといえる。そして、人を単なるモノとみず、愛おしんだのだろう。私が持統天皇に関心をもつのは、難しい政治の中に身を置きながら、吉野行幸などを通し貧しい一般市民を愛したのではないかと思われる点がある。

 総選挙が間近だが、実質的な建国の時代にも素晴らしい政治家がいた。そうした祖先を持つ私たちも、政治に悲観せず希望を持ちたいものだ。今日は新月であるが、あの世は満月なのかもしれない。

 人間を考える 2/10

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