この2週間の間に読んだ、違うジャンルの二冊の本に、弓道を学んだドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル博士の逸話が載っていた。一冊は日本人、もうひとつは米国人の著書である。不思議な逸話との出会いに、何か特別の意味を感じた。
オイゲン・ヘリゲル博士は弓を引き絞り、自然に矢を解き放つ基礎を弓道の名人・阿波研造先生から丁寧に学び、4年たって初めて闇夜に的を射る許可をもらった。そして、それが的の真ん中を射ることができた。
博士はそのことから、射手が己を無にして射を行うとき、「「それが」射る」との極意を得たそうだ。(「行く手遙か航海いまだ途上にあり」26ページ参照 中川秀恭著)
弓といえば、、高校一年の夏休みに読んだ、平家物語と那須与一の逸話を思い出す。引き絞る力、そして放つための緊張。馬上の操作、船上の的の扇の不安定さ。そして、ある瞬間に放つ矢。
私の人生で、こうした緊張の瞬間をどれほど味わっただろうか。先に述べた危機に気づいた時、サラリーマンを辞めるとき・・・
緊張の瞬間は、怖さとの戦いである。寄る辺のない底知れぬ恐怖、そして浮かぶ、微かな希望。恐怖の海と微かな希望の間に放たれる一矢。それは、不思議な時空を飛びぬけるかのようである。
人生は矛盾相克の旅。オロオロとする不確かな時を自覚しては、一矢を放つ。その中で、スパイラル・アップして行くのだろうか。
問題は、矛盾相克の中で、深く方向を見据え。そして、一矢を放つ意思の強さ。この二つだと思う。
まずは、矛盾相克の問題を次に考えてみたい。
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