3月に行くことになった関西。春の気配を感じる中で、ちょっと冷めていた持統天皇熱がまたも復活してきた。古本屋さんで何気なく手にとった「日本史の反逆者 私説・壬申の乱」(井沢元彦著)がきっかけだ。
日本書紀の中に、私のいくつかの謎があった。それが、点から線、線から面と解きほぐされるようで、ひたすら感心しつつ読ませていただいた。今でも不明な天武天皇の誕生と前半生の謎。大化の改新前後の謎。今と同様な東アジアの緊張の舞台裏。有名な天智天皇と天武天皇、額田王の関係。白村江の戦いの謎。遷都から壬申の乱。それらがイキイキと繋がり素晴らしい。
そして想うのだが、現代もそうだが激動の時代に生きることは、多くの敵の中、厳しさの中で生きることかなと思う。ただ、敵といっても、その存在が自分なりの人間観を育て、真剣な現実吟味を迫り、こころの防衛機制を健全にするところもある。逆説的だが激動の時代は人を育てる時代なのだろう。そして、人は脱皮しつつ一回りもふた周りも成長していく。
さて、「愛ある問いかけ」が今日で通算30になり幕を閉じる。エリクソンとロジャースの性格形成論を下敷きにしての自問自答を未熟ながらトライしてみたのだ。
今日の激動の時代に育てられることを思索すると、ロジャースの次の命題が浮かんでくる。人の成長するさまが正確に記述されているが、直接表現されていないものの、成長を促す何かが気になる。これは、厳しさばかりではなく、北風と太陽の太陽のような存在であり、それゆえ育つものが育つのだろう。厳しい時代の中にも愛の神秘は隠れていると思う。
19.個人は、自分の有機的経験をますます多く自分の自己構造へと知覚し受容するにつれて、自分が歪曲して象徴されていた自分の内面への投影にきわめて大きく基礎づけられた現在の価値体系を、つぎつぎと起こっている有機体的な価値つけの過程と置き換えていることに気づくのである。
愛ある問いかけ ③ 10/10