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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

健康ではなく、不思議な健康感を意識しよう!(幸福曲線を辿る③ 3/10)

2014-08-30 | 第七章「光と復活体」

 赤毛のアンを読んだり、DVDを観たりすると何というか、健康感が刺激されるところがある。

 健康感というのは、幸福曲線の5つの感情(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)の中にでてくる感情である。健康はなんとなく判るが、健康感は感情としての位置づけなので思索が必要だ。

 幸福曲線の反対はストレス曲線で、不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱の5つである。そして、昨日の憎しみ・怒りが友好的感情に何かのはずみで変化するように、不安は平安、ウツは幸福感、錯乱は統御感の友達である。そして、身体症状も健康感の友達。寝られなかったり、胃が痛んだり、自律神経がここひとつという心の状態から健康感に変化しやすいとも言われる。

 感情は身体と密接な関係があるものの、心(生育史)や魂(宗教の領域)の世界にも関係しているという理論がある。身体から来る健康感、心(生育史)からくる健康感。魂からくる健康感、微妙だが別に存在するのではないだろうか。

 中年になるころ、私はよく多摩川沿いをジョギングしたが、その時、ランナーズ・ハイを経験しとりこになったことがあった。そして、この3年太極拳・気功をするようになったが、練習を終えると、やはりランナーズ・ハイに似た健康感を得る。健康感を全て物理的な脳内物質(エンドルフィン)、内分泌に帰着するというのはどうかとも思うが、科学的にも研究が進んでいる分野かもしれない。しかし、何故このような身体の仕組みがあるのだろうか、恐らく今の科学では解明できない謎があるようだ。

 では、心から来る健康感は何だろう、歳をとってくると、体調も若いころと違って身体の機能が落ちてくる。生命体として異常を検知し何らかの身体症状的感情が存在する。しかし、にも拘わらず、そんな身体が気にならないような、ある種の吹っ切れ、元気で創造的なパワーを感じるときが、この健康感ではないかと思う。

 私は身体の支障のある障がい者にいろいろ学んだことが多いが、その中に身体とは別に健康感を味わうこともあると聴いた。激痛の中で健康感は無理とは思うが、日常的な活動の中に健康感を感じることもあった。

 ある種の吹っ切れによる健康感の獲得には、①アイデンティティの統合②健全な防衛機制③正常な現実吟味力が必要といわれる。このあたりを思索すると、身体の機能が停止する死の直前でも身体はとにかく、心や魂の健康感を味わうことは可能かもしれない。

 さて、「赤毛のアン」の健康感を考えていたが、小説の扉に次のブラウニングの言葉があった。「天空の導き星が汝の運命を定め、活気と火と露もて汝の魂を創り給いし」。健康感に関する妄想を引き起こす良い言葉だ。

幸福曲線を辿る ① 3/10

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