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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分は何のために生きているか?という自問自答!(心の健康度① 2/10)

2014-04-14 | 第三章「無意識の世界」

 「何の為に生きるのか?」という自問自答は、心の健康にとっても大変有意義だと言うと眉をひそめる人がいるようだ。「青年時代ならともかく・・・」。そんなニュアンス。そこで、自分のとって「何の為に生きるのか?」の自問自答を今日はいろいろ思索してみた。

 私の青春時代の自問自答の中には、ハムレットではないが、To be、or not to be・・・といった、生き抜こうという前提条件のない自問自答をしていたように思う。そして、想うのだが、こうした生き抜く決意がはっきりしない自問自答は、どうもいただけない。真善美の世界から離れる問いかけになってしまうので、変になる。その意味で、「何の為に生きるのか?」の自問自答に眉をひそめるのは正しいのだろう。

 私の自問自答は、青春時代の怒涛を過ぎてからは、いつのまにか生き抜くことが前提になっていったようだ。そして、「何の為に生きるのか?」という自問自答は、自分の正中線というか根というか、そういうものを自問自答しつつ、今の環境に動揺する自分の揺らぎを正す自浄作用に変わって行ったと思う。正すというのは、ちょっと不正確で、自分を俯瞰する視点を思い出すというか、何かそんな感じである。

 自分の中に湧きたつ環境からくる魑魅魍魎のような感情の流れ、これを雑念と呼ぶのだろう。この雑念の中で、この自問自答は心を落ち着かせる祈りのようだ。あるいは祈りそのものかもしれない。昨晩、道をあるきつつ、「何の為に生きるのか?」を何回もとなえてみた。それは、将来の状態を問うかの問いかけのようで、既になされた過去や今への、満ち足りた感謝をささげる祈りのようでもある。

 さて、湧き起こる感情をうまくとらえ、それを生きる糧にしていくことは、心の健康尺度の一番目、感情と個人的な意味づけに関係が深い。

 これは訓練で鍛えることができ、私は、U先生に教えていただいた、エゴダイナミクスノートを使うようになった。人に見られてはいけないが、自分の怒りとか様々な感情や想いを秘密のノートに書き連ねるのである。

 そして、後日何回も見直したりするだけでなく、それを、自他肯定的に感情の意味を思索していく。あるいは、生き甲斐の心理学を学んでくると防衛機制の知識なども深まってくるので、その面から自分の隠れた感情、意味を思索していくのである。

 このエゴダイナミックスノートと「何の為に生きるのか?」という祈りのような自問自答をし続けるうちに、何かが観えてくるはずだ。今週は復活祭(イースター)の前の聖週間。自分の正中線を糺すよいタイミングでもある。

心の健康度 ① 1/10

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