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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

旅と歌の文化(青春時代を考える 10/10)

2018-09-16 | 第七章「光と復活体」

 今年の6月に吉野にちょっと立ち寄ったのだが、国栖(くず)の浄見原神社には辿り着けず残念な想いをした。古事記では神武天皇が、国栖の縄文文化の香りがする毛皮を着て穴居に住む先住民に助けられ、大和に向かった場所であり、また天武天皇と持統天皇自身が壬申の乱で世話になった場所でもある。

 その吉野に、女帝の持統天皇は30回以上訪れる。政権トップとして、日本の原型を作るという大きな仕事をする中での行動だ。この行幸は大きな謎であるが、「持統女帝の謎」(1988年立風書房)で山本さとし氏は、時代の変革期に生まれた大詩人、西行と芭蕉も吉野を愛したことと関係づけて、女帝も旅(当時は厳しい労力が必要)と歌を愛した方ではないかと推察している。「旅と和歌」の文化は江戸時代や室町時代どころか、どうも縄文時代まで辿れる日本の文化なのかもしれない。

 確かに、持統天皇は記紀から推察しても、若い頃は四国や九州に斉明天皇や天武天皇と共に行かれてるが、その後も日本各地を巡る行動派であったことは確実だ。さらに詩人としては万葉集に和歌を5つしか残してないが、大詩人の柿本人麻呂の政治的パトロンであったことは確実であり、万葉集が今あるのも、持統天皇のお蔭かもしれない。

 さて、有名な持統天皇の和歌

「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」

 この中の白たへの「たへ」であるが、よく調べてみると「元来楮(こうぞ)で作った粗末な白い布」(萬葉集1,小学館・刊 校注・訳 小島憲之 木下正俊 佐竹昭広 1971年)という説明に出会うことができた。楮は紙の原料でもあるので、確かに粗末な衣だったのかもしれない。豪華な絹ではない白妙の衣、しかも洗った衣に想いをはせる持統天皇は、芭蕉のように、わび・さび、を感じていたのかもしれない。

 私の拙い青春時代も旅と歌は思い出深い。しかし、その伝統は縄文にまでたどれそうだ。

青春時代を考える 10/10

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