イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

お金・邪眼からの回復!(慈眼 7/10)

2016-12-20 | 第五章「和解と平和」

 企業に勤めていたころ、某上司がこんなことを言っていた。「普段はいい人ばかりなんだが、予算やお金のことになると人が変わるんだな・・・」

 今、それを思い出したのは、この二三日、結構お金のことで邪眼?になっていたからかもしれない(笑)。まあ、お金と邪眼の関係は、今に始まったわけでもなく、いつの時代も皆悩んでいたようだ。縄文時代でも、中期・後期になると翡翠などで利権争いがあったことを伺わせる遺品があったりし、写真の黒曜石でもひょっとしたらあったかもしれない。

 黒曜石を見ると人が変わると・・5000年前に言い合っていたり。

 そして、つらつら思うのだが、現代日本(私も含め)はその傾向がやたらに増えているようにも。そして、どういうわけか邪眼も。

 コンピュータのオン、オフではないが、お金はやはりシンプルだ。いろいろなものの代替え特性になりやすい。お宝もお金に換算するとわかりやすいし、名誉や地位もお金に換算するとわかりやすい。最近は物だけでなくサービスなどもお金に換算したりする。

 しかし、本当にそうかはわからない。そして、いろいろな意見があるかとは思うが、私はそうではないと思う。本当に大事なことはお金とは無縁なところにあると思う。とはいえお金も生きるためには大事なのだが・・・

 では、お金・邪眼から回復するためには・・・

 U先生の「生き甲斐の心理学」の系統図を思い出しながら考えると、今日は「自己実現」のことを考えてしまう。マズローさんの名前が浮かぶが、マズローさんの自己実現の真意は、決してお金ではないようだ。「何のために生きるか?」「生き甲斐は何か?」「自分の身体とこころと魂を大事にしているか?」。こんなことを考えると、自分を俯瞰すると、私はお金・邪眼から脱却しやすいように感じる。

 地獄の沙汰も金次第ということわざがあるが、ネットで調べると、元の意味はメメントモリの問題のようだ。アラスカにはポトラッチという、自分の財産を他者に投げ与える祭りがあったそうだが、それも縄文時代にあったのではないかという説もある。

慈眼 7/10

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