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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の祖先の創造性 (思考 7/10)

2016-11-27 | 第一章「意識と知覚」

  縄文時代のテクノロジーを考えていると等価変換創造理論どおりで、現代人とほとんど変わらない創造活動があったのではと思う。

 例えば、国指定の東京都北区の中里遺跡は縄文中期で、土坑が発見され水産物加工所であることはほぼ定説となっている。さらに、貝塚は同じような大きさのマガキとハマグリの貝殻で形成されていて、養殖がおこなわれていたのではと推定されている(反論もあり、確定はされていないようだが)。

 一方、縄文農耕論もいろいろ進展があるようだが、弥生時代のように大規模ではないまでも、雑穀や栗、漆、エゴマなどは人間の手により作られていたことはほぼ確実と言われる。従って、自然に手を加え、人間の望む方向性(必要性の高いもの)を志向し、限定された穀物等を必要に応じて沢山採取したりする技術があったことは間違いないだろう。

 ならば、丘でなく海にもそれが等価変換されて養殖が行われても全くおかしくない。

 また、水産物加工所という考え方も、黒曜石発掘作業所、加工所が昔からあったのだから、加工という切り口で異なる対象物でも応用ができ、現実にあったわけである。

 酒も、原材料はニワトコだったり山葡萄酒だったりするが、確実にあったようだ。このあたりの技術は、発酵食材がほかにもいろいろあったことを想像される。干物など当然あったと思う。

 交通に関しても、丸木舟などの水上交通は盛んであったと思われるが、陸上はどうだったのだろう。同時代(縄文中期)にはメソポタミア等で馬や車などがあったが、日本ではどうだったか。諏訪周辺では同じ等高線上に村があり、これが運送等で大きな意味をもっていたのではないかという議論がある。ソリや荷車が酸性の強い日本の土壌の中では遺物は残りにくいが、輸送用の道具の可能性は高いのだと思われる。

 現代でも、真空管を作った技術を応用して魔法瓶ができたり、工学などではいろいろ応用されている。縄文時代も人間は物理的にさほど変わっていないのだから同じように様々な創意工夫があってもおかしくないと思う。

思考 7/10

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