「森さん、何で縄文時代に興味をもったんですか?」
縄文小説を書いているといろいろなところで言っていると、時々このような質問を受ける。縄文時代に関心を持つ人は多いと思うが、縄文小説にまで書くにいたるには、余程のことがあるのだろうと推察していただくのだろう。しかし、これがなかなか答えられない。かつて、企業でマーケティングをしていたころは、自分のテーマであれば、二時間でも十分でも一分でもきちっと語れるよう指導を受けたように思うが、テーマがテーマなのだろうか、混乱してしまう。
しかし、二時間でも十分でも一分でもきちっと語れるということは、ある意味真理であり、私も縄文小説を書きながら、あるいはプロローグを書きながら何で書いているのか、何を考えているのかを必死で考えている。そして、恐らく約2年の歳月を経て出版するころにうまく語れるようになるのだと楽観している。
自分が何を考えているのはっきりわからないというのは、ちょっとばかり情けないところであるが、生き甲斐の心理学を学んでいくと、まあそうだなと理論的にも納得できるようになる。
本格的な小説をかくということは、思いのほかたいへんなことで、自分のカバーしていなかった部分、考えてもいなかった部分に思いを寄せなければならないことが多い。その中でまとめていくのだが、まとまりにくい部分や逃げ出したい部分といったものにどう対処するかは実に心理学を学ぶ私にとって、客観的にも興味があることだ。思考の対象は、得意分野、まったくダメな分野、グレーな分野があるという感じであり、意識の世界だけでなく無意識の領域もあり、たいへんなようだ。
思考 1/10