この年末・年始は、読書では4冊の持統天皇をテーマとした小説を読んで過ごした。年末に罹ったノロウィルスのせいもあったが、不思議にも読書のせいで、ちょっと精神的に不安定な時期があった。
持統天皇は、古代の日本が成立したときに政治の中心にいた人物であるが、日本の文化(宗教や芸術)にも多大な影響を与えた方でもある。その持統天皇をどう解釈するか。小説家は、表面の古代謀略の歴史だけではなく、どろどろとした持統天皇の深層の世界に肉薄していく。その中で小説家の成育史からくる「信じて見えてくるもの」を持統天皇の「信じて見えてくるもの」の中に自然に投影してくるように思う。
それは、小説家により見えてくるものが慈愛や愛の場合もあれば、そうでない錯乱の世界もあったりする。
さらに、小説を読む自分も、小説家の影響を間接的に受け、普段の「信じて見えてくるもの」以外の世界も垣間見て錯乱してしまう。それが年末の不安定の原因だったようにも。
しかし、小説家や私はさておき、持統天皇は、謀略の古代世界を生き抜き、日本の土台作りに貢献したわけだが、ご本人の「信じて見えてくるもの」は何だったのだろうか?
私は、愛や慈愛が見えたのではと思う。壬申の乱で吉野に九死に一生のような状態で天武天皇と逃げたり、様々な人(身分の低い人たちも含め)と知り合う中で、「信じて見えてくるもの」=「愛」 ではなかったかと思う。その中で、血みどろな戦いをしつつ平和をもたらしたように思う。しかし、実に大変な人生だったと思う。
信じる 6/10