認知症のご老人に頻繁に接していた時、その方の何十年か前のよき時代に、あたかも今生きているような言動に合うことはしょっちゅうであった。そんなこともあり、私がもしも認知症になったら、どの時代に生きるのだろうかと、時どき考える。
青年期の一時かもしれない。何かの反動で必死に卒論の勉強していたころだろうか。会社の仕事にも自信をもち、結婚したころも候補だ。壮年期の仕事に脂ののった時期。マーケティングの仕事をやっていたころだろうか。仕事を信じ、仕事に生きていたころである。
ただ、良き時代と思っていたころでも、本当に何を信じていたかを後から考えると、意外と浅かったりする。人から言われたことを簡単に信じてしまったりする。そして、自己否定や他者否定を引き起こす傾向に無関心で、それがブレを産み、時が経つと良き時代は終わっている。
やはり、本当の意味で良き時代(世間的な成功とは違う)に生きるとは、自己実現のことを考えたり、長年の歴史の中で揉まれた伝統宗教や考え抜かれた思想を勉強することが大切なのではないか。それが、人生で何があっても、ストレスでさえ意味を持つ恩寵の世界に通じると思う。
因みに、自己実現のことを考えるとは。生き甲斐の心理学を学んで知ったのだが。①私は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、心(生育史)、魂を大切にしているか?以上3点なのである。回答のない、オープンな質問だが非常に良くできていると思う。考えることが重要なようだ。
受容⑥(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 6/30)
青年期の一時かもしれない。何かの反動で必死に卒論の勉強していたころだろうか。会社の仕事にも自信をもち、結婚したころも候補だ。壮年期の仕事に脂ののった時期。マーケティングの仕事をやっていたころだろうか。仕事を信じ、仕事に生きていたころである。
ただ、良き時代と思っていたころでも、本当に何を信じていたかを後から考えると、意外と浅かったりする。人から言われたことを簡単に信じてしまったりする。そして、自己否定や他者否定を引き起こす傾向に無関心で、それがブレを産み、時が経つと良き時代は終わっている。
やはり、本当の意味で良き時代(世間的な成功とは違う)に生きるとは、自己実現のことを考えたり、長年の歴史の中で揉まれた伝統宗教や考え抜かれた思想を勉強することが大切なのではないか。それが、人生で何があっても、ストレスでさえ意味を持つ恩寵の世界に通じると思う。
因みに、自己実現のことを考えるとは。生き甲斐の心理学を学んで知ったのだが。①私は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、心(生育史)、魂を大切にしているか?以上3点なのである。回答のない、オープンな質問だが非常に良くできていると思う。考えることが重要なようだ。
受容⑥(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 6/30)