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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの貧しさと、受け容れること!1/3(受容①)

2010-07-18 | 第十章「今ここでの恩寵」
 ゲゲゲの女房は、極貧生活がそろそろ終了し、昨日は貧乏神が退散していくシーンで終わった。物理的な貧しいというのも、確かに大変なことだ。貧乏神退散は素晴らしいことだ。ただ、こころの世界では貧しいことはどうなのだろう。先日まで、古層の愛を考える中で、だんだん気づいていったことがあった。

 聖書には、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである・・・」(マタイによる福音書5.3新共同訳)とある。どうも、物理的な貧乏とは生反対を向いているようだ(ちなみに、私はこの句が好きで、涙がでるときもある)

 中学の時に、隣に住んでいた高校生の従兄弟と過ごしていたときに、従兄弟は高校の先生から教わった話をしてくれた。どうも仏教を研究している先生のようで、次のような話だった(40年くらい前なのでかなり怪しい)。「黒板に 0 1 ∞(無限大)を書いて、人間はどうも1に向かってしまうが、その時は∞に至れない。0に向かうと∞に出会える。」。そんな話だった。凄い深淵なはなしだと感動して、今でも覚えている。

 こころの世界では、貧しいこと、0が大切にされる。私も自分の経験からして納得できる。また、心理療法やカウンセリングで良く言われる受容も、例えばロジャースも牧師を目指していた研究者であったりして、深いところで繋がっているのだと思う。受容は、こころが貧しい状態であることの別の言い方かもしれない。

 
受容①(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 1/30)

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