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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自己実現って何!(暮らしの中のカウンセラー⑰)

2010-07-04 | 第九章「愛」
 自己実現という言葉は、大学生のときにF先生から学んだ。マズローの5段階説で有名だが、自己実現を日常の中で具体的にどのように考えるのかということは、生き甲斐の心理学で始めて学んだ。簡単な3つの問いかけであり、時どき考えることで、何かリフレッシュする感じである。

1.自分は何のために生きているのか?
2.生き甲斐は何か?
3.自分(身体、こころ、魂)を大事にしているか?

 さて、この3つの問いかけは、ゴールの方向を目指す指針であるが、自己実現という言葉は、もう少し微妙なニュアンスがあると思う。「実現」という言葉がそれである。人間は限りある肉体を持ち、個体としては必ず死ぬ運命にある。その限りある人間が、実現する。という微妙なニュアンス。

 2-3年前に、森敦さんの「月山」を始めて読み終えた。30年以上の積読の歴史が終わったのだ。その森敦さんが1974年に書かれた「意味の変容」(ちくま文庫、これは15年くらい前に読んだのだが)を先日取り出してパラパラ読んでいたら、次の一節があった。

・・・

 しかし、かのマリアたちは耳をかさなかった。彼女らは知っていたのだ。死ぬということこそ、現実が現実であることを失って、まったき実現になることを。したがってまた、みずからも現実であることを失い、高次元空間への返還して、まったき実現になるとするその瞬間こそ、イエスと合一することができるということを。すなわち、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ?」とは、この合一における彼女らの恍惚の叫びでもあったといえるであろう。 (120ページより)

・・・

 因みにエリ・エリ・レマ・サバクタニとは、マルコ福音書にでてくる、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という有名な句であり、詩篇の中の一節の最初の言葉という解釈もある。今考えると、確かに不思議な変換点の意味を含有したのが、実現という言葉なのだろう。私のもやもやしたところを、上手く言語化していただいた。

 自己実現という言葉の意味が少し明確になってきた。生き甲斐の心理学でのカウンセラーの役割とは、クライアントの自己実現を援助すること。その意味も今日はもう一度深く考えてみよう。

 (このシリーズは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。U先生、ありがとうございます!)

暮らしの中のカウンセラー⑰(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 47/60)

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