仕事をバリバリこなしたり、大きな危機を信じられないように回避したり、後から考えると、あの時は何時もと違っていたと思うときがある。
その原因の解釈についても楽しい話題であるが(私はクリスチャンなので)、ここでは触れない。ここでは、絶好調の時の心理的な状況をより客観的に分析してみる。
絶好調の時は、明るい感情をシャワーのように浴びて過ごす時期かと何となく思っていたが、そうではないようだ。幸福な時というのは勿論あるが、それが自分の絶好調と同じではないだろう。
例えば、20歳台後半。関西にコンピュータの営業として単身赴任をしていたころ。関西流の商売にも馴れてきて、営業成績がぐんぐん上がった時があった。
そうしたときは、電話でお客様と話す中で、微妙な暗い感情を捕え、それを積極的に解釈し行動に的確に結びつけることをやっていたようだ。
今でいえば、センシビリティが鋭く、ちょっとした会話の中で、重大な商売の鍵(基本的に不安である)を嗅ぎ分け、電光石火で活動することができてたようだ。「生き甲斐の心理学」流に言えば、プロセススケール(カール・ロジャース)が高(感情と個人的意味付けなど)なのだろう。
若い頃は、まだ単純で動物的であったが、50歳台となり「生き甲斐の心理学」を勉強するようになってからは、さらに複雑な対応ができるようにもなってきた(ように思う)。
訓練で暗い感情を怖れなくなる中で、自分の中に湧き起こる瞬間的な暗い感情を熟考し、行動をとる。単なる頭で考えた理屈だけで行動することは、とかく失敗しがちであるが、自分の感情を見抜いての行動は重みがある。
自分の中にある、恐怖、焦り、嫉妬、嫌悪・・・こうした暗い感情は、自己実現(プラグマティズム的にこの言葉を軽く解釈しないで頂きたい。この言葉を作ったマズローさんも、本の中で嘆いていらした。)のための貴重なシグナルなのだろう。
忘れな草はちょっと淋しい花(川で溺れて亡くなる恋人のエピソードがある)であるが、私の思い出深いアラスカ州の州花でもある。暗い感情を大切にすること。もう一度考えてみたい。
<社会 3/8>
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