イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

神仏を信じる人の時間の感覚

2009-03-09 | 第五章「和解と平和」

 40歳代はさまざまなことがあったが、最大の経験はある日突然、神を信じるようになってしまったことがある。もともとキリスト教徒(カトリック)の母により、幼児洗礼を受け、中学生時代くらいまで教会に熱心に通っていたが、高校生くらいからは懐疑的になり、大学生のころは信じられなくなっていった。

 従って、幼い頃から:神を信じるー>信じない(信じられない)ー>信じる という世界を経験したようだ。

 世の中には、神仏を信じる人と信じない人の心理的相違を厳密な学問的な対象とする研究分野がある。そして、私も心理学の1分野として大変興味を持っている。どこが違うのだろうかと時々思索する。

 その中で、自分で感じる心理的相違点のひとつが、時間に関する感じ方である。

 神を信じない頃は、神の世界や1000年前、2000年前といった世界は遠い世界。信じてからは、亡くなった父や祖父母たちを身近に感じるように、遠い昔の世界もより身近に感じられる。

 時間が、のっぺりした一方通行道路ではなく、メビウスの輪のような不思議なもののように感じられる(うまく表現できないが)。

 この2-3日、DNAの研究成果などを楽しんでいる。DNAの研究の成果で、人類史がよりリアルに解明されてきているようだ。そして、単なるひとごとの過去ではなく、自分のDNAを刻んできた生身の過去と感じられるようである。

 DNAによる歴史・考古学への興味も、神仏を信じる世界と関係があるように思う。

<祖先との対話 3/4>

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