この2-3日、恩人について自分のことを振り返ったり、あるいは人から恩人についての話を伺ったりした。
恩人との関わりの中から、日常的な会話とちょっと違う、カウンセリングとか傾聴の意義について思索する意味もあるが、もうひとつ恩人のもつ何か?を考えるきっかけとなった。
それは、恩人の人間観かもしれないし、世界観かもしれない。あるいは、もっと生々しいものかもしれない。
そして、その中に打算ではなく、純粋な無償性を感じる。それは、深いところから感動を与える。
さて、心に浮かぶ恩人はいろいろあるが、自分の娘がもうじき子供を産むことになり、母が子を産むことの大変さを最近考えるようになった。
今はかなり医療技術が発達したものの、母は命や身体への負担やを賭して子を産む。現世人類の歴史の中で、何千回(一説によると6000回)も母は命を賭して子を産み、子は母となりまた子を産む(ミトコンドリアの遺伝子で母系の連鎖が引き継がれる・・・)。そして、この私が生まれてきた。
見方によれば、命を賭すという無償性の中から、自分は生きている。
<家庭 4/6>
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!