昨日の夕方、高幡不動尊のアジサイを観に行った。休日でもなく、見物客もいない月曜日の夕方で、咲き始めたアジサイが初々しかった。
アジサイというと、青春時代に読んだ、三好達治氏の「乳母車」をいつも思い出す。
母よ--
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並木のかげを
そうそうと風のふくなり
こんな風に始まる詩に何故感動してきたのか、考えてみる。やはり、自分の愛の原型とどこか触れ合うところがあるのだと感じる。幼い頃に住んでいた家にもアジサイが咲いていた。
人それぞれ、愛の原型があり、それが大人になってからも、様々な形で影響を与える。5年前につとめなれた会社を辞めて、福祉や社会教育の道に入ったのも、恐らくそうした影響があるのだろう。
もうひとつ、自分のこころの防衛機制の問題が生き甲斐等に影を落とす側面もある。フロイトの14の防衛機制としての、補償などである。この場合、長期的にみると必ずしも良いことばかりでない。職業選択での難しい一面でもある。
昨日は、アジサイを見たあと、友人と雑談をした。秋葉原の事件のことであったが、いつもは余り見ない報道番組を見たり、YouTubeで映像を確認したりした。愛の孤独に関わる悲しい話でもある。アジサイの季節であるというのに。
そして、生き甲斐の心理学の普及のことを想った。
<日3/4>
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