イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ねむの木のように眠る懐かしい人たち!

2008-06-06 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 50台後半になった今、あまり夢を見ない私だが、今朝は懐かしい人の夢をみた。そして、夢の中で、この方はもう亡くなっていると気づき、驚いて目覚めた。

 想えば、私が幼かったころの大人の多くは、今では年老いているか亡くなっている。当時お年寄りだったかたは、当然のように亡くなっている。

 近所の、祖父母、軍医だった頼りがいのあるホームドクター、御隣の優しいおばあさん・・・

 夢の中で観たのは誰だったのか、はっきりしないが、懐かしい方との優しさに満ちた空間の記憶は、目覚めてもここちよい。先日町田で観た、まだ花は付けていないが、ねむの木のように慈愛にあふれている。

 幼い頃に、死別した経験は、時に心のキズになることがあるようだ。私の場合は、8歳のころに亡くなった、隣に住んでいた祖母だったようだ。まだ大人のように死の意味が判らず、葬儀の時も他人事のようなところがあった。沢山の従兄弟たちとの出会いが楽しかった。

 ただ、幼かった私の、祖母の死の解釈はどうだったのか興味があるところだ。多くの記憶は無くなっているが、どうも幼いなりにどこか罪悪感を感じ大人になってからも引きずっていたようだ。

 祖母が亡くなる前、体調の悪かった祖母は気分的に落ち込んでいたこともあるのだろう、幼かった私と喧嘩をした。その時、私はある種の感情転移もあったのだろう強烈な、烈火のような罵詈雑言を祖母に浴びせた。マイナスの自己イメージ。

 今から考えると、子供のころの解釈は偏りすぎているようだ。状況から考えれば、無理もないことでとはないか。そのことを以前母と話たところ、祖母も気にはしていたが、大人の見解を示していたそうである。解釈が変わると自己イメージも変わってくる。

 今朝の夢は、祖母だったのだろうか?

<火3/4>

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尚、このブログは次を参考にしています。

生き甲斐の心理学
植村 高雄
ユースフルライフ研究所

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