約50年前に開催された東京オリンピックを思い起こす時、2020年の東京オリンピックには隔世の感がある。
オリンピックに期待する精神は、「アマチュアリズムではなかったか。
プロとは完全に別世界であったように思う。少なくても保健体育の教科書では、そのように記されていた。
回を重ねるにしたがって、派手になり、放映権の昂騰・コマーシャリズムにアマチュアリズムが歪められてきたように思う。
国費を何兆円も投じて開催すべきか。勝敗に拘り過ぎる傾向は果たして正しい道なのか。
2020東京オリンピックに水差すつもりはないが、クーベルタン男爵の精神に沿うものか、多分方向は違ってきているのではないか。
今一度オリンピックムードに乗せられないで、原点に立ち返ってみたい。基本的のスポーツとは楽しい「遊び」であったことを忘れてはならない。
勝負に拘り過ぎると、スポーツ界に見られる「不祥事」につながる。
能 登 の 国 分 寺 跡
最新の画像[もっと見る]
- 暑中お見舞いとお詫び・・・ 4年前
- オーバーシュート(爆発的感染)が始まっている… 4年前
- 広島に原爆が投下されて三四半世紀が・・・ 4年前
- お国柄アラカルト・・・ 4年前
- コマーシャルの低俗化・・・ 4年前
- 大自然の見えざる秩序が破壊される・・・ 4年前
- 新聞は、社会の木鐸というが・・・ 4年前
- 日本人は清潔好き・・・ 4年前
- 庶民の暮らしの中の文化遺産を・・・ 4年前
- ペットに癒される・・・ 4年前