+3Kの牛の如く

前に向かってひたすら歩く。
感動し、希望を胸に、明るく楽しく元気に。
大地を踏みしめて歩く。牛の如く。

祖母山へ

2009年07月25日 | 祖母・傾山系
祖母山に登ってから1週間が経ってしまった。
先に「祖母山から古祖母山へ」と題して書いたが消化不良な点もあり、少し書き加えることにした。
当日は、予定より早く5時を少し回ったころ家を出て、るんるん気分で多久インターに向かっていた。色々準備したものを頭の中で確認していると、どうも靴を積んだ記憶がない。車を止めて荷台を確認した。悪い予感が的中、靴はなかった。
祖母山に登り古祖母山まで歩くのに登山靴がないのは言語道断。早速引き返すことになった。
そんな失態を演じて1時間遅れで高速道路に乗った。去年の苦い経験を考えて早めに家を出たつもりだったが、結局は予定時間通りの時間になってしまった。
この靴事件で心理的には冷静さを欠いたのかもしれない。途中で停まる予定のコンビニを通り過ぎてしまった。原尻の滝を過ぎて必死に探して漸く酒屋を見つけた。何といっても必需品の山小屋で飲むビールが調達出来た。結果的には、余分な買い物をしなくて良かったかもしれない・・・。
10時30分に尾平登山口の駐車場に着いた。奈良、姫路、福岡、香川、大分の車が停まっていた。
10時50分登山届けを出して出発した。正面に険しい山々の稜線が広がっていた。

600mの表示を過ぎて間もなく黒金尾根コースと分かれ、宮原コースへと続くつり橋を渡った。

橋を渡って、今日は林道コースではなく時間がかかるという尾根コースから山頂を目指した。
11時29分800m、11時58分900mと順調に登って行った。
 
12時10分突然に二合目の標識が現れた。300m以上登った挙句が二合目という表示に、まだ二合目?という一種の落胆を覚えてしまった。

気を取り直して更に歩みを続ける。12時24分三合目の表示と1000mの表示が現れた。

更に20分ばかり登ると、1100mの表示があり、傾山や烏帽子岩、障子岳や天狗岩方面が見渡せる所に出た。



13時11分1200mに到達。この辺りから苦い思い出が再現して来た。そう足が少し攣り始めた。結果、1300mに着いたのは13時47分。この間36分も費やしていた。

何とか痙攣を抑えて、とにかく宮原までを先ず急いだ。14時08分1400m地点宮原に辿り着いた。

此処まで来ると順調に行って70分余りで山小屋に辿り着くとの目算があったので、足の痙攣を抑えながら時間をかけて、また景色を堪能しながら歩こうとペースを緩めた。
14時30分、前の背に差し掛かった。谷を挟んで古祖母山が綺麗な稜線を見せた。

14時48分、馬の背の手前に差し掛かった。目の前に天狗岩が大きく見えてきた。

暫く行くと馬の背に達し祖母山が目の前に山頂を大きく表してきた。

馬の背にはギボウシが咲いていたが、足を曲げる余裕がなく写真は取らなかった。
後僅かの頑張りで山小屋到着ということで最後は幾分スピードだ上がった。
15時30分、九合目山小屋「あけぼの荘」に着いた。

小屋には一番乗りであった。管理人に宿泊の手続きをして、水場まで行って冷たい水を頭から浴びて一先ずクールダウンした。
その後、明日はどうも曇りのようだと聞いたので、それなら今日のうちに祖母山の山頂を踏もうと、カメラと水を持って出かけた。
山頂に上がると先ず、三角点に挨拶した。しっかり一等三角点の文字が刻まれていた。


再び小屋に戻って、小屋周辺に咲いているというオオヤマレンゲを見に行った。もう終盤かもしれないが、可憐な天女花が咲いていた。今年初めて見て、猟師山に続いて2回目である。夜になって分かったことであるが、小屋の二階からはライトアップされたオオヤマレンゲを見ることが出来た。

17時過ぎると続々と登山者が上がってきた。7名パーティが最高で、単独も二人、結局22名の宿泊客となった。
一足早く17時30分頃には祝杯を挙げた。

そのうち他のパーティも夕餉の宴会が始まった。

私は、宮崎から来たという二人連れと意気投合して彼らからホルモンのゴウヤチャンプルなど頂いて、焼酎を煽った。年を聞くと同年齢ばかり。旧知の仲のような会話が弾んで夜は更けていった。
最後は、7人パーティからも雑炊が回ってきた。これも有難く頂いた。お陰で夜は酒のツマミだけこしらえて終わってしまった。
延々と飲んで話した時間が過ぎて、9時にはシュラフに潜り込んだ。言うまでもなく朝まで爆睡であった。
山仲間との新しい出会いも山登りの楽しみの一つである。同じ山に、辿る坂道は異なっても、頂に至るきつい道程があったという共通の認識が生まれて、殻を破ることが出来るのかもしれない。そんな感慨と感動を覚えた一日であった。

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