29日は、佐賀県勤労者山岳会連盟の「セルフ・レスキュー講習会」が開催された。
からつ労山からは会長始め6名が参加した。私は、昨年の講習会は所用があり不参加であったので、今回が初めてであった。
講習会は、23名が参加して3名のプロの山岳ガイドを招いて講義と実習の2部構成で行われた。
1部の講義では、「登山事故の防止のために」と題して資料をもとに事故防止の考え方についてまず学んだ。
中でも九州ブロック . . . 本文を読む
25日から今日まで、昔の職場の支店を訪問してきた。
目的は、今の会社のギフト商品の案内、つまり営業である。
このような形で訪問するのは、去年の冬と今年の夏に続いてであり、
私の目的は十分後輩たちは理解している。
表面的には営業であるが、私は後輩たちの活躍する話、あるいは苦労話を聞くのが本来の目的と言ってもいいくらいである。それは、聴くことで『激励に変えたい』からである。
今回の訪問で感じたことは、 . . . 本文を読む
11月23日からつ労山の『楽しくやろう会』が開催された。
今回で5回目ということだが、私は2回目の参加である。
去年は、入会したばかりで仲間の顔と名前すらはっきりしない中での参加で、全てが受身であった。
ただ、二部の忘年会では美味しいお酒を沢山頂いたことだけは記憶があるが・・・。
しかし、この1年の私の変化は我ながら驚くばかり。2回目の今回はすっかり自分の居場所を見つけたかの如く、一部演芸会、二 . . . 本文を読む
「弥山に登らずして宮島を論ずる勿れ」とか「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」とか言われている。前者は古くから島そのものが神として崇拝され、加えて弘法大師が開基したゆかりの古刹が点在する様を見て、まさに信仰の島を言っていると思う。後者は弥山山頂からの景観の素晴しさを体感するならば、日本三景と言われる所以が理解できると言いたかったように思う。
後者の方は、途中の駒ヶ林や弥山山頂からの眺めで実感でき . . . 本文を読む
厳島神社の西回廊入口を過ぎると観光客の姿は見えなくなった。我々は、神社の裏を周るように大元公園に向かった。
暫く進むと大元コースの登山口に着いた。標識の「もみ自然林、弥山登山、大元神社」の方向に進む。
直ぐに「大元大明神」と記された社があった。
公園内の標識に従って弥山、駒が林方向に少しずつ高度を上げていった。
歩いていると標石があるのに気付いた。
途中番号が飛んでいる所があったが、標石の . . . 本文を読む
11月15日に実施されたからつ労山月例山行は、「深まるあき(秋・安芸)の紅葉狩り」と題して『弥山(宮島)』(535m)登山であった。
日本三景の一つ「安芸に宮島」として聞いてはいたが今回が初めての訪問である。行く前に少しは予備知識をと思ってネットで調べてみると「世界文化遺産」とか「厳島神社」とか「国重要文化財」とかの文字が飛び込んできた。
更には、年間300万人近い観光客が来る「日本国内旅行の定 . . . 本文を読む
いよいよ今日は「出雲大社」詣でである。キララコテージから30分ほど掛かるらしい。
キララビーチラインを走っていると不思議な光景が眼に飛び込んできた。
道路沿いの松が海に背を向けて枝を伸ばしていた。家の周りを防風林ならぬ防風棚を廻らしているところばかりである。
やはり冬の海からの北風は尋常ではないようだ・・・。
程なくして出雲大社大駐車場に着いた。既に駐車場は満車状態であったが何とか入れてもらった。 . . . 本文を読む
「見晴らしの丘公園キララコテージ」の入口はキララビーチに面した丘の上にあった。
下の写真は朝から撮ったものである。
19時半頃、多伎いちじく温泉から帰って早速夕食バーベキューの準備に男達は取り掛かった。
バーベキューハウスは小高い丘の上に設けてあった。
遅かったせいか二組のグループがいたが彼らは終盤に差し掛かっていた。
我々の炭も真っ赤に火がついた。いよいよバーべキューの開始である。
この後 . . . 本文を読む
10月23日の夕方佐世保を出発した車は、19時過ぎに私を多久インターで拾って一路鳥取県米子市の「シャトーおだか」を目指した。
20時30分には関門海峡大橋を渡っていよいよ山陽自動車道へと進んでいった。
後は途中で広島自動車道、中国自動車道を経由して、最後は米子自動車道の終点・米子インターチェンジまで行くと宿泊場所の「シャトーおだか」は直ぐ近くということであった。
今日は伯耆大山の想い出の一つとして . . . 本文を読む
伯耆大山の紅葉を堪能して辿り着いた所は、大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃおくぐう)であった。
伯耆大山は中国地方屈指の霊峰であり、修験の僧が海抜9百メートル超の大山の地に登り、そこに修験の場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが大神山神社奥宮の始まりとされている。先日案内した「山ノ神」祠は遥拝所があった場所と言うことである。
「出雲国神仏霊場公式ホームページ」には「神体山の大山には主神と . . . 本文を読む