出会いと離別は・・・・これ以上 その人の人生に大きく影響を与える事は無いと思う このブログで売れない作家として紹介している人 その人は山帽子の父です 父の一言が父の人生の分岐点なったに違いない 父の子の6人と母は小船で嵐の大海を航海させられたのである
山帽子の父は公務員時代に母と結婚したようである 仕事をそっちのけで 眠る時間を惜しんで学生時代から続いている文学に没頭したようです やがて肺病になり、樺太から、現在の東京都の八王子に命かながら、引き上げてきたようです その後も文学が捨てきれず、文学活動をしていたそうです ある時 父から山帽子は40~50ページの原稿を渡されました 父の話によれば、これはあくまで父の話である 宇野浩二先生の強力な推薦があり、京都新聞に連載される小説の原稿のようでした 『ここまでは良く書けている』『後は私が新聞連載に出来るように手直しをする この先を書き続けなさい』と言われたそうである 宇野浩二さんは父の先生である この先生の一言で父は怒りが爆発したようである 『直されるくらいなら、お断りをします』 京都新聞の連載は無くなった
『一言は重いのである 一言が人の人生を左右するのである』
宇野浩二先生の立場にしてみれば、この手直しは一番弟子である父に対する愛情表現 推測であるが、大変な編集作業を買って出てくれたに違いない・・・・真っ直な愛って 真っ直ぐ伝わら無いものらしい
昨日 『池と小川』周りの芝生の補修作業中にお爺ちゃんが久しぶりに家庭菜園場に向った 山帽子が池周りに移植した樹木の経歴を教えてもらえるようにお願いした 山帽子が家に戻るとお爺ちゃんから パーマン2号は優しくって 強いから 本当に良いお嫁さんに成れるよ と言ってくれました 山帽子は自分の結婚式の事を思い出しました 父の短歌を母が朗詠してくれた映像が浮かんで来ました
『うらうらと 照ろう光に 立つ二人 美しくして うれしかりけり』 この先パーマン2号に縁あって 結婚式の日を迎えたならば、山帽子とミッチョン桜は二人揃って『うらうらと・・・・・』山帽子の父の短歌を朗詠するつもりでいます 今日も朝早くから、パーマン2号は介護の仕事に出かけたようです 子供の中で肉体的な頑健さは最も劣っているパーマン2号 本当に日夜頑張っているようです・・・ね
2009-1-23 山帽子
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