●アマテラスは何者?
アマテラス(『古事記』では天照大御神、『日本書紀』では天照大神。以降、特別な意図がない限りにおいて天照大神と記します。)はいったい何者なのか、なぜ女神なのか。今回はこの疑問に対する自分なりの答えを出してみようと思って学習を開始しました。私の人生において天照大神を知ってからここに至るまでの経緯は次のような次第です。
幼少の頃、「かみさまのおはなし」という絵本を幼稚園で買ってもらった記憶があります。天の岩戸や因幡の白兎の話が載っていたと思います。その絵本に登場する天照大神は女神でした。それ以来、天照大神が女神であることに何の違和感も持たずに生きてきました。生まれてこの方、ずっと大阪に住んでいる私の小学校のときの修学旅行はお決まりの伊勢志摩方面。中学生の時に式年遷宮があって、その後すぐに新しい内宮を家族と参拝しました。大学生、社会人になってからも、お手頃な観光地である伊勢には車で何度も出かけては伊勢神宮を参拝しました。小学生の頃からここに天照大神が祀られていることは知っていたし、それが女神であることもわかっていましたが、そこに特別な意味があることなど知る由もありませんでした。
ところが数年前のあるとき、本屋さんで『誰が天照大神を女神に変えたのか?(武光誠著)』という本を見つけて、「えっ?天照大神はもとは男だったの?」と頭の上に「?」がいくつも並んだのです。それでその本を買って読んでみたのですが、今ひとつよくわからず、というか痒いところに手が届かず、読後はそのまま放置していました。
その後すぐくらいのタイミングで、とある大学の公開講座を受講しました。友人の紹介で知り合った宗教哲学の先生の講座で、古代の祭祀やそれにまつわる神社や神様を学ぶ非常に価値ある機会だったのですが、このときに伊勢神宮や天照大神の話に関連して『アマテラスの誕生(筑紫申真著)』という本が紹介されたのです。さっそく買って読んでみると、先生の講義と重なるところもあって大変面白く、天照大神や伊勢神宮に関する知識がグンと増えました。
そして今から一年前の2021年5月、車中泊旅で名古屋から大阪の自宅に戻る途中、三重県津市に住む奥さんの友人宅を訪ねることになりました。私はお会いするのは初めてだったのですが、このときを機にFacebookでつながることになり、ブログも見ていただくようになりました。そして古代史好きな私に「神島で毎年元旦の早朝に行われるゲーター祭りは古代史と何か関係あるのかな」と質問がとんできました。実はこの友人、ゲーター祭りが行われる神島の出身なのです。ゲーター祭りのことは前述の公開講座でも聴き、『アマテラスの誕生』にも書いてあったにも関わらず、すぐに返答できませんでした。
年が明けて今年の1月、古代史コミュニティ「古代史日和」のオンラインサロンの企画で、天孫降臨神話に登場する鹿児島の笠沙岬(野間岬)や伊勢神宮別宮の瀧原宮へ行ったときのことを紹介する機会がありました。その発表に際しての質疑応答対策として事前にいろいろと調べて整理するうちに、あらためて天孫降臨神話や伊勢神宮、それに関連してゲーター祭りへの興味が高まりました。
そんな経緯があって「天照大神」を詳しく調べようと思い立ったのです。そして、専門家の書籍や論文を読んでいくうちに、天照大神のことを知ることは即ち伊勢神宮の成り立ちを知ることに他ならない、ということがわかってきました。天照大神に関する書籍や論文を読むと必ず伊勢神宮のことに多くの文字数が費やされていますし、伊勢神宮の成立を考える際にも天照大神は避けて通れないようです。そういうことで、今回の学習テーマを「天照大神と伊勢神宮」として少し幅を広げて自分の考えを作ってみたいと思います。
次回以降、わたしが読んだ天照大神や伊勢神宮に関するいくつかの書籍や論文の内容について、それぞれの著書からの引用を用いながらダイジェスト的に紹介しますが、他の専門家からの反論やわたしの意見、疑問などを挟んだ文章になることをお断りしておきます。
<伊勢神宮の位置>
(国土地理院Webサイトより)
(つづく)
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
アマテラス(『古事記』では天照大御神、『日本書紀』では天照大神。以降、特別な意図がない限りにおいて天照大神と記します。)はいったい何者なのか、なぜ女神なのか。今回はこの疑問に対する自分なりの答えを出してみようと思って学習を開始しました。私の人生において天照大神を知ってからここに至るまでの経緯は次のような次第です。
幼少の頃、「かみさまのおはなし」という絵本を幼稚園で買ってもらった記憶があります。天の岩戸や因幡の白兎の話が載っていたと思います。その絵本に登場する天照大神は女神でした。それ以来、天照大神が女神であることに何の違和感も持たずに生きてきました。生まれてこの方、ずっと大阪に住んでいる私の小学校のときの修学旅行はお決まりの伊勢志摩方面。中学生の時に式年遷宮があって、その後すぐに新しい内宮を家族と参拝しました。大学生、社会人になってからも、お手頃な観光地である伊勢には車で何度も出かけては伊勢神宮を参拝しました。小学生の頃からここに天照大神が祀られていることは知っていたし、それが女神であることもわかっていましたが、そこに特別な意味があることなど知る由もありませんでした。
ところが数年前のあるとき、本屋さんで『誰が天照大神を女神に変えたのか?(武光誠著)』という本を見つけて、「えっ?天照大神はもとは男だったの?」と頭の上に「?」がいくつも並んだのです。それでその本を買って読んでみたのですが、今ひとつよくわからず、というか痒いところに手が届かず、読後はそのまま放置していました。
その後すぐくらいのタイミングで、とある大学の公開講座を受講しました。友人の紹介で知り合った宗教哲学の先生の講座で、古代の祭祀やそれにまつわる神社や神様を学ぶ非常に価値ある機会だったのですが、このときに伊勢神宮や天照大神の話に関連して『アマテラスの誕生(筑紫申真著)』という本が紹介されたのです。さっそく買って読んでみると、先生の講義と重なるところもあって大変面白く、天照大神や伊勢神宮に関する知識がグンと増えました。
そして今から一年前の2021年5月、車中泊旅で名古屋から大阪の自宅に戻る途中、三重県津市に住む奥さんの友人宅を訪ねることになりました。私はお会いするのは初めてだったのですが、このときを機にFacebookでつながることになり、ブログも見ていただくようになりました。そして古代史好きな私に「神島で毎年元旦の早朝に行われるゲーター祭りは古代史と何か関係あるのかな」と質問がとんできました。実はこの友人、ゲーター祭りが行われる神島の出身なのです。ゲーター祭りのことは前述の公開講座でも聴き、『アマテラスの誕生』にも書いてあったにも関わらず、すぐに返答できませんでした。
年が明けて今年の1月、古代史コミュニティ「古代史日和」のオンラインサロンの企画で、天孫降臨神話に登場する鹿児島の笠沙岬(野間岬)や伊勢神宮別宮の瀧原宮へ行ったときのことを紹介する機会がありました。その発表に際しての質疑応答対策として事前にいろいろと調べて整理するうちに、あらためて天孫降臨神話や伊勢神宮、それに関連してゲーター祭りへの興味が高まりました。
そんな経緯があって「天照大神」を詳しく調べようと思い立ったのです。そして、専門家の書籍や論文を読んでいくうちに、天照大神のことを知ることは即ち伊勢神宮の成り立ちを知ることに他ならない、ということがわかってきました。天照大神に関する書籍や論文を読むと必ず伊勢神宮のことに多くの文字数が費やされていますし、伊勢神宮の成立を考える際にも天照大神は避けて通れないようです。そういうことで、今回の学習テーマを「天照大神と伊勢神宮」として少し幅を広げて自分の考えを作ってみたいと思います。
次回以降、わたしが読んだ天照大神や伊勢神宮に関するいくつかの書籍や論文の内容について、それぞれの著書からの引用を用いながらダイジェスト的に紹介しますが、他の専門家からの反論やわたしの意見、疑問などを挟んだ文章になることをお断りしておきます。
<伊勢神宮の位置>
(国土地理院Webサイトより)
(つづく)
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