2018年5月25日の南九州実地踏査の第三弾。
野間岬、野間神社と立て続けに精神的に疲れる踏査となり、鹿児島からここまでの走行距離は100キロほどなのに結構くたくた。野間岳を下りてきて海岸沿いの国道を走りながらホッとした気分で次の目的地に到着。しかし、その気分もほんの束の間でした。
「神代聖蹟 瓊瓊杵尊駐蹕之地」は宮ノ山遺跡にあるという。瓊瓊杵尊が降臨してこの地で木花咲耶姫を娶ってここに宮を設けて一時的に滞在したことから瓊瓊杵尊駐蹕之地、または笠沙宮跡とも呼ばれている。実は笠沙宮跡は別のところにもあって、そこにも行ってきたので別稿で紹介します。宮ノ山遺跡は有史以前の日本最古の遺跡。土器も出ていないので縄文時代よりも前の先土器時代。石器が出たとも書かれていない。
道路わきの空き地に車を停めると道路を挟んだ向かい側に「神話のふる里」の石碑。
背後にはさっき登った野間岳が見えてます。
ここが宮ノ山遺跡の入口で右手の階段をあがっていく。ここまでは神話のふる里のイメージでのどかな雰囲気。
しかし、この先はもう登山そのもの。それもそのはず、ここは野間岳の登山道の入口を兼ねていた。登山道の脇に次々と遺構が現れる。
そして全身が汗にまみれる頃にようやく。
ここが瓊瓊杵尊駐蹕之地。
たしかに古代人がこの山の斜面に住居を構え、墓を設けて集落を形成していたようすは遺構から理解できる。しかし、神話の世界とほど遠いイメージ。平地のほとんどない海岸沿いの急な山の斜面だから、ここの住人はおそらく漁撈を生業とする海洋民だろうな。その点においては大陸から東シナ海を渡って来た天皇家の祖先とおんなじなんだけど。
さらに上へいくと3つめのドルメン。ドルメンとは支石墓のことです。
これを見ると、古墳の石室の原型ということになるかな。
宮ノ山遺跡の範囲はここまでで、これ以上は純粋に登山道。
ここまでで汗だくに。ズボンもドロドロに。山を降りると海からの風が心地いい。
この島は野間岬の展望所から見えていた島です。天気が良ければここからの夕陽の眺めは最高だろうな。
あとで調べるとすぐ近くの黒瀬漁港には「瓊瓊杵尊上陸地の碑」というのがあったらしい。行っておけばよかった。それでも、たいへんな踏査となりましたが、かなりの充実感でした。
野間岬、野間神社と立て続けに精神的に疲れる踏査となり、鹿児島からここまでの走行距離は100キロほどなのに結構くたくた。野間岳を下りてきて海岸沿いの国道を走りながらホッとした気分で次の目的地に到着。しかし、その気分もほんの束の間でした。
「神代聖蹟 瓊瓊杵尊駐蹕之地」は宮ノ山遺跡にあるという。瓊瓊杵尊が降臨してこの地で木花咲耶姫を娶ってここに宮を設けて一時的に滞在したことから瓊瓊杵尊駐蹕之地、または笠沙宮跡とも呼ばれている。実は笠沙宮跡は別のところにもあって、そこにも行ってきたので別稿で紹介します。宮ノ山遺跡は有史以前の日本最古の遺跡。土器も出ていないので縄文時代よりも前の先土器時代。石器が出たとも書かれていない。
道路わきの空き地に車を停めると道路を挟んだ向かい側に「神話のふる里」の石碑。
背後にはさっき登った野間岳が見えてます。
ここが宮ノ山遺跡の入口で右手の階段をあがっていく。ここまでは神話のふる里のイメージでのどかな雰囲気。
しかし、この先はもう登山そのもの。それもそのはず、ここは野間岳の登山道の入口を兼ねていた。登山道の脇に次々と遺構が現れる。
そして全身が汗にまみれる頃にようやく。
ここが瓊瓊杵尊駐蹕之地。
たしかに古代人がこの山の斜面に住居を構え、墓を設けて集落を形成していたようすは遺構から理解できる。しかし、神話の世界とほど遠いイメージ。平地のほとんどない海岸沿いの急な山の斜面だから、ここの住人はおそらく漁撈を生業とする海洋民だろうな。その点においては大陸から東シナ海を渡って来た天皇家の祖先とおんなじなんだけど。
さらに上へいくと3つめのドルメン。ドルメンとは支石墓のことです。
これを見ると、古墳の石室の原型ということになるかな。
宮ノ山遺跡の範囲はここまでで、これ以上は純粋に登山道。
ここまでで汗だくに。ズボンもドロドロに。山を降りると海からの風が心地いい。
この島は野間岬の展望所から見えていた島です。天気が良ければここからの夕陽の眺めは最高だろうな。
あとで調べるとすぐ近くの黒瀬漁港には「瓊瓊杵尊上陸地の碑」というのがあったらしい。行っておけばよかった。それでも、たいへんな踏査となりましたが、かなりの充実感でした。