古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

籠神社・真名井神社(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.12)

2017年03月24日 | 実地踏査・古代史旅
 丹後半島を一周してついに念願の籠神社へ到着。京都府宮津市大垣にある丹後国一之宮で祭神は彦火明命。真名井神社との関係で由緒がややこしかったので籠神社のWebサイトをもとに改めて整理すると次のようになる。

【神代】
 ・彦火明命が真名井原にて豊受大神を祀っていた(吉佐宮と呼ばれていた)
【崇神天皇の時】
 ・天照大神が大和の笠縫邑から真名井原の吉佐宮に遷された(豊鍬入姫命による)
 ・その後4年間、天照大神と豊受大神が一緒に祀られていた
【垂仁天皇の時】
 ・天照大神が伊勢に遷された(倭姫命による)
【雄略天皇の時】
 ・豊受大神が伊勢に遷された(天照大神のお告げによる)
【飛鳥時代】
 ・宮名を吉佐宮から籠宮と改めた
【養老三年(719年)】
 ・真名井原から現在の地に遷宮されて現在の籠神社が創建された
 ・主祭神を海部氏の祖神である彦火明命とし、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀って創祀した
 ・真名井原では遷宮後も祭祀が続けられ「真名井神社」と呼ばれるようになった

 籠神社の宮司家は海部氏であり、真名井神社(吉佐宮)を創建した彦火明命は海部氏の始祖とされる。つまり現在の籠神社は海部氏が自らの祖先を祀っていることになる。彦火明命(天火明命)は日本書紀では瓊々杵尊の兄(一書では父)とされ天孫族になる。先代旧事本紀では物部氏の祖である饒速日尊と同一神とされ、この立場に立てば海部氏は物部氏と兄弟氏族ということになる。このあたりの謎は今後も時間をかけて解いていきたい。

立派な一の鳥居。


きれいな参道。百度石まで立派。


重厚感ある二の鳥居。カネあるなぁ、なんて下世話な感想。


由緒。これまた立派。


この神門から先の境内は撮影禁止。



 近くの丹後郷土資料館へ行けば海部氏系図や海部直伝世鏡などの宝物のレプリカを見れると聞いたが、真名井神社へも行きたいし時間的に厳しかったのであきらめざるを得なかった。もともと厳しいスケジュールだったのでやむを得ない。籠神社が開いている時間に到着しただけでOKだ。拝殿で拝んでから徒歩で真名井神社へ移動。

 真名井神社は残念ながら改修工事中。

一の鳥居かな。


真名井の御神水。


真名井原の縁起。ちょっとピンボケになってしまった。




二の鳥居から本殿への参道。


磐座。本殿はすでに取り壊されており、磐座ともどもシートで覆われてしまっていので撮影できたのはこれだけ。。



参拝を終えて戻る途中、海面から空に向かって伸びる大きな虹がくっきりと見えた。明日はいいことあるぞ。


籠神社、真名井神社の参拝を無事に終え、初日の最後の目的地である大風呂南墳墓群へ向かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする