古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

遠所遺跡(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.7)

2017年03月19日 | 実地踏査・古代史旅
 ニゴレ古墳のあと、すぐ近く遠所遺跡へ。遺跡は京丹後市弥栄町の西端、ニゴレ古墳の南側の谷奥にある。

 遺跡の手前まで行こうと広い道から田んぼ道に入った瞬間、突然にギンギンガリガリと車が叫んだ。何が起こったのかすぐに判らなかったが、運転していたOさんは事態を把握していたらしく落ち着いた口調で「車の腹をこすった」とおっしゃった。そうだとしたらタダでは済んでいないはず。どこかが損傷していてもおかしくないほどに異様な金属音だった。とりあえず遺跡の手前まで行って車を停め、状況を確認したが、とくに問題はなさそうであった。田んぼ道は轍が深く、たしかに腹を擦ってもしかたがないか、と。しかし帰りも繰り返すわけにはいかない。轍を避け、なおかつ横の田んぼに落ちないよう、細心の注意で運転してもらった。

 遠所遺跡は5世紀末頃から13世紀頃まで長期間にわたり利用された一大製鉄コンビナート遺跡である。古墳時代後期(6世紀後半)と思われる鍛冶も確認されているが、奈良時代後半(8世紀後半)においては原料(砂鉄)→製鉄→精練→鍛練→製品までの一貫した生産体制てあったことが明らかとなっている。鉄生産の各工程を知ることのてきる遺跡は非常に珍しい。鍛冶炉付近からは、小割にした刀や研ぎ減りした刀子なども出土しており、使用された鉄製品を再溶解し、新たな鉄器を作っていたと考えられる。この谷での鉄製産は、最盛期には丘陵斜面にまで鍛冶炉を築いており、その鍛冶炉の壁は修復してまで使用されていた。鍛冶炉を取り囲むようにかなり大きな柱穴があり、丘陵裾部のわずかな平地には密集して数棟の工房が立っていたと考えられる。また、生産の場が生活の場でもあったようで、工房建物周辺の平坦地には多くの建物が検出され当時使用された土器・木器・石器・金属器や食べた物などが多量に出土している。

 5世紀中頃に築造されたニゴレ古墳との関係で考えると、同時期にはこの地で製鉄が始まっていたと考えたい。古代の製鉄がいつ頃始まったのかについては諸説あるが「古代の製鉄(鉄器生産)」で書いたように私は弥生時代にはすでに製鉄が行われていたと考えており、ここ丹後においても先の奈具岡遺跡で確認したとおりである。丹後半島各地で弥生時代から続けられてきた製鉄の技術の粋を集めて建設されたのが、この遠所遺跡ではないだろうか。

遺跡の全景。



京丹後市教育委員会の案内板。


このあと、日本海三大古墳の2つめ、神明山古墳へ向かった。



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