彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

モロッコ シリーズ1 マラケシュのメディナ

2009年11月13日 17時16分45秒 | 海外
メディナに向かう途中のバスの中からの撮影です。
街路樹は「ナツメヤシ」です。
路線バスも、おまわりさんも、車も、何となくヨーロッパ風でしょ。
もちろん、バスの後ろに写っているのはフランス産の古いシトロエンです。
モロッコは1912年から1956年までフランス領でした。


お向かいのスペインでも街路樹はオレンジが多かったけど、
ここモロッコでもオレンジの木が、たくさん街路樹として植えられていました。
ただし食べても苦くて美味しくない種類だそうです。


オリーブの木も沢山ありましたが、時期的に果実は、まだ熟していないようでした。
熟して黒くなるよりきれいですね。
ジャカランダの木も在りましたが、残念ながら花は、まだ咲いていませんでした。


何カ所もあるメディナの城壁出入口の一つです。
「コウノトリ」のツガイがいたので、そっちに目が行ってしまい、
城壁の門全体の写真を撮ることを完全に忘れてしまいました。


「コウノトリ」ばかりが気になります。
今回の旅行には、重たい望遠レンズは当然ながら持っ行きませんでした。


しつこいですが、もう一枚「コウノトリ」です。
彼らは、ヨーロッパとアフリカを行き来していますが、
このつがいは最近戻って来た、と云うことでした。


城壁の内側に入りました。
この写真では、どんなに長い城壁なのか?さっぱり解りませんね。
実際は、11世紀ごろ造られた長い長い城壁がメディナを取り囲んでいます。


メディナ内にあるクトゥビア・モスクのミナレットです。
イスラムのモスクには必ず、このような塔ミナレットがあります。(多分?)
今まで数多くのミナレットを見てきましたが、このクトゥビアのミナレットは
本当に美しいミナレットでした。
ちなみに屋根の上の三角矢印はメッカの方向を示しているそうです。


駐車場近くに、この「ジャマ・エル・フナ広場」があります。
通称「フナ広場」でして、メディナの中のスークで迷子になっても、
”フナ、フナ”と叫べば道を教えてもらえると、現地ガイドに最初に云われました。


このフナ広場は、かなり広いのですが、夕方からは屋台が出て、
大道芸や人波でお祭り騒ぎになるそうですが、
僕らが訪れたのは午前中だったので、残念ながら穏やかなものでした。


馬車が通っていますが、この後歩き廻る迷路のようなスークの中では、
馬車も通れない狭さです。
写真を見て気が付きましたが、右のおじさんはニワトリを何羽もぶら下げていますね。


オレンジの生ジュースのスタンドが各所にありました。
皮ごとジューサーにかけるのですが、
バケツの汚い水の中で洗ったのを見たカミさんは、
飲む前に僕を置いて逃げてしまいました。
僕は一杯だけ飲んで、お金は二杯分払いました。
と、云っても一杯 3ディルハム約36円ですがね。


いよいよスークに入っていきます。
ここからは車両進入禁止です。


この辺りから、本格的になって来ました。
でも、まだ余裕で写真を撮っていました。


ちょっと目を離した隙にグループのみんなの姿が見えなくなりました。
この写真の前方にいたのですが、現地ガイドさんが待ってくれなかったら、迷子になったかも?
カミさんだって、グループの他の人達だって自分のことで精一杯ですから。


少し余裕のある処で撮った写真です。
今風に言えばスイーツ屋さんですが ・ ・ ・ ・ ?


こんな大きなアンモナイトがあるんですね。
午後から行く山岳地帯は、大昔は海だったそうです。
このおじさんが現地ガイドさんです。


何となく面白ろかったので撮ってみましたが、何屋さんなのか解りませんでした。
ガイドさんに聞く暇などないのですから。


路地の小さなお肉やさんです。
肉屋の前には、必ずネコがいました。
イスラム教徒はネコを特に大事にするそうです。
なにか理由があったのですが、忘れてしまいました。


肉の卸屋さんですかね?
ぶら下がっているのは、多分、ヒツジ! 豚では決してありません。
店の奥でしているような雰囲気でした。


最後になりましたが、迷路の中の単なる壁の写真です。
気が付きましたか?
全ての写真に写っている建物の壁の色がピンクだったことに!
正確には赤とピンクの間ぐらいですが、モロッコ全部がこの色です。

赤ピンクの町はどうして造られたか?
歴代の王様が皆、色好みだったのか?
その答えは、後日。                by T

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