彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

静かな京都の街を歩いてきました (その3)

2020年04月08日 01時20分13秒 | 全国各地
哲学の道から離れて、次の目的地、真如堂に向けて歩いていると、小さな川の向うに面白い?樹が生えていて、思わずパチリです。
根元が一つで幹が二つに分かれて生えているように見える「相生の松」とは違い、根が二つで一つの樹木となったよう、或いは、一本の樹が、歩いて移動しているようにも見えました。


次の目的地真如堂へは、ぐるっと回っていくのですが、近道を進みます。とはいえ、急な坂道は、四条河原町から歩いてきた爺さんにはちょっとしんどかった。


坂道を登りつめると境内です。
振り返って見ると、大文字山がすぐそこに見えています。

ここから見る、大文字焼は迫力でしょうね。
この境内も、大文字焼の時はいっぱいの人だかりかもしれませんね。

境内は広く、我々の他には誰もいないようです。


お寺の塔は、均整が取れて、どこの塔も美しいですね。どこのお寺もそうですが、個々の建物はほぼ対照的な均整の取れた建物だけれども、それらが配された境内は、非対称でありながら、全体として静的にも動的にもバランスが取れているのを見ると、ただただ脱帽ですね。

我々以外にひと気が無く、それぞれはひっそりと建っています。


境内を進むと、会津藩の墓地がありました。

幕末の京都と聞くと、は長州の犠牲が脳裏に浮かびますが、京都守護職として会津藩士も大勢が犠牲になったのだと改めて知らされます。


墓地を抜けると隣の金戒光明寺に出ますが、お墓のお寺という感じです。
しかし、高台にあるので、京都の人にとっては、死後はここに葬られて京都と共に死後も生きるという気持ちになるのかもしれませんね。

階段を降りて振り返っても、全山お墓という感じですね。

階段を登りつめたところに三重塔がありますが、我々は、この三重塔のところから降りてきました。
この墓地の中に、アフロヘアの仏像で有名な仏像があります。修行に打ち込んでいる間に髪の毛が伸びたんだそうですが、分かりますか?


白い円で囲んだところにありますが、階段を上から降りてきたので、気付かず、下から眺めて気付いたのですが、戻るのも面倒なので、どんな仏像か関心のある方は、
「アフロヘアの仏像、金戒光明寺」で検索してみてください。

この辺り一帯は、平安神宮の背後にあたる地域で、聖護院門跡など大きな社寺が軒を並べていますが、観光客向けの看板や案内板、注意書きなどが所在なさそうに立っているだけで、ひっそりと生活している感じでした。

こういう空間は、なにかそれだけで、落ち着いた気分にさせてくれるので、好きですね。

下関の長府もこのような空間に近いですね。
清潔に保たれており、ひっそりとしていても、人の営みが感じられます。


交通神社というのもありました。日本で唯一だそうです。(海外にもあるとは思えませんが)


訪れた2月の京都はひっそりとしていましたすが、コロナウイルス禍が続いている4月の今もほとんど変わっていないのではと思います。
広大な空間に大きな伽藍がひっそりと建っているのも良いもんだと、京都歩きの余韻に浸りながら、帰路に着いたことでした。
この原稿を書いている時、兵庫県も緊急事態対象県となりました。一刻も早くコロナウイルス禍が終息することを祈らざるをえません。


by W

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